ここの所、ただでさえ忙しい時期なのにある役所から色々急き立てられてブログ更新どころではなかったので、1週間も放置してしまった。

さて、今から丁度四半世紀を遡った1994年、後にある意味での怪物となるヤツが産声を挙げていた。
そのヤツの名はJR 西日本223系電車、今やまさに「関西の帝王」となったあの車である。
3ドア転換クロスシートで1989年に登場した221系の発展版というコンセプトに、1991年登場の207系の軽量ステンレスボディとVFD 制御方式の実績を加えて登場したのがこの帝王である。


223he412@ymtg01

大阪環状線方面に向かう0番台、丸形2灯式のヘッドライトが特徴。
阪和線は浅香駅北側にある大和川鉄橋の午後アングルである。見ての通り、下り列車にはあまり適していないから上りの後追い用のアングルと思った方が良いかも知れない。


223he406@uenos01

2015年5月末、上野芝駅付近で撮った作例から、0番台のHE406編成単独での区間快速日根野行き。
この辺りでも何とか撮れるかと思ってトライしたのだが、齧り付くにも齧り付ききれず、意外と障害物が多くこんな構図でした撮れなかった


223he412@uenos01

上野芝駅至近のこの場所、最悪なのは関空紀州路快速みたいに 8両で来られるとこんな風になってしまう。7両までしか入らないのであった。特急・区間快速・普通は6両以下なので何とか収められるのだが…。

223he415@ntki01
2015年10月清滝駅付近にて撮影

1994年9月4日といえば、関西国際空港が開業した日である。それに先立つ事約3カ月、1994年6月15日、関空快速が走り出した。これが223系の実質的デビューである。その時投入されたのが223系0番台だったが、当時は未だ6連が9本と2連が7本の合計68両の体制だった。しかし、ここから阪和線の主役だった113系の抹殺が始まったのも言うまでもない事である。
そしてこれがJR 西日本の誇るアーバンネットワークのターニングポイントになったのである。


デビュー当時は6連と2連で、京橋発着の6連とJR難波発着の2連が天王寺で併結解結を行い阪和線内だけ8連で運行するというのがラッシュ時にはあったらしい。そこから1999年5月から5連+3連となり、関空快速・紀州路快速併結列車が運行開始、2008年3月からは再度の編成替えで4連+4連に変わった。
そんな中、1995年4月からは関空特快ウィングを運行して優良指定席車を設けたが、一部車両をただ指定席にしただけというクオリティが祟って1999年5月10日に廃止。阪和線で燦然と輝く黒歴史になってしまった。


223he422@ymtg01
大和川鉄橋を渡る関空紀州路快速2500番台・後ろ4両は225系

2015年10月に381系をメインに撮りに行った序のショット。2011年10月以来4年ぶりの事だったが、この鉄橋の東側アングルに足を運ぶと曇られるというジンクスが出来てしまった。

223he428@ymtg01
少し晴れてきた時間帯の作例。こちらも223系+225系というパターン

今や関空快速の混雑はかなりのもので、南海の空港急行も同様である。その一方、特急であるはるかやラピートの混雑は然程でもない様である。大阪方面から日根野まで紀州路に乗って解結時に関空快速に乗り移ろうとすると満員で乗り移れないケースがあるらしいのである。

あくまでもこんな車を撮りに行ったのではない事だけは記しておく。この時はまだ阪和線を381系くろしお103系が走っていたのであるからそっちが勿論ターゲットだった。223系はあくまでも副産物。
381系103系・205系といった国鉄型車両が消えた今、阪和線は223系とその後輩225系が普通と快速を完全に牛耳り、その隙間に各種特急が入っている様な感じに見える。
阪和線を牛耳ったと言っても223系がその本領を発揮出来ているとは言えない。同線でチマチマ走っていただけの時点では関西の帝王になんかなるわけがなかったのであって、デビュー直後に起きたあの大災害がきっかけとなり覚醒へと向かうのである。


今日はこの辺にしといてやるので、この車両が覚醒し帝王へと駆け上る話は次回=Part 2 に譲る




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