阪神大震災から遂に20年という節目を迎えた。これは少なくとも今の10代は阪神大震災をリアルタイムでは知らない事を意味する。
1995年1月17日、朝起きてテレビを付けたらいきなり横倒しになった阪神高速、車両を載せた状態で潰れた阪急の駅舎や、空襲にでもあったかの様な街の風景を見せられて、何が起きたかを理解するのに暫く時間を要してしまった。
その凄惨さでは9.11をも軽く上回るであろう。(今の10代は9.11ですらピンと来ないらしい)そんな話も隔世の感がある。


 
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(顔面整形された阪急7000系7008F 十三~中津間 2014年11月)

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(223系新快速 上淀鉄橋にて 2014年11月)
 
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阪神9000系 近鉄奈良線・石切~額田間 2011年5月)

阪神間では、ハイソな山側を基準にした場合、阪急JR阪神が丁度この画像の並びの順で走っている。特に芦屋や神戸に於いては、この3社の線路が極めて近い所で並走する。関東でも京急JR の2社並走はあるが、3社というのは無い。
大震災は、私鉄とJR の競争に於いて、その力関係が逆転する引鉄を引く格好になってしまった。JR は六甲道駅の伝説の突貫工事に代表される様な急速な復旧をなし遂げて、復旧が6月まで掛った他の2社をよそに4月にはほぼ全面復旧。阪急や阪神をここでリードする形になった。
特に、阪神では100両以上が被災し、30両以上が再起不能になって車輌補充が急務になった為、塗装の手間が要らないステンレス車を発注した。阪神9000系は阪神大震災が生み出した「震生車」ともいえる。


神戸は小生にとってもお気に入りの街の一つである。30年以上前の話になるが、父(25年前に他界)が関西出張の序に神戸に足を運び土産物を色々買って帰ってきたのを子供心に覚えている。そういう小生だが、神戸を訪れる機会に恵まれる様になったのは震災後で、震災前の神戸の記憶はあまりない。
あれから20年、一見復興した様に見えるが、中心部でも震災前を機に減少した店の数は未だに昔日の水準には戻っていないらしい。ハーバーランド等の再開発地区でも今世紀に入った辺りからテナントの撤退が相次ぐなど苦戦中である。


都市としての地力が回復していないのは寂しい限りであるが、国自体の地力も落ちているのだから、誰も神戸の人達を責められない。
そうは言っても、この街には捨てがたい魅力がある。大き過ぎないサイズ感、海と山が迫った風景、阪神間モダニズムの時代から紡がれた独特の情緒や空気が小生の心も擽るのである。近隣に大阪や姫路がある事で、上品で小洒落た部分が余計に引き立ってくるのであるwww


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(諏訪山公園からの夜景 2010年2月)

再度山ドライブウェイの途中にある諏訪山公園(ヴィーナスブリッジで有名)からの夜景を載せたが、1枚目は南南西方向。2枚目は南東方向 いずれも神戸市中心部が大きく入る構図である。

阪神大震災の記憶も薄れてきた2011年3月、東日本大震災が起きた。
これを受けて首都直下地震が起きた場合の被害予測についての政府の試算が出たが、その数字は明らかに嘘である。耐震化で被害を大幅に防げるような幻想を抱かせて増税とセットで土建政治を大々的にやりたいだけという各界の思惑だけが浮き彫りである。想定される様な地震が起きたら耐震化なんてやったって結局パーというのは犬でも猫でも判っている様な話なのにである。
 
それこそ、首都直下地震に備えるというのなら一番にやるべき事にして、唯一出来るリスク回避(軽減)の方法は今直ぐにでも、中央集権と一極集中を止める事である! それこそ連邦制でも敷くべきではないだろうか?
リスク分散を行うのが、リスクマネージメントとして大事であるという事でもある。これは常識!
こういう声が高まって来ないのは不思議であるwwwww




※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jan. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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