Is " A.E. " a Cursed Name ? ~AE とは呪われた名なのか?~

前記事でも書いたが、 初代AE は1974年度ブルーリボン賞を受賞する等インパクトは充分であったものの、成田闘争の歴史に翻弄され、傷ついた特急車とでもいうべき状況のまま終焉となった。空港に乗り入れたのは15年足らずであった。
その後継となったAE100形だが、東日本大震災と原発事故に翻弄され、悲劇の特急車となった感がある。 スカイライナーから追われた後の様は寂しいとしか表し様が無い。シティライナーの座を与えられたにも関わらず、シティライナーは大震災の後約半年間運休を強いられた。その後も減便を強いられ、京成本線の新しい顔として定着せぬまま最終的に土日1往復のみとなり、2015年11月に消滅。


京成に2種類の有料特急が並び立てるだけの需要なんて抑々存在し得なかったのかも知れないが、成田空港乗り入れを止めたのはシティライナー的にはしくじりだったかも知れない。
京成本線は線形が悪く(殊に京成津田沼以西)、線路容量も上げられないため、速達優等列車を走らせるには不適当である事も背景にあったと考えられる。


ksae100@senj04

前記事は2011年1月迄の画像を紹介していたが、そこから一気に2015年1月まで飛んでしまう。買ったばかりのK-3 の試し斬りがてら千住のカーブに行った時のショット。
「千住カーブばっかりじゃねぇか!」というのは御尤もだが、何せ東日本大震災以降、AE100形の運用が激減し、その結果、真面に撮れる場所も本当に限られてしまった。実は2011年12月にも一回チャンスはあったのだが、渋滞に巻き込まれて逃してしまっていた。 AE100形とは4年振りの再会、随分と間が空いてしまったものである。
 
ksae100@senj03

その次は2015年3月、でピンと来る方は勘がよろしい! あの北総7260形ラストラン、その日である。 7260形の露払的にやって来たところを捉えたのであるが、予想通り朝早くから激バ状態で、具合の良くないポジションでの撮影を強いられた。
京成を撮りに行く事自体多くは無い。今の京成自体面白いと思えない上に、撮りに行くなら本線より押上線のほうがまだマシという感じだったから、廃車が進んで運用の減っていたAE100形を撮る機会は無いのに等しかったのである。
わざわざAE100形の為に千葉方面まで行く事の必要性までは感じていなかった。 千住カーブ以外でも1回は押えようと2015年4月足を運んだのがこの場所…

 
ks3411@hrki01

その場所とは堀切橋こちらは3400形初代AE形の改造車。御存知の通り、AE100形に役目を譲った後、一大魔改造によって一般車に化け再スタートを切った。それから20年以上が経って、こちらも終焉が近い。
 
ksae100@hrki01

これが小生の捉えたこの車両の最後の姿になってしまった。シティライナー廃止後、今年1月臨時のシティライナー81/82号として復活してくれたが、東北本線で手一杯だった事もあり撮りに行く事は叶わなかった。そして、2月のラストランになった訳だが、超激バが予想されスジも一寸読み難かったのでパスせざるを得なかった。
堀切橋では撮影者同士の小競り合いが起きたため、撮影禁止場所になったという噂も出た。


小生からすると、AE100形のリトラクタブルライト(retradtable headlight、リトラ・隠しライトともいう)を見ると、バブル時代の残り香を感じてしまう。
バブル期とその前後の時代には、スポーツ系の車を中心にリトラクタブルライトを装備した車をいやというほど見かけたのである。TOYOTAではセリカ、トレノ、スープラ、日産なら180SX、シルビア HONDAではプレリュード・アコード、MAZDA ならコスモ、RX-7といった面々がこのタイプのライトを採用していたが、国内では2002年、外国でも2005年を最後にリトラクタブルライトの車は製造されなくなった。
AE100形の場合はリトラクタブルというより、コンシールドライト(concealed headlight)と呼ぶのが正しいのだが。こんな前照灯を見る事も無くなって、バブルの時は本当に遠くなったと改めて痛感するのでもあった。


ライトの事はともかく、このAE100形はインパクトが弱く存在感が薄い様にも見えたのは事実であろう。
今改めてスカイライナーの歴史を見ると、AE という名は呪われている様な気がしてならない。山〇寛〇デザインを売り文句に3代目として華々しくデビューした 現行・ AE 形 はその呪われた歴史を変えられるのであろうか?


ks-ae02@senj01
(2011年12月 ブルーリボン賞受賞記念のステッカー付きで)

嘗てスカイライナーが都営浅草線・京急線を介して羽田空港に乗り入れるという計画があったが実現しなかった。AE100 の貫通扉はその残滓とも言える。
そんな話は誰もが忘れかけている様な今、都営浅草線の支線を作り東京駅の地下に乗り入れさせるという計画が持ち上がっている。
もし仮にこれが実現という事になると、このスカイライナーも大きく変る事になるであろう。都営浅草線対応のスカイライナーを作る事になるのは間違いなく、 現行 AE形 の運命も大きく左右される事にもなろうかと思われる。
そして序に、 N'EX が死ぬのも間違いなかろう。

 

かくして、京成AE100形と東武100系、共に1990年6月生まれ、奇しくも100という数字まで一緒。でも四半世紀を経て、両者の明暗ははっきり分かれてしまったのは間違いない。
スペーシアの方については、現時点で小生も厭というほど撮ってしまった感があるものの、この先も撮る機会には恵まれる事になるであろう。

 
tb103@kask01
(2012年10月 春日部~一ノ割間にて)

tb107@hap01
(2015年3月 ワシクリの八甫にて)

tb106@krky02

(2016年2月、黒小屋踏切から)

因みにJR 北海道785系=JR 初のVVVF 量産車も同期だが、こちらも終焉が近いと思われる。
この車両、見た目に地味で特急車らしい華やかさに欠けるものだが、この春から789系(100/200/300番台)が青函から道央に移る上に、ステンレス車体という事もあり、一般型への改造も困難と見られるので廃車にされる公算が高い。

 

この記事の締めとして、AE100形に捧げるのはこの曲にしたいと思うその曲は、
Gloria Estefan (and Miami Sound Machine)の名曲、" Anything For You "
アルバム" Let It Loose " (1987)から4枚目シングルとして放たれたこの曲は88年5月に全米#1 を記録、全英でもtop 10 入りしている(
40代以上なら御存知の方も多かろうが、実際の曲については、取敢えず
こちらでも御覧頂きたい

Anything for you, though you’re not here
Since you said we’re through, it seems like years
Time keeps dragging on and on, and forever’s been and gone
Still I can’t figure what went wrong

I’d still do anything for you, I’ll play your game
You hurt me through and through, but you can have your way
I can pretend each time I see you that I don’t care and I need you
And though you’ll never see me crying
You know inside I feel like dying

And I’d do anything for you, in spite of it all
I’ve learned so much from you, you made me strong
But don’t you even think that I don’t love you
That for one minute I forgot you
But sometimes things don’t work out right, and you just have to say goodbye

I hope you find someone to please you
Someone who’ll care and never leave you
But if that someone ever hurts you, you just might need a friend to turn to

And I’d do anything for you, I’ll give you up
If that’s what I should do to make you happy
I can pretend each time I see you that I don’t care and I need you
And though inside I feel like dying
You know you’ll never see me crying

But don’t even think that I don’t love you
That for one minute I forgot you
But sometimes things don’t work out right and you just have to say goodbye

I don’t want to say goodbye...



何やらかんやら言うても、早過ぎる終焉だったのは間違いない。富山地鉄や長野電鉄、一畑や秩父鉄道あたりに譲渡されればまだまだ新しいステージで活躍出来たかも知れないのに(足回り交換が必須だが)
 

)Gloria Estefan (出生名=Gloris Maria Milagrosa Fajardo Garcia)は1957年9月、キューバ軍人の家に生まれたが、3歳で家族共々アメリカに亡命。
マイアミ大学に進学し在学中の1977年にMiami Sound Machine としてデビューし、翌年Emilio Estefan と結婚。 1984年にEpic/Columbia と契約して以降は一気に大ブレイクを果たす。
80年代後半~90年代前半はまさに全盛期であった。87年まではMiami Sound Machine、その後89年までGloria Estefan and Miami Sound Machine、89年以降はGloria Estefan として活動している。今迄に出したアルバムは20タイトルを超えている。

 


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Mar. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。