前記事に引き続いて、芦沢みゆき 嬢が結婚と同時に活動縮小(実際は休止に近いと思われる)となる件のPart 2 である。
Assy こと芦沢みゆきというアーティストについて今一度簡単に振り返るが…


人呼んで「所沢の歌姫」、「天使の歌声」「魅惑のクリスタル・ヴォイス」 というキャッチフレーを持ち、その名に違わぬ歌唱力は非常に高いレベルのものであった。広い音域が何の無理もなく流麗に3.5~4オクターブなら裏声無しで軽く吹き抜けるが、あくまでもシルキーで優しく明瞭感と透明感があった。
勿論、幅広く安定して歌いこなせる歌唱力に疑う余地はない。 彼女は仮歌の仕事も時折こなしていたのだが、その中には相当著名なアーティストの仮歌を入れるケースもかなりあったらしい。
実は、彼女の仮歌の出来が凄すぎて、「もっと下手に歌ってくれんか?」という注文が付いた事もあったとか。(下手に歌えって何て事言うねん?→噴飯モンやで)
  

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2012年12月、横浜に「遠征」して行ったステージの貴重な画像桜木町駅前のクロスゲート入口前特設会場でのライブ (実は2階ペデストリアンデッキでもライブをやった事がある)彼女が神奈川まで南下してステージに立ったのは僅かな回数しかない。
 

2006年8月よりソロ活動開始。最初は所沢駅付近でラジカセを使っての路上ライブから始めて、その後所沢青年会議所の若手アーティスト育成プロジェクトの対象アーティストとなる。
そして2008年にはシングル2枚をリリース。その内、「UNLIMITED~明日への光~」は村山晋一郎氏プロデュース。
更に同氏のプロデュースで2011年7月にミニアルバム「Our Destinyをリリース、各方面から高評価を得ていた、その後も、シングルやミニアルバムを数点リリースしていた。 そんな彼女だが、どれだけ長く歌おうと思っていたのかは正直判らない。埼玉県内の某短期大学卒業時に地元の金融機関に内定も取っていたのだが、それを蹴って音楽の道に進んだ。
彼女が最初の1年だけグループで活動していたが(鈴木麻由が一緒だった)、その後ソロに転向して今年で10年となる。彼女も30の大台に入ったのは間違いない。
アーティストとしてという以前に一人の女性として大きな曲がり角を曲がろうとする丁度その時にこの出来過ぎた様にも見える展開になったのであった。 小生が彼女の存在を知ってから8年弱、小生にとっては彼女より関係の長いアーティストも確かにいるが、その内容を考えれば、小生にとっては最も深く関ったアーティストなのは明らかである。

 

彼女の活動の一つの特徴として、フリーライブの比率が非常に高く、逆に箱ライブ出演は少なかった。フリーライブでも対バン形式の比率はあまり高くなく、単独又は他の出し物の合間に挟まるケースも多かった。それが何故かと言われると、色々な推測は可能だが、これといった答えは見つからない。
実家暮らしだった事もあり、ソロデビューから3年程で音楽一本で生活出来る様にはなった様である。その後は寝る間もない位に多忙を極めた時期も結構あった。それだけ仕事の引き合いも多かった事の証しであるのは確か。活動の範囲は殆どが埼玉県内であり、それだけ地元に密着した仕事が多かったが、そういう日々を重ねるうちに何処かで限界も感じ取った可能性はある。

 
結婚は非常に目出度い事である、ただ、活動縮小が伴ったのは残念である。彼女が音楽と引き換えに結婚を選んだというのはまだ一寸飛躍がある様に見えるが、「おめでたい」と「考えさせられる」が両方立ってしまう展開である。 邪推かも知れないが、彼女は以前から10年という所を大きな区切りとする気でいたのかも知れない。

そしてこういった部分にも女性アーティストの難しさが透けて見える。
これは以前にも書いた事だが、若さ・勢い・美貌・素材の良さで押せるのには限界がある。これが第1ステージだとするなら、その後の第2ステージが大事になる。
その転換点で永く力を発揮出来る様に基礎を固めなければならないのだが、そこに結婚や出産が重なって休止を強いられると非常に辛い事になる。
タイムレスなアーティストになるのはタイムリーなアーティストになる事に比しても恐らく数倍は大変な事である。女性の場合、この壁が実質的にもっと高くなると思った方が良いだろう。


グループ時代の1年間は音楽事務所に所属していた。そこが色々問題の多い所だったらしいが、それでも彼女は献身的に働いていたという。ただ結局、その1年間に関して彼女は一種のトラウマを持つようになったという話は関係者から聞いた事がある。
ソロ転向後は事務所に所属しなかった彼女だが、2008年以降は所沢青年会議所のバックアップも受ける時期もあったが、彼女自身は御両親・側近の人達と一緒に活動していた。


ただ、時の流れに抗う者などいないという事なのか、10年経って御両親も歳を取り、一寸きつそうな感じも出て来た。 小生を含めたファンの殆どは恐らく、彼女に大きなチャンスが到来して、多くの人に知られる様になって成功する事を、我等のスターだと何処でも胸張って言えるそんな日が来る事を何処かで願っていたであろう
しかし、ここ10年で寡占化が進み過ぎた音楽業界の状況を鑑みれば、仕方無かったのかも知れない。殊に女性のソロシンガーにとっては、余りに酷なマーケットトレンドだったのは確かである。

 

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2013年、三井プレミアムアウトレット入間の特設ステージにて入間のこのアウトレット中庭も思い出深い所である。小生の場合は都内から関越道川越インターを通って国道16号をひた走って向かうケースが多かったが、入間周辺の16号は混雑する事が多いのが辛かった。
 

唐突に聞えると思うが、芦沢みゆき=孤高の歌姫というイメージが小生の中には出来てしまっている。同ジャンルのアーティスト達と対バンする事が(特に2013年以降)あまり多くは無かった。
因みに、彼女が草加や川崎に出没した記録は殆ど無い。(仮に出没していたら、彼女に蹴散らされるアーティストが続出したかも知れない)

川崎に頻繁に現れる人達は相互に交流を深めて共同でイベントをやったりするケースもある。埼玉にはアーティストが日頃から集中する場所が無いから、こういう事は起こり難い。
それ以前に、彼女は同年代のアーティスト達と徒党を組むとか頻繁に交流するという事にはあまり興味を持たなかったフシがある。そこにはグループ活動の1年のトラウマもあっての事ではないかとも推察出来るのである。


これまで数え切れぬくらいのステージを観衆の前でこなしてきた彼女ではあるが、基本的には控えめな性格の持ち主だったから、然程大きな野心は持っていなかったとも考えられる。
歌う事が心底好きだとしても、ミュージックビジネスとなると話は違ってくる。 彼女程の素材があれば、もっと強引にでも売り込んで強行突破してでも道を切り開く事だって不可能ではなかった様にも見える
(そういう伝手が見付っていればの話だが)。
ただ、彼女自身、ビジネスとしての音楽をやる事にはあまり頓着していなかったかも知れない。これも今から思えばという様な推測に過ぎず、仮にそうであったとしてもそれはそれで彼女らしいとも思える話だが…
この話まだ続く!  gdgd 長いって?
 

それでもやる! 残りはPart 3 にて!
 

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2012年7月、前出のクロスゲート2階ペデストリアンデッキでのステージの模様。横浜でライブをしたのはこの時が初めてだったのではないかと思われる。
クロスゲート=桜木町だけでなく、伊勢佐木クロスストリートでも観たかった…

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2013年5月上旬、Waltz の屋上でのステージ ライブは2階エントランス前で行われる事が多いが、ゴールデンウィークという事もあってか屋上でのライブだった。
この日は2組の対バン形式だった事もあって、双方のファンが集まり結構な人出だった。この屋上、夏場はビアガーデンになる場所で、ビアガーデンライブというのもあった気がする

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2013年11月末 所沢駅前イルミネーション点灯式後のステージイベント点灯式後に所沢市由縁のアーティスト達のライブがあるというのが続いていたが、翌年から点灯式後のライブは廃止されている。

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またまた登場、西武新宿pepe 入口前広場
これは2014年1月のもの。 正月早々、この格好で野外という事はかなり寒かった筈だが、そんな事はおくびにも出さずに2ステージをこなす。当然だが、そこはやはりプロという事か。


この話は更にPart 3 へと続く!


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(May. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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