阪急2300系、この一見何の変哲もない様な通勤型電車がSuper Star とは何事?とお感じかも知れないが…
2000系と共に1960年登場、という事なので…、
アイルトン・ セナ(Ayrton Senna da Silva)、トニ・ グウィン(Tony Gwynn)(註1)、マリーン・オッティ(Merlene Ottey)(註2)、津田恒美、美保純、氷室京介、大場久美子、紺野美沙子、ヒュー・グラント(Hugh Grant)等と同い年になる。


1961年に第1回ローレル賞
を獲得、のみならず新幹線の線路を走った阪急電車としても有名。

ただ、これだけでSuper Star の仲間入りとは不自然であろう。
では、ここで考えてみよう、阪急の車両のイメージとして思い浮かべるものを 僅かに茶色がかった小豆色、運転席の窓が大きめで、角度が僅かに付けられ三面体になった正面部分、 2-3-3-2の側面窓配置。 梅田側先頭2丁パンタ四角の枠にシールドビーム2基が収まり、顔の中央上部に鎮座する。
木目調の化粧版+オリーヴグリーンのシートという内装(これ故に木製車両と揶揄されるとか?)
これは2000/2300系によって始り、阪急のスタンダードとなった。 阪急スタイルの開祖と呼ばれるべき車であるから、ファンなら神と崇めるべき車である。


幼少の時だったが、鉄道の本を見た時、阪急2000系が「オートカー」と呼ばれるという記述を見て、「何の事やろ?」と思ったのは覚えている。その時代は2800系も急行を中心に走っていた時代である。 2000系は中学生だった1983年に関西に行った時に神戸線で見ているし、乗車した記憶もある。
(その時、今は亡き阪急西宮スタジアムで阪急ブレーブス vs. 日本ハムファイターズを観戦していて、阪急の先発投手は山沖之彦だったと記憶している)


それから30年経った21世紀、小生も中年になってこの2300系を阪急の線路上で撮るなんて想像だにしていなかった。 そんな事を言うのであれば、2000系だって能勢まで行けば撮る事も乗る事も可能ではある。
小生が、この車を漸く画像として押える事が出来たのは2008年秋になっての事だった。10月半ばのある日、仕事で大阪に行っていた小生は午後3時頃、崇禅寺駅のすぐそばの場所に向かった。

hk2325@sozj

府道134号線の歩道橋から高槻市に向かう普通運用の2325F をキャッチした。この日は2313F も来ていたが、こちらは失敗してしまった。
実際撮影してみると、府道上の電柱やその他諸々の影が落ちて来る困った場所であったから、決して良い撮影地ではなかったが、この場所も高架化工事が進捗してきていて、現在この界隈での撮影は不可能である。今や貴重な絵になったのは間違いない。

それから約1年後、チャンスが又やって来た。この時のロケ場所は
この方のブログを通じて知った京都線のやや穴場的撮影地、南茨木~摂津市間にある。実はこの時が初挑戦となったスポットであった。阪急の撮影地にして最寄駅がJR の千里丘というは少々wwである。

hk2321@set

普通運用に就く2321F から捉える事が出来た。
この時期は秋から冬に変る季節の境目という事もあったのか、天候に恵まれず、冴えない絵になってしまった、その上に超カツカツ&ギリギリww 7連だったので何とかギリギリ収まった=8連なら即刻アウト!
2010年2月にも同じ場所で挑戦する機会があったが、2300系には巡り会えず。同年5月まで持ち越しになった。


hk2325@oymz

準急
運用の2325F を捉えた大山崎駅でのショット。小生としては珍しく駅撮りだが、この日、午前中は良く晴れていたのだが、昼過ぎから2時間弱曇ってしまった。その曇ってしまった間に撮ったのがコレ!しかもケツが5300系と被ったorz
ここも割と有名な撮影地だが、8両を完全に入れるのは極めて困難。この後南茨木に移動して、あの有名撮影地に行ったら、再び晴れて来た。そこでも2300系を待ったが、来ずじまい。

2010年の時点で、京都線で稼働しているのは3編成だった筈で、シャッターチャンスが少ないのであった。 頻繁に関西に行っているわけではない小生にとって、次に2300系と遭遇したのは更にこの1年後となってしまう。

それでは序に、阪急の懐かしいショットの中から…


hk3074@okmc

3000系・3074F
宝塚線普通運用。神戸本線では2013年1月に、宝塚本線でも2014年6月に運用終了。3000系の本線運用はもう見られない。
この3074F は2012年に4連化されて箕面線に転属、今や前照灯もLED に交換されている。


阪急2000・2300系、更には3000・3300系と同世代の車両を挙げると、東武8000系(1963~)や南海6000系(1962~)・7000系(1963~)、京阪2200系(1964~)がある。
東武8000系はリニューアルと称して別の車かと思う程の顔面整形を受けているが、嘗ては700両を超えた大所帯も、その6割以上が廃車され、残存車も末端線区に追い遣られつつある。 南海7000系も数年内に消えるであろう。


nk6010@simy


その一方で、南海6000系は腐食に強いというステンレスの強みを生かし、未だ1両たりとも廃車を出しておらず「不死身の車」といわれるw という事は…、コイツはさしずめ私鉄界のM. オッティか?www


Part 2 へと続く!



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(May. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



(註1)本名はAnthony Keith Gwynn、州立サンディエゴ大学からMLB のサンディエゴ・パドレズに入団、同チームで20シーズン活躍(1982~2001)。
人呼んで、" Mr Padre "。左投左打、首位打者8回、オールスター15回、シルヴァースラッガー賞7回、20年連続で打率3割達成、通算3141安打、キャリア通算打率は.338
2007年殿堂入りし、背番号19はチームの永久欠番となる。2014年6月癌で死去、享年54
(註2)1980年モスクワから2004年アテネ五輪まで7大会連続出場を果たした陸上短距離選手。2000年まではジャマイカ代表、2002年からは国籍変更でスロヴェニア代表になる。
五輪では銀3、銅6個獲得も金メダルには届かず。世界選手権では通算で金3、銀4、銅7個獲得、現在でも選手生活を続行している。




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