国鉄70周年の話も其の六まで来てしまった。
その国鉄だが、表面上は32年前の1987年3月31日に消えた。だが本当は21世紀の今になっても終わってはいない上に、我々はこれをまだまだ引き摺って生きていかねばならないのである、少なくともあと数十年は。


183b63@yod01
なんちゃって183系のフクB63編成 2011年・淀川鉄橋にて

1987年のあの時、何で国鉄を民営化に際して6つにも切り刻んだか?
それこそ東西に割る位で良かったのではないかと思う御仁もおられよう。因みにNTT (電電公社民営化で1985年発足)の場合、地域会社に分割されたのは1998年で東日本・西日本の 2社に分割されたのみである。
民営化を推進した当時の政権の意図に於いて国鉄の経営再建というより、野党の支持基盤であった総評を支えた一大勢力である国労=国鉄労働組合の解体に重きを置いたのは誰もが知る所。現に当時の総理も「国労が崩壊すれば総評も崩壊するという事を意識した」という旨の発言をしている。この発言には改革の功労者の一人である葛西敬之も批判を口にした。こんなに切り刻まれた事で今でも利用者にとっては色々不便な事も未だに起きている。「30年以上戦争」もこんなに切り刻んだ事と関りがあるのは間違いない


「30年以上戦争」を語る前に、「20年戦争」もあった。ここでは20年の方を語る事とする。
民営化に際して労組はどうなったかというと、1986年7月に国労から離脱した真国労が鉄労・動労・全施労と共に国鉄改革労協を結成し87年2月には鉄道労連となった。更には国鉄改革に反対する不良職員のJR 採用は断じて許さないという旨の決議を採択し、当時の国鉄総裁(杉浦喬也、後に国鉄清算事業団理事長→ANA 会長)にも国労・全動労・動労千葉組合員をJR に採用しない様要請した。この要請自体は労働組合による不当労働行為要請と見る事も出来て、一種とんちんかんな事象とも考えられる。とんちんかんといえば分割民営化に反対しながら、JR には採用しろと要求し続けた国労側も一緒ではある。


国労組合員の内、JR に採用されなかった者達は国鉄を継承した法人である国鉄清算事業団に送られたが、1990年に解雇された。その時点で残っていた1047名の国労組合員は国労闘争団を結成し、JR への不採用は不当労働行為であると各地の地方労働委員会に不服を申し立てた。そこから闘争団と国・JR との20年戦争が始まる、これが所謂 JR 採用闘争であった。団員達はアルバイト等をしたり、物販等の事業を興してそれぞれの生活費や活動費を捻り出した。因みにその事業の中には現在でも継続しているものもあるらしい。
地方労働委員会が国労側の不服を認めると、JR 側が中央労働委員会に再審査を要求するものの敗れてしまい、次は東京地裁に中労委を相手取り提訴。1998年にJR 側が勝訴し中労委決定は覆されて、2003年末に最高裁判決が確定し「不採用が不当労働行為であったとしても国鉄を継承していないJR に責任なし」という事になった。その後国労闘争団は国鉄清算事業団を引き継いだ鉄建公団、更にそれを引き継いだ鉄運機構(JTTR)を相手取り訴訟を起こした。
この20年戦争の方は、鳩山政権下の2010年になって一応の最終的な決着を見る事となったが、その20年の間に一部の人間は鬼籍に入る等して全体も高齢化した。何と言っても闘争団員のJR への復帰は叶わなかった。
2009年9月の衆議院選挙で勝利した民主党政権が成立すると、翌年4月9日に民主・国見新党・社民党の与党に加えて公明党も加わって和解案が作られ、国土交通省もこれを了承。これに対し国労サイドも同月26日に行われた臨時全国大会にて和解反対派を議場から締め出して採決するという暴挙まで使って受入を決議して取敢えず和解が成立。約900人(物故者50人の遺族を含む)に対して約200億円の和解金が支払われた。そして和解案の内容を受けて当時の政府から2011年6月に改めてJR 7社への雇用要請も行われたが、連名での拒否回答が出された。国労本部も翌月に雇用要請を断念する事となり闘争団員達のJR 復帰の芽は断たれた。
これで国・JR 対国労という20年戦争は終結となったが、この以前から国労本部にとっては闘争団員達は邪魔な存在でしかなかったのも確かであった。

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115系岡山車D29編成 2018年11月・備中箕島~早島間

国鉄改革に寝返ってJR への大幅採用(希望者の99%)を勝ち取った鉄道労連側だが、これが一枚岩になんぞなる訳もなかった。鉄道労連=全日本鉄道労働組合連合会(87年以降の略称はJR 総連)は、何せ鉄労・動労を始めとした寄合所帯に過ぎず、案の定最初から判り切った様なアングルが作られて鉄労系と動労系で抗争勃発。鉄労は労使協調を打ち出しどちらかというと穏健路線、これに対し動労は本来が国労に負けず劣らずの武闘派なのがウリで、しかもそこには革マル派が入り込んでいるという背景があった。

実はJR 総連分裂の引き金を引いたのが上述の中労委決定だった。これを受けて動労色の強いJR 東日本労組が国労闘争団員の再採用をスト権再確立闘争をしてでも絶対阻止するとブチ上げた事で、これに鉄労系の人間達が反発。西日本・東海・四国・九州の組合が総連を離脱して鉄労系のJR 連合が1992年に発足。(国労から分離した鉄産総連との合流)
東海並び西日本ではJR 連合系が幅を利かせ、四国と九州にはJR 連合系の組合しか存在しない。これに対し関東以北と貨物ではJR 総連系が幅を利かせている。
そして何と、東日本・北海道・貨物を中心に国労も息を吹き返して、現在は組合員数を少数派(全体の約6.3%程度)ながらも9000人近辺まで再び増やしている。


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485系A06編成パノラマグリーン 2008年・大阪駅にて

2005年4月の福知山線事故をきっかけに、一時JR西日本を中心に大問題となった所謂「日勤教育」も、元々は国鉄民営化に端を発していると言える。この日勤教育を巡っては訴訟沙汰も起きているが、これも国鉄民営化が絡んだ所に端を発している。民営化直前の1986年になると、「人材活用センター」「要員機動センター」なるものを設けて民営化反対の国労組合員をここに押し込み、只管雑用を押し付けて締め上げた上で国労脱退もしくは国鉄退職を迫るというブラック企業紛いな事を行ったのが、その後JR にまで引き継がれてしまったという事らしい。


労使関係の話はここまでとするが、国鉄に絡んではこれとは全く比較にならない程の大変な事象を今も又、これからも引き摺っているのである。
という訳で、国鉄誕生70周年の話は其の七へとキャリーオーバーする。





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