名古屋線でひっそりと暮らす日陰のレア車?

kt2052@yat
(名泗コンサルタントラッピング時代のRC51編成 2012年5月 佐古木~近鉄弥富間)

近鉄2050系
界磁チョッパ車の1400系の3連ヴァージョンで3連×2本=6両しか存在しない、電算記号はRC 。
1983年登場、当初は大阪線所属だったが、大阪線の編成の最小値が4両となり、名古屋線に転属した。
この2050系を含む一団は元々登場するはずのない車だったらしい。70年代終盤から近鉄は旧型車を代替するべくVVVF 車の開発に注力していた。ただこれが難航しているうちに、旧型車の代替を迫られる事となった。苦肉の策として、当時主流であった界磁チョッパ車を製造導入せざるを得なかった。
1981年の1400系を始めに、1200(1201)系、そしてこの2050系、加えて狭軌線用の6600系と界磁チョッパ車が少数ながら導入される事になった。
近鉄が日本の鉄道車両としては初となるVVVF の実車を出すのは1984年だった。現在の1421F (当初は1251F)である。


kt2052@tmks
(原色に戻った現在のRC51編成 2013年4月 近鉄富田~霞ヶ浦間) 

近鉄の一般車の車幅には2740㎜と2800㎜があったが、この世代を最後に2800㎜に統一された。正確には1421F が2740mmの最後である。

kt2054@tmks
(RC52編成 2013年4月 近鉄富田~霞ヶ浦間)

この2050系は普通、又は名四間の急行準急の単独運用が殆どの様である。名四間の急行準急は優等列車でありながら3両が殆どで、名伊間の6両の急行は結構混雑する。

本来なら同期の6600系も取り上げるべきなのだが、南大阪線の撮影自体未だ行っていないので、御容赦頂きたい。 ここまで拘ってVVVF の実用化を進めた近鉄だったが、結果はズッコケる様な感じである。
結局のところ、現在までVVVF 車の増殖はあまり進まず、往生際の悪い 1960・70年代製造の抵抗制御車が安定多数を占めていて、奈良線を除けばVVVF 車は少数派である。


1980年代以降、近鉄は少数車を乱発する癖が付いている様にも見える。新型車と云っても一度に少数しか製造せず、更に細かい仕様変更と系列名変更を重ねてしまう事も重なって、非常に複雑で判り難いラインナップを作ってしまう。

一つだけ解ってた事、このシリーズからの卒業、マンセー!マンセー!というノリで締める!



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Dec. 2013)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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