高岡といえば昔は越中の国府が置かれていた所である。北陸本線を走る特急群の最後の雄姿を収めようと高岡に足を運んだのは今から丁度 5年前になるが、その時の街の印象というと豪く寂れたものだった。金曜日夕方だというのに中心市街地で歩行者あまり見掛けない、旧市街地は恰も死ぬ寸前みたいに見えた。

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485系特急北越・2014年5月 高岡~西高岡間にて

嘗ての特急街道だった北陸本線も今や昔、第3セクター化されて半ばローカル線に転落してしまった。
新高岡駅は中心から外れている、こうなると町が更に分散して薄められて更には新幹線のポンプとしての吸引力は相当なものなので、衰退がアクセルレイトされてしまう事が十分に予測される


ここまでネガティブな話ばかり書いて来たが、高岡をディスる目的でこの記事を書いているのではない。高岡という所は長い歴史の糸というものを紡いできた本来は立派な街なのであり、それが国土政策や現代の流れによって蒸発してしまうのは忍びない事だと思っているのである。

そんな高岡だが、高岡銅器という名産品がある。銅・真鍮を鋳造して作られる銅器だが、国内シェアは95%とほぼ独占で、作られる物は大仏・梵鐘の様な大きい物から銅像、更には食器・花卉・アクセサリー類まで多岐に及ぶ。
この地場産業は1611年に前田利長が高岡城入りした時、鋳物職人を呼び寄せて様々な特権を付与した上で金属産業による街の繁栄を図ったのが始まりとされる。この当初作られていたのは鉄器であり、銅器が生産されるようになったのは19世紀に入ってからという事らしい。
明治以降は美術工芸品が盛んに作られる様になったが、太平洋戦争中は地金の銅が不足した事と軍用機部品の生産の必要性に迫られた事から、アルミニウムの鋳造加工が主になった。これが戦後に富山でアルミ関係の産業が発展するきっかけになったとされる。
1970年代前半までは中心市街地に近い金屋町に関連企業が集まっていたが、1976年以降は戸出地区の銅器団地に移転していった。


400年の歴史を持つ高岡銅器だが、バブル崩壊した1990年代以降は苦境に立たされる様になる。そこに職人を含めこの産業に従事する人間の高齢化が追い打ちを掛ける様になった。大仏・梵鐘等から神仏用品といった「宗教関連用品類」需要の大幅低下も逆風となったのは間違いない。
補足すれば、宗教法人の宗教活動収入はここ20~25年で40%前後減少しているとされるので、その関連業界でも倒産廃業が相次いでいるという。


それでも近年は町興しの一環で人気アニメ漫画等のキャラクター銅像設置が各所で行われる様になり、そこで高岡銅器が使われる事で知名度がアップし受注も増えているという。
1975年に国指定の伝統的工芸品となり、79年には特定産業の産地指定を受け、2008年には高岡銅器協同組合は特許庁の「地域団体商標」としての登録がされた。又現在とやまブランドの一つとして大々的に売り出す動きも盛んである。
高岡銅器の鋳造方法としては主にこの4種類=双型鋳造・焼型鋳造・蝋型鋳造・生型鋳造が用いられている。


高岡銅器は1950年代辺りから輸出もされているというが、今世界的に覚醒するチャンスが訪れようとしている。
そして現在そのムーヴメントは隣接する砺波市で具体的に進行している。

1回では冗長になる可能性があるので、この先はPart 2 にて!




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