現在世界の注目を俄然集めている台湾、俄かファンも増やしている台湾
その民主化を進め独自の新しい道を進ませて自決権を確立したのは李登輝だと言える。同地域に於ける戦後レジームを書き換えたのが彼だという事も出来た。


台湾の人種構成というと2%の原住民、残り98%が漢民族と思われているが、調べてみるとそれはどうやら違う様だ。小生も騙されていた。日本でもこの嘘を積極的に吹き込み続けていた奴等がいたという事だ。それは誰かと訊かれれば、もうお分かりだろう一つは中国共産党、更には大陸から戦後入って来た「外省人」

本当の漢民族は13%しかいないが、それは殆ど蒋介石と共にやって来た外省人。台湾には15程の人種が存在する多人種地域である。一番古い民族はオーストロネシア語族だと言われる。
1624年にオランダが統治を始めて世界にその存在が知られる様になったが、その時点で50万人が暮らしそれに対してオランダが連れて来た人間は8000人程度だった。その38年後に鄭成功がオランダを追い出して入植したが5000人程度。その鄭成功の母親は田川マツという日本人、純粋な漢人ではなく、長崎生まれという説もある。又その時代に活躍していた海商にも漢族だけでなく日本人その他民族がいたため、鄭政権も純粋な漢民族の政権ではない。


その後、清朝が組み入れたが清朝はそもそも漢族の国ではない。清朝下で大陸サイドから台湾に渡ったのは密航者で殆どが男性。そして密航者=♂と先住民=♀の間で混血の人間が生れていった。
その後近代では日本統治下になって日本人の入植者がいたりして、多人種多民族の台湾という存在が出来ていったと見るべきで、漢民族が主体の場所では決してない。

mangopapaya01
台湾を中華圏と呼ぶ事を現地の人達は嫌がる。
日本は1945年まで統治していた台湾及び澎湖島を放棄したに過ぎない。この二島を中華民国が連合国から付与された管轄権を行使していたに過ぎないのを、いつの間にか外省人の国民党が勝手に統治までする様になってしまった。そこで大陸側勢力に乗っ取られ自決権を確立するチャンスを剥ぎ取られる形になったと言える。
だから本来「中華民国」呼ばわりするのは台湾の人達に失礼なのだ、ましてや「中華圏」というのは冒涜と言われても仕方ない。


台湾が「中華民国」と言われる事には本来正当性がない、(台湾民進党の主張と一緒になるが)
ましてや中共が「一つの中国」とほざいてみたりWHO のクソ豚が「台湾省」なんてぬかすのは全くもってナンセンスなのである。
台湾はあくまでも台湾という独自の存在。Chinese Taipei なんて呼び方も使われるがそれだって失礼な話である。


李登輝は年を重ねてからは、日本語と英語で会話する事が殆どになったという。大陸の中国語は一切話さなくなった様だ。(北京語も話せる筈なのだが)
国民党とは本来相容れない筈の李登輝だったが、蔣経国に見出され政権内に入る。1972年10月に政務委員(無任所大臣みたいなもの)になり、1978年に台北市長に任命される。台湾芸術祭に力を入れたばかりでなく、水不足問題にも力を入れて翡翠ダムの建設を推進した。78年には台湾省主席になり、農業政策に力を入れた。そして1984年、副総統に任ぜられた。
それまで副総統といえば有名事実の唯の「スペア」的地位だったが、李登輝は「スペア」に留まらず総統名代の様な形で外国訪問をしたり、軍事会議に出席したりしてその地位を高めていった。
そこには蔣経国の信頼と意向があったのは間違いないが、こうして李登輝は着実にゆっくりとでも「戦後レジームの書き換え」に歩を進めていたのである。


其の四へと続く!



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