発足から70年を迎えたという国鉄の話も最初は 2回で終わるかと思ったが、何しか書く事が色々出て来たので、この時点で既に其の四になってしまった。

話は70年代に戻るが国鉄運賃の急上昇は1976年に始まった1976・77年に 5割という破格の値上げが 2回繰り返され、その後も運賃値上げが風物詩の様になった時代が続いたのである。これでも負のスパイラル状態からの脱却なんて到底無理で、旅客だけでなく貨物荷主の国鉄離れが一層深刻になったのであった。
80年代に入ると風物詩の如く地方のローカル線廃止のニュースが相次いで流れていた。それでも相次ぐ合理化と値上げの甲斐もあって民営化プロセスが本格的に動き出していた1984年度に旅客部門だけは黒字を計上出来ていた。それでも焼け石に水で貨物部門は大幅赤字で長期債務の返済もあって全体では大きな赤字だった。


民営化時点で37兆円オーヴァーまで膨らんだ国鉄の借金だが、何処から借りていたかというと直接的には財政投融資と政府保証鉄道債券である。企業の破綻した時は破産・会社更生法若しくは民事再生の何れかの手続きが取られる。破産や会社更生なら債権者は債権の一部又は全部の放棄を強いられる。
国鉄の場合も経営破綻だと考えれば、ここに挙げた様な手法が取れた可能性を考えても不思議ではない。でも、それはあり得ない話だった。債権者が国であり、貸し付けの原資は財政投融資と政府保証鉄道債券だったからである。国が一部でも債権放棄してしまうとこの両方が大きく欠損し、年金・簡保・郵貯が破綻し日本国債の信用まで大幅に落ちてしまうという危険性を大蔵省が危惧したからとされる。
それでは一部でも民間から借りて調達出来なかったのかといえば、国鉄に必要とされた1000億~1兆円単位の貸し出しなんて当時の民間の金融機関では無理だったと考えるのが妥当である。
国側もこれ以上貸すのは困難という状況下で、国鉄のままでは民間からの資金調達もやり難い、そうなれば民営化するより他はなかったという指摘もある。


183omh102@hghs01
183系オオH102 編成10連 2012年5月ヒガハスにて

国鉄破綻を語る上では民業圧迫を避けるという名目で副業禁止にされていたはやはり大きい要素だった。どこぞのJR みたいに副業で本業の赤字を補い御釣が来て上場にまで漕ぎ付けるなんて話はその当時から見たら宇宙的 SFファンタジーみたいな話だっただろう。1950年代以降世界的に鉄道は斜陽産業とされていた中で、東海道新幹線を作り上げて鉄道の新しい可能性を示したは良かったが、それでとんでもない借財を背負い尚且つ鉄道だけでビジネスを成り立たせなければならないというのは大きなハンディキャップだったのは明らか。途中からでも遊休地を使って今の様に色々副業を行う事が出来たなら、37兆円なんて言う債務を残さずには済んだ可能性がある。

183c35@kyt01
なんちゃって183系のフクC35 編成 2010年京都駅にて

国鉄を苦しめたのは設備投資の問題も然る事ながら、人件費も大きかった。
戦争帰還者に職を与え生活を保障するという意味合いもあって発足前から大量に採用したのは、労務及び社会保障政策としては仕方が無かった部分は否定出来ない。そこに年功序列・終身雇用・社会保障がプラスされると人件費はドンドン上昇した。
国鉄には大きな労組が複数存在したが、その中でも最大勢力だった国労は総評を支える一大労組でもあった。そこに左翼過激派まで入り込んで来て国鉄のイメージダウンに大きく貢献してしまったが、それでも70年代初頭のマル生運動までぶっ壊し国労は国鉄に対し随分有利に戦う事が出来た時代が続いた。それこそ50%賃上げ要求なんてとんでもない事をブチ上げ大規模ストをやったりしたが、これで世間や私鉄各社労組の反感まで買い自分達の首を絞める格好になったといえる。
80年代に入ると国労はドンドン崩されて瓦解への道を辿る。その当時、総務労務畑(職員局)のトップとして労組に対峙したのが今やJR 東海の老害となりつつある?葛西敬之だったのである。
斯くして、民営化前年の1986年になると国労の組合員数は全盛期の20%程度にまで落ち込んだ。それに合わせて総評は大打撃を食ったのは否定出来ず、死んだふり解散からの衆参ダブル選挙圧勝に繋がったと考えられる。これはまさに時の〇曽〇政権が一番望んでいた展開で国鉄分割民営化のコアはコレだったといえる。そしてその3年後に総評は崩壊、労働界は再編されて連合が発足する。


kh18126@osk
これも花の1968組の一員・キハ181系 2009年大阪駅にて

今まで書いて来た他にも色々出来事はあって、小生の力ではこの程度しか語れないが、国鉄から業務を継承する12の法人が作られて、日本国有鉄道は1987年3月31日にその37年9ヶ月の生涯を終えた。
これにてめでたしめでたし…ってそんな訳無いやろが~っ


国鉄改革トリオ・国鉄の青年将校とも呼ばれたものの本社の怒りを買って一度は左遷まで食らった、井手正敬、松田昌士、葛西敬之だが、最終的には分割民営化の立役者となって、民営化後はそれぞれ本州3社=西日本東日本東海のトップとなるのだが、そのプロセスにも「30年以上戦争」のスウィッチが存在したのである。

結局フィニッシュには至らず、遂に其の伍へと行く事になる



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