国鉄発足70周年という訳で、今回=其の伍では国鉄の70年代以降~民営化前夜までの事を車両の変遷というアングルで見て行く事とする。

前にも述べた様に70年代の国鉄は停滞が目立ったとはいえ、1973年に381系がデビュー、75年にはキハ66形、77年にはキハ40系50系客車がデビューしている。
激化した労使紛争も鎮静化を見せ始めた80年代では1981年に201系185系、83年にはキハ183系が登場。だた当時の国鉄財政状態の悪化のアイコンとも言えるのが、あくまでも急行用として開発された185系が、途中から特急型という事にされてしまった話である。急行料金と特急料金ではそれなりに差があるからより高い金の取れる特急として運転せよという事だったが、そのため、特急から普通まで使えるという触れ込みが付いた185系は完全に遜色特急車となって不評を買ってしまった
更にはその遜色を誤魔化すために新特急なんて言うヘンチクリンな名称まで生れてしまった。


185c3@nirym01
185系大宮車C3 編成 「湘南ブロック」時代の2016年12月・原木~韮山間

80年代に入って201系や185系の登場、更には東北新幹線開通もあって首都圏でも風景の変化があった。更に東海道新幹線で100系がデビューした85年あたりになると民営化後を見据えて作った様な車両群が登場し、全国レベルでその風景に変化が加速した。
1980年代初頭までの時代でいえば、ステンレスカーは東急の専売特許みたいな所があり、他では南海・京王・静岡鉄道・各地の地下鉄が導入していた位だった。



205hi603@mikng01
205系日根野車 205系でも西と東では前面が少し異なる 2015年・上野芝駅付近にて

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千葉時代の211系、2012年2月・佐倉~南酒々井間

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本当にギリギリで国鉄形という213系 2018年11月・備中箕島~早島間にて

1985年以降はステンレスの時代に突入した。80年代に入ると軽量ステンレス構体が登場し、鋼製車体に比べて若干でも軽量化出来てしかも全体的な溶接が不要で納期も短く出来て、更には塗装の手間も要らないという事でステンレスカーが一気に勢力を伸ばし始めるのであった。
当時国鉄財政は火の車でありながら民営化後を睨んで、発足するJR 各社の初期投資負担を減らすという事も重大事とされていて、首都圏を中心に老朽化や陳腐化の始まった古い車両を交代させたいという狙いで新車をある程度纏まった数で急いで導入する必要に迫られた。


そこで国鉄は東急車輛に対し「205系を大量発注してやるから、その代わりにステンレス加工に関する技術情報を公開しろ」というディールを持ち掛け、東急車輛サイドも渋々このディールに応じた。そしてこれが鉄道車両の歩みに於ける大きなターニングポイントにもなったのである。
非常に硬度の高い合金であるステンレスの加工は鋼鉄やアルミのそれに比べて難しく、鉄道の様な大型の物になると余計に難しかった。これに対し東急電鉄と東急車輛は挑戦を重ねて軽量ステンレス構体を編み出したが、これは1社独占の技術でありこのままでは広範囲に普及させる事は出来なかった。


東急車輛が国鉄に歩み寄った事で、最期の2年程の間でラストスパートを仕掛けてある程度の数の新車を導入出来たのだが、205系、211系、213系、415系後期形、キハ185系、キハ31・32・37・38・54形といった辺りの、国鉄末期型ともいわれる一連の車両達の大部分には軽量ステンレス構体が用いられたのである。
それから30年近い年月を経て2012年に東急車輛の鉄道関係部門はJR 東日本に買収されて現在の J-TREC =総合車両製作所になったのである。

意外な長期戦になったこのネタもラストスパートに向けて、其の六へと続く!




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