Part 3 までは2014年の話だったが、この番外編 #1 はそこから更に1年遡っての話になる。
2013年10月13日は3連休のその中日だった。 ひたち 50周年号が 485系国鉄色 によるリヴァイヴァル列車として運行されたのを御記憶の方も多かろう。


その頃既に首都圏では 485系 が現れるケース自体レアになっていたので、小生も何とか撮りに行こうと策を練った結果、勝田周辺の通過時刻が10時20~30分前後と予想されたので、撮影地の候補は2箇所に絞られた。那珂川を渡る鉄橋か、佐和駅至近の場所かという選択だった。こういう時に慣れない場所はリスクが高いと判断した小生はキャパシティも非常に大きく、何回か足を運んだ那珂川の鉄橋を選んでしまった。

これは相当な激バも予想されたので、前日夜に笠間市にある健康ランドに入り、当日早朝に水戸に向かい通過 3時間以上前に現場入りしたが、先客は既に10人程度
この後待っている間にもドンドン撮影者の数は膨れ上がって、100人近くに上っただろうか?それでも周囲の人達と色々談笑なんてしながら本番に向けてテスト的撮影もして時間を過ごせた。
やはり通過予定時刻が近付くと緊張も一気に高まった。


裏被りもなく、大変貴重なワンチャンスはモノに出来た。この一瞬のために前日の夜から頑張った甲斐はあったというのは喜ばしい事なのだが・・・

485k2@nakw01

今振り返ると反省点は多い。

この鉄橋も架線柱の間隔が狭い。それを考えると正面がちなアングルを選択したのは正しいとは言えなかった。顔への日の当たりも10時30分頃だとまだ弱かったのも計算違い。
もう少し手前に引き付けたアングルで、もっとサイドにウェイトを置いたバランスの絵作りをすべきだったのである。
後日ネットで探すと佐和駅近辺の方が光線状態が良かったと判明


5年前と今では小生の構図作りのスタイルもかなり変ってきたが、色々な経験を重ねないと判らない部分は多い。
この列車、当初の予定では 仙台車(A1+A2)が充当される筈だったらしいが、実際に充当されたのは新潟の K 2 編成 だった。


この 1ショットだけだとさすがに寂しいので、この日に撮った別の作例を挙げて行く

e657k15@nkgw01

鉄橋の脇から水戸側を向いて撮った下り列車の作例、400mm相当以上の超望遠にトライしたが、何処か今一つな感じに・・・
この正面近いアングルだとモスラの幼虫とも揶揄される理由が判るか?


e657k7@nkgw01

今や常磐線の天下統一を成し遂げた E657系 だが、今風の安っぽさが拭えない。

415k536@nkgw01

今はもう見られない415系

その後正午過ぎまで撮影したが、安中貨物の時だけ曇られてアウト。
折角なのでと午後は気を取り直し、ひたちなか海浜鉄道にチャレンジする事とした。関東でも貴重な気動車王国である。


mik300103@isozk01

三木鉄道からやってきたミキ300形103号車、カラーも三木時代のまま。こんなローカル色の強い車が都内から約100kmの所で走っているのだ。
初撮影である上に非電化路線は撮り慣れていない小生としては、構図作りが難題。電化路線なら架線柱という厄介者が構図作りの補助目標にもなるのだが、非電化だとその手は使えない


実は件の 3連休、北陸本線では 475系 による100周年記念号の運行があって、そちらの方が話題になった様な気もするが、この鉄橋に居合わせた中にも翌14日の復路を狙って北陸に飛んだ人もいた可能性は高い。3連休では北陸への夜行バスやホテルも取れず、現地のレンタカーも難しいと判断して早々に諦めてしまったが、何処と無く後悔は残る。


ここで 485系 は1968年登場と聞いて訝しむ向きもあるだろう。確かに 481系 =西日本用が1964年に登場、翌1965年には東日本用の 483系 も登場。そして、全国で運用出来る形にブラッシュアップされて出てきたのが 485系 である。更に1971年になると横軽対応の 489系 も登場して来るのであった。
そうは言ってもこの一族の中では 481 / 483系 は運用エリアも限られ、両数も少ないので、 485系 があくまでも真打であり、前出 2系列はその露払いでしかなかったのは明らかである。


小生は東京出身という事もあって、東京圏の在来線特急というと高崎・上越・信越・中央・総武の各系統で主力だった 183/189系 の方が優勢だった様に思われる。 485系 は東北・常磐系統を主に担っていたが、御存知の通りに1982年の東北新幹線開通と共に つばさ 以外は殆どが姿を消してしまった。
そもそも幼少期から常磐線に乗ることも殆どなかった小生は 485系 とは縁が薄かったのであった。(後に日光・きぬがわの一部が485系小山車での運転になるが)
乗車したのも 雷 鳥 ひたち しかない。


先ず 雷 鳥 だが、最初に乗車したのは1983年8月だった(当時は中学生だった)と記憶している。家族と一緒に京都に行き、単独の自由行動で京都と金沢を往復した。ただ単に 雷 鳥 の乗り鉄しかしなかった様な1日だった。その翌々年(1985=高校生になっていた)には仙台から上野まで ひたち に乗車した。東北を旅行してその大トリ、特急 ひたち 全区間乗車での帰京と相成ったのである。
(知っての通り、2011年の大震災を受けて今や上野~仙台を ひたち で走破するのは不可能になってしまった)


それから 20有余年、2008年の晩秋だっただろうか、出張の時に京都大阪間の移動で30分程度乗車したのが結局最後の乗車になってしまった。
その日は湖西線が強風でストップし北陸からの特急もダイヤが大幅に乱れた、そこで乗る筈だったサンダーバードではなく 雷 鳥 に乗車するという今となってはそれこそ涙が出るようなセレンディピティを得る事が出来たのである。


485a06@osk02
パノラマグリーンだった京都車 A06 編成  2008年5月大阪駅にて


1回で終れる分量ではなくなったので、 其の弐を追加 する事とする。




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