阪急の「オートカー」兄弟の内、2000系が比較的早くに編成消滅した(600V 用に作られ1500V 用に改造された事が災いしたといわれる)これに対し、2300系は当初から1500V 対応だった事が幸いしたのか、2000年の2311F まで廃車が無かった。
ただ、これを皮切りにじわじわと廃車が進み、嵐山線の4連が2010年に消滅。そして、2014年に入る時点で7連×5のみになったが、これも休車も含めての数である。


2012、2013年と2300系には遭遇する事なく過ぎてしまった。そして2014年になると、遂に1000/1300系が旧型車を駆逐すべく出陣してきた。4月に2300系1300系の両方を押える事も目的の一つとして、大阪に遠征した。(その時のあらましはこの記事を参照されたい)

それが何と…、初日朝からいきなり、予定が狂った。7:10大阪駅北側のBT に到着予定だったのが、予定時刻を過ぎても着く気配が無い。結局、20分以上遅れて到着、原因は渋滞だった様だが、これが悲劇だった

それから撮影地に徒歩で向かったが、その途中で京都方面に向かう2300系を見てしまった。この朝に2300系を撮れるチャンスは殆ど無いと判ってしまった。もしバスが予定通り着いていたら、撮れた可能性が高かったと思うと、憤懣遣る方無い状態だった。

hk9301@yod01

9300系の作例、通勤特急の表示があるのが如何にも朝という感じ。この場所は障害物があるせいで、アングルが限られ、窮屈な絵作りを強いられるというのが欠点。晴れていたとはいえ、空が何処か黄色く濁った感じである。黄砂と花粉の為だろうか。

hk1300@yod01

1300系
に初遭遇、主目的の一つは達した。1300系1300F はこの後トラブルで落ちたらしい。 阪急は次の日に賭けようと思い、この後は京阪叡山電鉄と転戦してしまった。

2日目の朝も件の場所に向かったが、空気は湿気ていて、空は一面曇り。当初の天気予報は晴だったのに、外れ!
ここ数年、4月は本当に天候が読み難い


hk2313@yod

やって来たのは2313F だった、まぁ、一回も撮れずに終わるという最悪の事態は免れた、が、前日の晴天の下で撮りたかった! 渋滞によるバスの遅れが本当に恨めしい!怒りで腸が煮えくり返る!とはこの事である!
そして、天候が好転はしないと悟り、鈍足な神戸電鉄を午後の撮影対象として選択してしまったのである。


そして、それから時は過ぎて11月、遠征付き出張w と相成った。
2014年は夏~秋にかけて天候不順が続いていたが、その時期は不思議と殆ど晴っ放しだった。(その時のあらましは既に昨年12月アップしている)
その中でも、1日丸々フリーだった日があって、その日午前中は京阪、昼時はJR と転戦。 13:30頃安威川から引き揚げたが、当然まだ明るい。もう一勝負と行きたい所である。
ただ、11月下旬ともなれば、陽が落ちるのは早い。遠くに移動は出来ず、ダメで元々と思い、南茨木に移動したのであった。


14:30頃に駅に着いたが、予想通りサイドが暗くなりそうな光線状態。やはりここの午後アングルは春夏向き。そこで、駅近くで豚丼を食ってもう少し陽が西に回るのを待った。 15時頃あの有名な踏切に行くと、その日は土曜という事もあって既に2名の先客。歩行者専用の狭い踏切で、良いポジションも取れず、アングル作りには苦心。

hk6354@mib01

いきなり6300系・京とれいん!小生としては3年振り2度目の撮影。後2両が架線柱と箱に被ってしまったorz この時期に南茨木のこの場所で完全順光なんて殆ど無理だったのである。 この後、もう少しだけ線路に齧り付かせてもらう事が出来たものの…、状況はあまり好転せず。

hk7323@mib01

7300系
同士で危うく被りかける。架線柱だけでなく、箱も邪魔であるのが恨めしい。 あまり気持ちが入らない状況だったが、せっかくここまで来たのだから、ブサイクな絵でも取敢えず出来る範囲内で撮ってはおこうと、シャッターを切っていた。
この時正直期待してはいなかったが、15:30に2300系2325F がやって来た!


hk2325@mib

このアングルでも、7両ならギリギリ架線柱や箱に被らず抜けた。
15:30だというのに、列車を照らす光線は夕方のそれであるというのが晩秋という趣でもあり、この事が更には、半世紀を超える歩みを重ねた名車の黄昏というニュアンスを与えたかも知れない。
この日この場所での最大の収穫は言うまでもなくコレ!
結局小生にとってはこれが2300系のラストショットになってしまい、この2325F も同系列の終焉を待たずして運用離脱し廃車となった。


2000/2300系
は阪急初のモノコック構体車でもある鋼製車のモノコック構体は1952年の西鉄313形を皮切りに当時増えつつあった。その中で阪急も構造の単純化と軽量化、そしてコストダウンを優先しこの流れに乗る形で、車輛の寿命を縮めるリスクを負ってまでもセミモノコック構造を採用した。

2000/2100系
は1500V 神宝線昇圧時に回生制動廃止もあり片パンとなり、オートカーでもなくなった。それでも、先頭パンタをキープ(神戸/宝塚側=他系列とは逆)していた。それも冷房化時にパンタ位置変更によって前パンでもなくなった。
一方、2300系はというと、1978~81年の冷房化&界磁チョッパ化の際に「オートカー」ではなくなったが、御存知の通り、終生2丁パンタをキープした。 車輛の寿命を縮めるリスクを負ったといいながらも、半世紀以上の年月に渡って走り続けて来られたその背景としては、阪急の経営状態が必ずしも芳しくないという事もあろうが、同社の保守技術の高さも大きく貢献したと思われる。


御存知の通り、3月22日のさよなら運転を以って半世紀を超える歩みにピリオドを打ったが、奇しくも北総7260形のラストランと被ったのは、何だかラストランの潰し合いをしているのかと穿ってしまった。(こんな事思う時点で既に病気か?www)

てなわけで… ラストショットを見て思い浮かんだこの曲2300系に捧げてこの記事を締めたいと思う。

3月22日の大阪も晴天に恵まれた様で、春先の青空の下でそのファイナルモーメントを飾ったのであろう。 その曲とは、(若林)世莉奈 嬢の「ラミネートスカイ」(彼女の紹介記事はこちら

これは彼女が祖父の死に面した時のエピソードを基に書かれた曲で、彼女が2011年にリリースした最初のCD「Revolution☆Station」に収録されていたものである。
 

ser21 (画像は先日のとことこタワーまつり2015で撮影)


ねぇ、気付いたらまた隣で笑ってる気がして
ねぇ、どの位願えば神様に伝わったのかな
涙が零れない様に空を見上げた
何処までも続く透き通った青さに終りなんてないと思った


明日が微かな光だって
信じて生きようとするあなたの姿に
自分が情けなくなって凄く恥しくなった
この気持ちが色褪せない様に
ラミネートスカイ 胸に刻んだ


まだ温かい頬や波打つ首筋の鼓動を
ただ確かめては無常にも迫る時と向き合った
守りに入って生きてきたこんな私に
歩くべき道と今ある大切な全てに気付かせてくれたよね


誰かにとっては変わり映えの無い
長い一日だったとしても
誰かにとっては大事に繋ぎ止めたい一秒と一秒なんだ


明日が微かな光だって 
信じて生きようとするあなたの姿に
自分が情けなくなって凄く恥しくなった


誰かにとっては変わり映えの無い長い一日だったとしても
誰かにとっては大事に繋ぎ止めたい一秒と一秒なんだ
この気持ちが色褪せない様に ラミネートスカイ 胸に刻んだ


どの様な曲であるかは、You Repeat に上がっているライブ映像(川口市で収録、日時は不明)でも御覧頂きたい


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(May. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ   にほんブログ村   にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ   にほんブログ村   にほんブログ村 酒ブログ ワインへ   にほんブログ村



写真 ブログランキングへ