初日朝の撮影が、消化不良気味な形で終わったので、2日目に高野線リベンジを考えざるを得なくなった。その夜に思い悩んだ末に、当初の予定通り南海線に繰り出す事を決意。

明けて2日目、6:40頃に宿を出たが、朝から暑い!難波から和歌山市行きの急行に乗ろうとしたが一足違いでアウト、仕方なく約10分後の空港急行を選択。和歌山行きの急行より停車駅が多く、結果としてやや遅い
貝塚で降車したが、後続の普通まで10分近くあった。改札を出て直ぐにタクシーで鶴原を目指したが…、途中は結構混んでいた、何せ朝の通勤時間帯である。


貝塚といえば、ユニチカ!、ユニチカといえば横山樹里…って、古過ぎるやろwww (註) 貝塚の象徴みたいだったユニチカだが、近い将来その名が貝塚の町から消えるかも知れないらしい。
二色の浜の辺りで泉佐野市に入り、鶴原に到達。駅の前でタクシーを降り、線路の反対側に渡ろうとしたら、踏切が閉まり…、やって来たのは、件の続行の普通。 10分待って普通に乗った方が良かったやないか!ドアホ! 戦闘開始が予定より遅れて8時になってしまった。取敢えず、駅南側直ぐの踏切の隅に陣取ってみる、が…


nk7157@tshr01

4両の普通なら撮れるが、6連以上では無理(架線柱とケツがモロ被り)と判って、作戦を練り直して10m 程移動。しかしそこでも苦難と誤算に見舞われた。

nk7133@tshr01

南海線の主役・特急サザン7100系10000系 如何に足掻いてみても、編成を架線柱に掛けずに完全に抜く事が不可能と判り、こんな撮り方しか出来なかったのは誤算だった。しかも4連の普通だと、架線柱と編成末尾がモロ被りなので、6連・8連の優等列車に懸ける事とした。

nk8011@tshr01

こちらは8000系サザンプレミアム12000系特急サザンだが…、何とも無機質、人呼んで6月的(=湿気ていて取り立てて何も無い)ルックスwww この秋から登場とされる8300系使用のサザンも登場するのであろうか? 8300系増備に合せて12000系も再増備という事になった場合、いよいよ10000系もカウントダウンに入るのか?又、12000系に続き8300系も後パンなので、南海は前パン車は作らないという事になるのか?

nk3513@tshr01

一見、東急8000系の亡霊と見紛う様な感じだが、勿論これも南海車泉北高速からトレードされて来た3000系空港急行)も南海線で捉えた。泉北時代の車番やエンブレムの跡が痛い感じだが、南海に移籍しなかったらこの路線で見る事は出来なかった。 これならもっと井原里寄りのポイントで構えた方が良かったか?結果は如何だったか分からないが。ネット等でそれなりには下調べをして行ったのだが、実際やってみるまで分からない事も多い。現地ロケハン無しの、ぶっつけ本番の様な形でやれば、悲惨な結果になる事も多い。

nk1005@tshr01

南海
での推しメン(推し電?)がこの1000系だったりする。先頭2丁パンタで、しかも塗装車!これはポイント高い! 空港アクセスの急行は京急ではエア急(エアポート急行)だが、南海ではそのまま空港急行 トータルで2時間弱粘ったが、結局メインターゲットの7000系8連は来ず…、早々と羽倉崎に行ったままお休みしてしまったらしい。 7000系自体は1回だけ撮れたが、それも7100系との混結。梅雨明けを見計らってリベンジしようかと思い始めている小生である。梅雨明けには既に旧塗装復刻版サザンが走っている筈なので、押えに行く価値はあるか? 終了後は8000系普通→1000系急行と乗り継いで難波に戻り、一風呂浴びる。最後に入る冷水風呂がこの日も効く~っ!

ここからは午後のショットを数点…

281@umeda01


午後、新梅田シティの近辺に行き、梅田貨物線を走る381系くろしお及びはるかを収めたが、その時点で15時を少々過ぎた程度。当然、お疲れ様には早過ぎる。中津から南茨木に移動し、あの有名な踏切で阪急京都線を撮影。異なるアングルで撮った画像2点を紹介する

hk7304@mib01

7304F
試運転 車番の表示位置が変り、前照灯もLED 化されているが、7320F の顔面整形と比べると中途半端でインパクト薄ww 前にも触れたが、あの箱(画面左下付近)が如何せん邪魔である

hk8300@mib01

8300F
普通梅田行き、正調の額縁スタイルのままなのが良い!このアングルだと240mm 相当になるので、シャッタースピードを徒に早くせず、その分絞って被写界深度を少しでも稼ぐのが得策。 17:30まで何とか粘り、漸く閉店、ガラガラ!

南茨木駅ビル内の喫茶店で休憩後、準急5300系に乗り淡路で天下茶屋行き=8300系に乗り換えて、堺筋線に入り南森町へ。堺筋線に乗ったのは何年振りか記憶が無い位であった。(西天満には南森町より北浜の方が若干近い事が後に判明したw)

そして、夜は遠征の仕上げとして西天満のこの店でウィスキーを嗜んだ。小生としては大阪に行って Bar Rosebank に行かない訳には行かない。新大阪からのぞみ64号(N700系K 編成)で帰京したが、帰宅した時は当然の如く日付が変っていた。


(註)
ニチボー貝塚時代は1959~66まで258連勝を記録。62年のバレーボール世界選手権に単独のクラブとして参加し優勝という信じられない偉業も達成。チーム名は69年からユニチカ貝塚、77年にユニチカとなり、91年にユニチカ・フェニックスになる。 97年の貝塚工場操業停止に伴い、2000年7月に活動停止。日紡貝塚からの通算で国内主要タイトル獲得回数は60近くに上る。同年9月に東レにチーム移籍し、東レアローズ女子チーム(本拠地は大津)になって今に至る。
現在、ユニチカ・フェニックスの名は同社のラグビー部に引き継がれている。




※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jun. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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