100周年記念シーズン(1920年のAPFC から通算)も大詰めのNFL は去る1月19日、AFC・NFC 共々チャンプオンシップが行われた。
AFC はカンザスシティ・チーフス(Kansas City Chiefs)が、NFC はサンフランシスコ・49ers (San Francisco 49ers)が勝利を飾り、この両者が2月2日(アメリカ時間)のSuper Bowl LIV (第54回スーパーボウル)で対戦する事となった。
プレイオフに第1シードで臨んだ49ers は第2シード・Green Bay Packers (グリーンベイ・パッカーズ)相手に前半だけで27点を奪い大勢を決した。このゲームでは要所要所のランプレーが冴えていた。
パッカーズも後半3TD を奪う反撃を見せたが、結局 37 - 20 で49ers 完勝!7年ぶりのスーパーボウル進出で25年ぶりの勝利を期す事になった
AFC の方では、東地区優勝で第3シードのNE ペイトリオッツ、シーズン中無双状態で第1シードだったボルティモア・レイヴンズを次々下して波乱を巻き起こしたTennessee Titans (テネシー・タイタンズ)チーフス=第2シードに挑んだ。KC は前半終了6分前で10点リードされたが、その5分間で2TD を挙げてあっさり逆転、最終的には 35 - 24 で勝利を収めて、こちらは何と50年ぶりのSuper Bowl !(50年前の第4回は勝利している)
因みにQB のPatrick Lavon Mahomes Ⅱ(パトリック・マホームズ2世)の父親は1997年から2シーズン横浜ベイスターズでプレイしていたパット・マホームズ(Patrick Lavon Mahomes)。


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実はこの両チーム、ある偉大な人間と所縁が深い。その偉大な人間とは言うまでも無く、Joe Montana (ジョー・モンタナ)様である。小生にとっては「我が青春のモンタナ様」「神様仏様モンタナ様」である。49ers 時代の背番号 16 は同チームのretired number=永久欠番なのは言うまでもない。

「逆転の〇〇」と言えば昔ならPL 、最近なら広島若しくはペイトリオッツという所が出て来るだろうが、この言葉が最もフィットするのが何つったってモンタナ様である。数々の劇的な逆転勝利を大学時代から演出し続けてきたのである。
ノートルダム大学3回生の1977年シーズンではコットンボウルで勝利して全米チャンピオンとなり、4回生でもコットンボウル連覇


1979年にSF 49ers にドラフト3巡目で入団、2年目の1980年シーズンの後半からレギュラーとなる。’81シーズンのNFC チャンピオンシップでは伝説の " The Catch " でDallas Cowboys (ダラス・カウボーイズ)に逆転勝利。その後のSuper Bowl 16(Jan. 24, '82)ではCincinaty Bengals (シンシナティ・ベンガルズ)を下してチームとしてもスーパーボウル初出場で勝利。その3年後の第19回もダン・マリーノ(Dan Marino)を擁したマイアミ・ドルフィンズに完勝して制した。1989年1月22日、ベンガルズと対戦した第23回では試合時間残り3分から92ヤードの " The (Montana) Drive " を過呼吸状態になりながらも成功させ逆転勝利。これで3回目のスーパーボウル制覇。
そして翌年の第24回ではジョン・エルウェイ擁するデンヴァー・ブロンコス(Denver Broncos)をボコボコにして(55 - 10)連覇達成。
90年シーズンも14勝2敗でプレイオフ第1シードとなったが、NY ジャイアンツと対戦したNFC チャンピオンシップで終盤にサックを食らい負傷退場しゲームも落とした。ここから彼のキャリアが暗転する。相次ぐ怪我に見舞われ、91年シーズンは出場無しでエースQB の座を完全に失う。92年シーズンも怪我が祟って試合に出られず、最終週で漸く途中出場し2TD を挙げてチームも勝利したが、既に居場所は無いに等しかった。


そして1993年、彼はトレードでカンザスシティ・チーフスに移籍。背番号は 19 となった。
そうするとLA レイダーズを退団し引退まで考えていたマーカス・アレンも合流する等して、チームも11勝5敗でプレイオフに進む。
ワイルドカードでPittsburgh Steelers (ピッツバーグ・スティーラーズ)を下し、ディヴィジョナルではあのWarren Moon (ウォーレン・ムーン)を擁したHouston Oilers (ヒューストン・オイラーズ)を下しAFC 決勝に進む。J. モンタナW. ムーンという対決は今でも伝説になっている。我々世代からすると泣ける位のゲームだった。(この両名は同い年で、ムーンは後年チーフスでプレイして引退している)
しかしチャンピオンシップではジム・ケリー(Jim Kelly)擁するBuffalo Bills (バファロー・ビルズ)に敗退。
1994シーズンでは9勝7敗で何とかポストシーズンに進んだが、ワイルドカードでマイアミ・ドルフィンズに敗れて、これがモンタナ自身のラストマッチになった。その3ヶ月後に引退を正式に発表し、2000年には殿堂入りを果たす。



ここからは雑談形式にて…

ジョー・モンタナを語れるなんて、それはアラフィフ以上という証拠(

三菱電機のCM で「どんなモンタナ」「ジョー況判断」ってあったなぁ~。モンタナ本人も出てたで!
バブルの終わりの頃やったと思うけど、なつい!


そんなアホなCM でモンタナ様もよう出はったなぁ

SEGA のメガドラのソフトで「Joe Montana Football」「Joe Montana Ⅱ Super Talk Football」ってのがあったんや

アメリカでは" Cool Joe " とか" Comeback Kid " なんて評されていたみたいやねぇ。
2つ合わせると「カッコイイ逆転男」って所かねぇ…


先ず、2世代前でレジェンドに近かったKen Anderson を倒して、一世代後のDan Marino、John Elway、Boomer Essiason といったスーパースターを悉く撥ね退けて、同い年のWarren Moon も退けて、でも結局Jim Kellyは倒せなかった。最後はエルウェイにもマリーノにも首を獲られた
モンタナ=スーパーボウル4勝0敗、ケリー=スーパーボウルは0勝4敗、因みにエルウェイ=4敗の後引退直前に連覇して2勝4敗。


因みに、ブレイディは6勝3敗、マニング兄は2勝1敗・弟2勝0敗=兄弟合計4勝1敗

2人で一つにカウントすんな!

Ken Anderson (ケン・アンダーソン)は現役時代はベンガルズ一筋でスーパーボウルは結局勝てなかった。引退から20年以上経って、スティーラーズのアシスタントコーチとして初めてスーパーボウルリングを手に出来た。超レジェンド級の選手だったのに今でも殿堂入りが叶っていない。

ジョー・モンタナって一体どんだけのスターなん?

日本で言えば少なく見積もっても、長嶋茂雄クラスやね

モンタナ全盛期は日本ではバブル絶頂で「巨人モンタナ六本木」が合言葉やったで(適当)

そんな「巨人・大鵬・玉子焼き」違うねんから、アンタ!

NFL 記録色々作ったけど、結局殆ど抜かれてるやんか! ブリーズとか、マニング兄とか、ブレイディとかに
リーグMVP だってあの人は獲ったの2回だけやろ?、ブレイディとかファーヴは3回獲ってはるでぇ!


ブレイディのヤツはインチキの塊だ、心配するな!、気にすんな!
Montana captivated the nation, Brady would never do.


今度のSuper Bowl はスティーヴ・ディバーグ(Steve DeBerg)所縁の対決にもなってるで。モンタナが49ers でポジションを奪った相手が先輩のディバーグ、これでお払い箱になった彼はカンザスシティで2年間プレイしている。

スーパーボウルも80年代初頭まではAFC 優勢、その後はNFC が圧倒的に優位。第19回~31回までNFC が13連勝なんて言う時代もあった。13連勝の口火を切ったのが49ers。80年代後半は49ersレッドスキンズジャイアンツがやたら強くて、90年代に入るとパッカーズとかカウボーイズが復活してあれよあれよとNFC が13連勝だったという訳。その後今世紀に入ってからはペイトリオッツのインチキ?も功を奏したのかAFC 側が押している。




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