少々地味だけど、VVVF 特急車のパイオニア…(の一角)
今では電車どころか機関車までVVVF が当り前になったが、抑々VVVF 元年と云えば1986年である。
その年は東急9000系、新京成8800形、近鉄3200系、同6400系等の車両が登場した。これらは御存知の通り、VVVF 車の第1世代というべき車両達で、しかも全部通勤型(一般型)車である。
VVVF 開発導入については先行したのは一部私鉄であり、 その他私鉄及びJR(旧国鉄も含む)はかなり遅れをとっていた。旧国鉄の場合、1970年代から財政並び労使関係の極端な悪化が慢性化していた事を鑑みれば仕方が無いと言える。
特急車でVVVF が採用される様になるのはそれから4年後という事で少々ギャップがある。特急は加減速の機会が少ないからVVVF の様な省エネシステムを積極的に導入するインセンティヴが見出し難い。その当時はまだVVVF のイニシャルコストが高かった上に、大容量化も難しかった。
1988年デビューの名鉄1000系(パノラマSuper)は界磁チョッパを採用し、近鉄21000系(アーバンライナー)は抵抗制御であった。翌年デビューの西鉄8000形=抵抗制御、JR 東日本651系=界磁添加励磁制御という具合で、1980年代末でもVVVF 特急車は登場していなかったのである。 それでも、VVVF という波が特急車に及ぶのは時間の問題でしかなかった。
1990年と云えば昭和も終り、バブル真っ只中。この後「失われた〇〇年」という状況が四半世紀を超えて更に継続する破目になるなんて誰もそこまでは予測し得なかった。35歳以下の連中はバブルなんて知らないのである。その年はバブル崩壊の足音が忍び寄っていた。この年の夏は伝説的酷暑(その時代としては)、そしてイラクのクウェイト侵攻(所謂・湾岸危機)なんて言う事が起きていた。
そんな中、VVVF 特急車のパイオニアとして6月19日、京成AE100形はデビューした。同年同月デビューなのが、東武100系スペーシアだったのだが、厳密にいうとスペーシアが6月1日デビューという事でVVVF 特急車一番乗りなのである。タッチの差で一番乗りを逃したというのが、後の運命を示唆してしまった感がある。
初代AE形は、苦難の歴史を歩んでしまった。成田空港は過激派の闘争活動のターゲットにされまくって、開港は5年程遅れてしまった。空港に乗り入れる特急電車はあっても、肝心の空港がないという状況が続いたのである。更に開港直前の1978年5月にはスカイライナー放火事件でAE29号車が全焼した他、数両が被害を受け修繕を余儀なくされるという事まで起きた。昭和の歴史に翻弄され、そのポテンシャルを十分に発揮出来たとは言えないまま「悲運の特急車」になってしまった初代AE形の後継車として、AE100形は生を享けたのである。
ここは複々線で列車本数もやたら増えるからこういうリスクは高くなる。北総・スカイアクセス関係の列車と本線の列車が入り乱れる。見ている分には飽きないのだが、撮るとなると大違い。
かなり見上げる様に撮る事になる上に、裏被りリスクも大きいから気の進まぬ撮影地ではある。 その数日後…、今度はド定番の千住のカーブに行ってみた。
この2つの絵の違い、お判りであろうか?光線状態が明らかに違う!
デビューしたての現・AE 形が話題をかっさらう中、この車両もシティライナーとしてまだ活躍してくれると思っていたのだが、この直後「AE100、お前もか…」という様な悲劇に襲われるのである。
Part 2 へと続く!
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Mar. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
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