1997年といえば、この年に産声を挙げたものも色々ある。
大阪は梅田にあるハービス大阪=HERBIS OSAKA(ホテルの The Ritz Carlton Osaka 等で有名)、福岡の天神には駅ビルのソラリアが誕生し福岡三越が開業。
大阪ドーム(現・京セラD 大阪)、ナゴドことナゴヤドームが誕生し、日本のプロ野球は本格的なドーム時代に入る。


岡山・磐越・北陸の各高速道路が次々と全線開通になった上に、ボッタクリ道路として名を馳せた東京湾アクアラインが開通したのもこの年。
今では御馴染みになったメモリースティックが誕生し、ソニーから7月に発売された


テレビでは、「おはスタ」、「踊る!さんま御殿!!」、「奇跡体験!アンビリーバボー」という今でも続く長寿番組が始まった。更には「ビーチボーイズ」、「ラブジェネレーション」、「踊る大走査線」、「失楽園」、「ふぞろいの林檎たちⅣ」等のドラマがヒットした。

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(今は亡きN6編成 2008年7月・高崎駅にて)

JR 東日本 E2 系新幹線電車

彼方此方を少しずつパクった様なこのスタイル。700系より先にデビューしているのに700系のパクリにまで見えてしまう。
小生は元々東北・北陸・上越系の沿線に行く機会が殆ど無く、乗車した回数は僅か。乗車した印象としては、この年代のJR 東日本らしく内装がクソ! しかも狭いという2冠王。
当然、ブルーリボン・ローレル賞レースでも惨敗。御存知の通り、初代「はやて」なのだが新幹線車両の中で一番影が薄いのはこの車かも知れない。


1998年2月の長野冬季五輪に先立ってその前年に長野新幹線(現・ 北陸新幹線 )が開業。そこにE2 系(N 編成)を投入するに当っては大きなミッションが課せられていた。
その一つは碓氷峠周辺の約30kmという長い急勾配。新幹線の様な高速鉄道でそもそもそんな急勾配が連続するのは致命的とすら言えるものだが、そこだけワープする訳にも行かない。そこで回生抑速ブレーキを搭載した(碓氷峠ブレーキと呼ぶ事もあるらしい)

50HZ・60HZの両方の周波数で走らなければならなかったというのも新幹線では初。1964年開通の東海道では全区間60HZ に統一したが、長野(北陸)では軽井沢~佐久平間に周波数の境界を設けざるを得なかった。
東海道開通から4年を経た1968年に交流50・60HZ に対応する 485系 583系 が登場したので、それから30年近く経った90年代後半ならここの部分は然程大きな難題にはならなかったかも知れない。

更に加えて言えば、JR 東日本の標準となる新幹線車両として、東北新幹線でも275km/hでの長時間連続走行にも耐えなければならなかった。そういった辺りの条件を満たすべく作られたのがこのE2 系という事になる。


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(東北新幹線用J15 編成=0番台 2008年7月大宮駅にて)

300系の様にエポックメイキングな存在とまでは言えない、それこそ 500系 の様に機械芸術と呼べるような飛び切りの存在感なんて一切期待出来ない。影が薄いと言いながらも、同世代にあたる700系(JR 東海 / 西日本)と共に一時代を築いた車両であるのは明白である。

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(J64 編成=1000番台 J15 と同日同所にて)

大宮での画像2点を比べると、J 編成でも0番台と1000番台でサイドが明らかに異なるのが判る。小型の窓を採用していたのは0番台のJ2~15編成で、1000番台(J51~)になると窓が大型化される。0番台は途中から10連化されたので、小窓と大窓が混在する編成がある。

1997年にデビューを飾った長野・北陸用のN 編成だが、今年3月で運用終了し全廃になった。東北を走っていたJ編成でも E5 系 増殖で上越に移される編成が増えているが、それも E7 系 再増備となれば駆逐されるであろう。現在も神戸で E5 系 が作られていて E2 系の肩身はドンドン狭くなっている。

次回はどの車が槍玉に上がるのか…、そこは Part 3 にて!




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