1997年の話をしようにも、Part 12 まで来るとネタも尽きてはくるが、流行は如何だったかを一寸紐解いてみる。
あのたまごっちを憶えているだろうか? 前年に発売されたものの、当初は余り流行らなかったが、年が変わると一転大ブレイク! 入手不能になるほどの大人気を博した。当初のターゲットは10代の女子だったが、それがあれよあれよと老若男女と問わす広がったのであった。
女子中高生といえば、ルーズソックスが流行っていたのがハイソ=ハイソックス主流に切り替わったのもこの頃。その他のファッション関係では裏原宿スタイル、モード系、ホルターネック、109ファッションといった辺りが流行った。
映画「失楽園」の爆発的ヒットを受けて流行語大賞もこれになった。他に流行語として認められたのは、「ガーデニング」 「マイブーム」 「パパラッチ」 「日本版ビッグバン」 「郵政3事業」等であった。
今や老害やDQN の御用達車、路上の迷惑者となったトヨタ・プリウス(TOYOTA PRIUS)や、ハイパーヨーヨーが出現したのもこの年であった。


脇役になっても主役を食う、The 珠玉の名作


2008年から始まった V 編成 へのコンバートに当っては、1~4号車はそのまま1~4号車、旧13号車→5号車、旧10・11号車→6・7号車、旧16号車→8号車という形に組み換えられた。グリーン車だった6号車が普通車指定席でシート配置はグリーン車時代と変わらず。全席禁煙化で3・7号車に喫煙ルーム。パンタ及びカヴァーは700系同様の物に変えられ、2・7号車に配置。
V という編成記号は嘗ての100系グランドひかり=ダブルデッカー4両のもの以来の復活となるが、因みに100系V 編成は275km/hでの運転、つまり高速化も実は視野に入れていたのではあるが、実現はしなかった。


2013年秋~冬にかけては4・5号車の指定席化=2列+2列への改造がしれっと行われた。のそみ時代のグリーン車の旅に近いものが、こだま普通車指定席の料金で再現出来て、更にはこだまという事を活かしてゆったり時間を掛けて楽しめるという超お得なチャンスが広がったのである

小生が 500系 との再会を果たしたのは2010年5月、仕事で大阪に行った際に新大阪で新幹線を降りたその序でだった。

500v3@sosk01

新大阪の20番線から博多に向けて出発する場面を押さえてはみたが、逆光気味のトップライトで醜い絵になってしまった

500v8@sosk01

2011年5月、再び逢う事が出来た。この時も新大阪に降り立った序でなのだが、この時はV8 編成元W 8 編成=関東で最後に撮った編成で1年3ヶ月振りの再会だった。
このアングルでも、夏場の夕方以外は晴れると逆光に近く、ハレーションも出たりするので、余り具合は良くない。 それにしても、ホンマにストイックな体をしている。


500v8@sosk02

この2枚が全く同じショットに見えるかも知れないが、1枚目は中望遠(120mm相当)で、2枚目は下がって望遠域(220mm相当)で撮ったという違いがある。


御存知の通り、 W 編成 時代の営業最高速は300km/hであったが、 V 編成 になって285km/hに変更された。8両の中に必要な機器を全て搭載して300km/hで走行する事は可能なのであるが、安全基準に抵触するので営業最高速を変更している。
「腐っても鯛」という言葉があるが、8両になっても、こだまになっても 500系は500系 なのだ!


300km/hでの営業運転という事にポイントを絞って開発されたこの車だが、存在そのものが高度な機能美であるのに加えて、このフォルムには一種の形式美も備わっているといえ、それは300km/hでの営業運転が無くなっても変わらない。こんな車は世界の鉄道史上でも簡単には見つからないであろう。「走る機械芸術」という言葉を体現した数少ない存在と言える。

虜になった様に何回も 500系 に乗り、狂った様に何回もレンズを向けた、その事が栄誉にすら思える。東海道から去ってしまった今も、その佇まいを前に、思い入れが甦り身を焦がしそうになる。 8両に切られて、のぞみ、さくら、みずほにドンドン追い越される姿であっても、ずっと傍で見ていたい…、我々はやっぱりこんな車両を待っていたのだ…、コイツに代われる奴はいない。
鉄道ファンの憧れそのもの、そしてずっと愛する存在。


この V 編成 だが、山陽のこだま自体がが岡山以西に偏っているので、運用も岡山以西が中心にならざるを得ない。しかも充当列車自体が少ない。なので季節にも依るが撮影地も限定されてしまう事も非常に痛いところである。中山間部をトンネルで貫いている区間の多い山陽新幹線の事なので、駅撮りを除く撮影地は余り多くない。ここから岡山以西に限定すると更に限られる。

防府市(山口県)の国道2号 BP とか、東広島駅から西に少し行った所、高梁橋梁はそこそこ有名だが、他には土井駅(福岡市東区・香椎線)の近所に俯瞰気味で撮れる場所があるとか、福山駅近くの商業施設の屋上駐車場からも撮れるとかいう情報もあるから、探せばまだ見付かるかも知れない。
ただ、低速で走っている都内と違い沿線撮りは相当難しい事を覚悟せねばならず、こだまは全駅停車なので駅に近い場所を見つけて狙うのが無難であろう。
登場から20年が経過した現在、古い車両を末永く使うJR 西日本と雖もこの車両に残された時間はそう長くは無いと思われる。


さて、このネタもいよいよ最後という事で、
Kenny Rogers (ケニー・ロジャーズ)の超有名曲である " LADY " (1980年)を捧げて掉尾を飾る事とする。
これは彼がカントリーからポップスに本格的に転向した時代の曲だった。曲を書いた Lionel Richie (ライオネル・リッチー)がオファーを出して、Las Vegas (ラス・ヴェガス)のスタジオにてたった一晩の内にレコーディングされた。(
1980年の9月にリリースされてから、11~12月にかけて Billboard Hot 100 で6週間#1 になり、彼の代表曲になったが、年月を経た今も色褪せない珠玉の一曲である。
毎度毎度の展開ではあるが、どの様な曲かについては、こちらのようつべでもご参照頂きたい



※同曲の歌詞の項目は規約改正で削除=2024年4月



ここまで12回に渡って、全てではないものの、1997年組の車両達を挙げていった。確かに 500系 という歴史に残る最高傑作と叡山電鉄900系というスターを擁してはいる。ただ、全体的に見ると、この2系列が突出してしまっている。これでも充分花形世代と言えるのかも知れないが、1988年・1989年組あたりと比べると総体的には見劣りする気がする。
この時代はバブル崩壊から5年以上が経過して、世界の中でも日本が一人負けをしているとすら言われ、この頃から鉄道界でもスターが出難くなって行ったのは間違いない。
タイトルで「結構微妙」と評したのはこのあたりを鑑みての事だった。




)R&B 出身の L. Richie と、カントリー出身の K. Roders がポップスの世界のどこかで出会うという事だったのだろうと、ケニー自信は後に或るインタビューで述べている。
この曲の大ヒットはケニー本人のみならず、当時 Commodoors (コモドアーズ)を脱退したばかりのライオネルにとってもソロとして大成功する地盤になった。




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