Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

2019年07月

小生は現在、Marilyn Monroe(享年36)、John Lennon(享年40)、Elvis Presley(享年42)、John F. Kennedy(享年46)、ジャンボ鶴田(享年49)といった人達の死亡時の年齢は超えてしまっている。近い将来は石原裕次郎・美空ひばりの死亡時年齢も超えてしまう。
日本国有鉄道(Jun. 1st, 1949~Mar. 31st, 1987)=享年37歳9ヶ月。JR は現在32歳4ヶ月で国鉄解体時の年齢を超えてしまう時は遠くない。


国鉄発足~分割民営化~JR 以降の合わせて70年になるストーリーも漸くフィニッシュ。今回は総括みたいな話になる。
国鉄改革=分割民営化と思っている御仁が大半であろうが、実を言うとそれは違うと考えるべきである。国鉄改革は膨大な債務を抱えて、労使関係も悪化してその解決の糸口が見えないといった病を治して少しでも健全な方向に持って行く事が本来のイシューであった筈である。換言すれば財政、労使関係、サービス向上と利用率回復という3つのポイントをどうするかが国鉄改革だったのである。
ところが、鈴木善幸政権下で第二次臨時行政調査会(国鉄問題は第四部会)と自民党国鉄再建小委員会が発足すると、「国鉄国賊論」「国鉄解体すべし」という論調が中心的な委員達から先手を打っての情報操作の様に続々と出された。その後分割解体を推し進めた中曽根政権と土光敏夫をメディアは非常に持ち上げて、分割民営化について疑念を持つ余地はない様な報道すらしていた様な記憶が小生にもある。
そういう中で論理がすり替えられて、貨物も含めて7社への分割という所まで「論理が飛躍」しまったとしか考えようがない。


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在りし日の115系高崎車T1091編成 2008年7月・高崎駅にて

国鉄崩壊から丁度30年となる2017年2月の国会答弁だったが、そこで麻生太郎も分割民営化が事実上失敗だったと認めたとしか思えない様な答弁をしている。その中にあったのは「黒字になるのは本州3社で他は成り立たない、鉄道関係者なら例外なく思っていた、分割は反対でみんな突っ込みでやるべきだ」というのである。そして「分割民営化は国鉄という商売の分っていない方で、学校秀才が考えるとこういう事になるという典型」というのもあった。
(因みに麻生氏の地盤は福岡8区=直方・飯塚を中心とした地域で、国鉄末期の路線廃止が多かった。)



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2015年12月に伊勢からミャンマーに渡ったキハ48-6502 2013年4月・伊勢市駅

国鉄を6つのエリアに切り刻んだのか、特に東海というものが作られた事には未だに合理性が見いだせない。中日本ではなく東海というのが未だに解せない。その割り振りは国内の移動需要を分析した結果だと言うかも知れないが、東海道・山陽新幹線は一体なので西に渡す、それ以外は東海北陸以西と以東で東西という形で切ってしまえば良かった筈である。「東海道新幹線を西に渡したくなかった勢力が存在していて、東海を無理やり独立させたのではないか?」又は「松田・葛西・井手のトリオにポストを割り振る為だったのでは?」等と推測する人達もいる、経営資源のほぼ全てを新幹線一路線に依存する東海旅客鉄道なんて抑々非常に歪んだ存在であるとも言えるのではないか。

更には地域会社毎の収益格差が大きくなるのは最初から分かっていて、それは防ぎようがない事も自明の理だった。人口も産業も首都圏・中京・京阪神の寡占状態であるからであり、これと同様の「寡占状態」とそこから生ずる大都市圏と地方の格差は他国でもよくあるケースでもある。
そういう中でもJR北海道の惨状は、発足当初から見え見えだったとはいえ目を覆いたくなる様なものである。
歴代の社長7名から既に2名の自殺者(坂本眞一・中島尚俊)が出ている。企業としての事業の存続が出来なくなるのは必至で、鉄道という公共サービスどころではない。自力での鉄道維持が困難な線区が営業キロの約50%。こんな状況では展望なんて喪失していて経営陣も匙を投げざるを得ず、限界集落ならぬ限界企業と呼べる所すら飛び越してしまっている。


民営化自体は間違いではなかった、前にも述べた様にもうそれしかなかった。間違ったのは分割の方である。国労を分断解体し総評の解体まで狙ったというその事が国鉄改革という母屋を乗っ取ったとしか言い様がない。こうして分割という本来ではない着地点に行ってしまったのである。
全土を管轄する日本旅客貨物鉄道として民営化をスタートして、その後東西と貨物という形にでも分割すれば(つまりNTT と似た様な方法)もっとマシな展開で現在に至ったかも知れない。こうしておけば、後に「JR ホールディングス」みたいなものを作って、その下に各社をぶら下げるという形だって採れたかも知れない。


国鉄解体で7000人近い人間が離職に追い込まれた。5000人弱が清算事業団に送り込まれて、その中で約1000人が国労闘争団になり結局全員事実上の犬死にみたいな形に終わった。これについて「国鉄からJR に変わって成功したんだから、それに比べたらそんなの大した問題じゃない」なんていうヤツがいたらそいつは頭が岡C

余談だが、ウィスキーファンにとって神戸の聖地であるBar Main Malt (バー・メイン・モルト)のオーナーである後藤氏、実は国鉄機関士という前歴を持つ。年齢からして恐らく国鉄最後の採用組だった可能性が高い。同氏は分割民営化時に離職してその後にあの名店を開く事になったのである。

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113系京都車L17編成(現在は抹茶色) 2010年11月・京都駅

2016年頃からJR 各社の株式持ち合い関係が始められたものの、各社の連携があまり上手く行っていない状況には変わりがない。乗車券特急券のインターネット販売でも各社の連携が出来ていない状況だったり、会社を跨ると不便という状況はずっと続いている。各社が抱える事情や方針が大きく異なってしまっているから連携が上手く行かず不便でややこしい部分が出来てしまうのは仕方がないと納得するのは一部の鉄道ファンだけかも知れない。東海道本線のダイヤが狂った時に、JR 東海がそこに入ろうとする貨物列車を悉くブロックして運休にさせたところ、TOYOTA が部品の供給が滞るとして抗議したという一件もあった。

1987年の民営化に際して、その前の数年間で80路線程度のローカル線を廃止した事もあって地方を中心に民営化への不安も根強かったのも事実であった。(当時10代だった小生もそんな話を耳目にした記憶がある)
そこで当時の政府が国民に新聞広告を通じて以下の様な約束をしたのであった。
~民営分割 ご期待ください~
「全国画一からローカル優先のサービスに徹します。」「明るく、親切な窓口に変身します。」「楽しい旅行を次々と企画します。」
~民営分割 ご安心ください~
「会社間をまたがっても乗り換えもなく不便になりません。」「運賃も高くなりません。」「ブルートレインなどの長距離列車もなくなりません。」「ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません。」
この文言を見て如何思われるだろうか?、この約束を果たそうとしている様には思えないどころかドンドン逆の方向に行っている様にしか見えない。それもその筈、元々出来ない約束若しくは守る気なんてさらさらないものだったのだから。1987年当時、一寸はそのつもりだったかも知れないが、この様に言われても反論出来やしないのは明らか。
E653系K70編成が国鉄特急色を身に纏った時は、JR 各社も国鉄70周年記念のイベントや記念グッズのリリース等を展開して行くのかと期待もされたが、現在その気配すらない。
国鉄を経験した世代は一部の上役達以外では超少数派になってしまっているという事情もあるだろうが、JR は法的には国鉄を継承する存在ではない=国鉄は祖先には当たらないというスタンスを持ち出してこの節目をスルーするのだろうか?
それこそ32年前の国民との約束を悉くスルーして反故にして来た様に。




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去る5日にJR東日本からのアナウンスで、今年度中に常磐線が全線で運行を再開する事と併せて上野~仙台間の特急ひたちが約9年ぶりに復活する事が確実となった。
2011年の東日本大震災によって、それから8年以上を経た今でも浪江~富岡間が不通となっている。原発事故による放射能拡散でこの地域は避難指示が出されているが、この沿線と各駅周辺は特定復興再生拠点区域に指定されて除染とインフラ整備が優先的に進められた。そのため、来年3月までには当該区間の駅周辺における避難指示は解除となる見込みになった。


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E657系は正面から見るとモスラの幼虫みたいだという声もある 2013年10月・水戸~勝田間

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651系K107編成他で11連のスーパーひたち 佐貫~牛久間

今から34年前、小生はまだティーンエイジャーだったが 1度だけ仙台から上野までひたち乗り通しを行った事がある。東北乗り鉄旅の締めがそれだった。正確なルートは覚えていないが、急行津軽や男鹿線に乗った記憶はある。勿論JR は発足しておらずJNR の時代、車両も言わずもがな485系だった。(ボンネットだったか電気釜だったかは覚えていない。)その時は急行ときわとの統合直後で23.5往復が全て11連で運転されていたが、その翌年から26.5往復・9両に変わってしまった。
アラフィフになった今から思えば、485系に4時間も乗車し続けられたなんて、若さの特権という物だったのだろう。確かにこの時代の電車特急は485・489系183・189系が殆どで首都圏の一部で185系が走っていたという程度で画一的だったが、それでも面白い列車は今より全然多かった。鉄道で旅をするという事の楽しさは今とは比較にならないものだったのは明らかである。


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嘗ては特急ひたち=485系だった(画像は在りし日の仙台車A1A2編成)

2010年当初の計画では常磐線特急の運行形態をいわき以南と以北で分割、いわき~仙台間でひたちとは別の特急を運行する予定だった。
そこに来ての東日本大震災と原発事故で常磐線は不通区間を抱えて、それが何時解消するか判らない状況になった。そこで常磐線特急再編計画は頓挫、651系スーパー(フレッシュ)ひたちは結果的に1年延命された。その後2013年から常磐線特急はE657 系に統一され、651系E653系は改造の上で転用された。(651系K103編成を除く)
651系は1年のブランクを経て1000番台となり戦場を高崎・上越線に移した。E653系4連はいわき以北で特急として走り続ける予定だったが、それも白紙になる。そして1100番台H201~204編成になり2015年からしらゆきとして日本海側で走っている。
同系列の7連はいなほ用の1000番台U101~108編成となり羽越本線を主戦場にしているが、あの派手なカラーリングになってから5年も経っていないのに一転、今度はU106・107編成が単色化憂き目にあっている。
そして去年末、U108編成は(E653系で唯一編成替えをされている)K70編成となり国鉄特急色風になって勝田に帰還した。編成名の「K70」は国鉄70周年に掛けたネーミングの様にも思われたが、どうやらそんな事は無かった模様


「もしあの時こうだったら~」というのはナンセンス極まりない事であるのは承知の上でいうが、大震災+原発事故が起きていなかったら、ひたちの仙台直通設定復活も無かったであろう。予定通りいわき以南と以北で運行系統分割になっていただろうから。
震災以来、常磐線完全復活に至るまで9年という事になるが、一時はもう未来永劫無理ではないかとすら思われた時期もあった事を思えば、よくぞここまで漕ぎ付けたとも思えるが、やはり長かったという思いの方が強いのではなかろうか。そういう経緯を踏まえると、来年春の仙台直通ひたち復活のニュースはここで朗報と言い切る事は必ずしも出来ないのではないか?
10両固定のE657系をいわき以北に入線させる事に疑問を呈する向きもあろうが、全線運行再開時には651系K103編成、及びE653系K70編成を記念列車としてでも上野~仙台間でフルに走らせてやってもらいたいと思う次第である。


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現在常磐線に残る数少ないカモレである「安中貨物」

これに合わせて貨物列車がどうなるのかも興味深い所である。震災以降東北本線経由に変わった列車があった筈で、元々東北本線のバイパス若しくは補完的役割も担っていた事を考えると全線復活による関東~東北間の貨物ダイヤ再編という事も考えられなくもない。




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先日、50年以上前に出回っていたと思われるシェリーが売られているのを首都圏某所で発見した。でもそれは何処で保管されていたかも判らないボトルである。そこでの売価は1200円程度だったが、普通の神経なら敬遠する筈である。仮にそれが良好な環境で保管されていたとしても。
この如何にも古めかしさ爆発オーラたっぷりというボトルを見逃して帰る訳にも行かなかった。この貫禄あるボトルなら被写体としては十分で、売価を考えれば飲めたら儲けものという位の考えで購入したのであった。


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この Dry Sack (ドライ・サック)なる銘柄だが、Williams and Humbert (ウィリアムズ・アンド・ハンバート)による複数のタイプの原酒をブレンドして作るタイプの物で、銘柄自体のデビューは1906年(日本では明治時代)とされる
ブレンドされているのは Amontillado、Oloroso、PX の3種で、決してマニアックな物でも高級品でもないスタンダードな普及品である。オランダやドイツではミディアムタイプシェリー(中口から少し甘口くらい)の草分けとされ、ヨーロッパの広い範囲で今でも販売されている。
ヘレス・サーキット(Circuito de Jerez)にこれの名が付いたヘアピンがあるのを思い出される方々もおられよう。


このタイプのシェリーは殆ど飲む事が無い小生ではあったが、購入から約半月後の今月上旬に明けて飲んでみたのであった。現在売られているボトルの場合、その栓はハードリカーと同じ様な物が使われている場合が多い。円盤状のプラスティックに短いコルク栓が付いているタイプ、若しくはスクリューキャップである。ところがこいつの場合、亜鉛と思われるキャップシールを剥がすと、普通にワイン用のコルク栓が打ってあった。
約半世紀を経ていると思われるボトルであるからそのコルクの状態が思いっきり不安である。でも、ここまで来て抜かない訳にも行かないと思った小生はソムリエナイフで抜く事を決意。
ドキドキの中でやってみたその結果…、何と思いの外スムーズに壊れる事無く抜けてしまい少々拍子抜け
コルク自体はかなり短めの物であったが、譬えスタンダードなボトルでもこの時代の物は良質な物が普通に使われていたとしか思えない。


斯くして第一の関門は突破したが、果たしてそんなボトルが飲めるのか?
当初からポジれる要素はあった。それはベースになっているのが酸化熟成を長期間施したアモンティヤードとオロロソであり、度数も19~20%であったという事である。これが若し度数が15%程度でフロール熟成のフィノだったらまずお陀仏していたと思われた。


結果はというと…、普通にちゃんと美味しく飲めた
色は酸化熟成系のシェリーらしく、結構深度のあるマホガニー。ボトルの内部や底には澱がタップリ固まってへばりつく様な状態ではあった。3回に分けて飲んだのだが、途中から澱が入ってしまい濁る様になったのでペーパーフィルターで濾しながらグラスに注ぐ様になった。
味自体は然程甘い様には思えず、それでもPX (ペトロヒメネス)がしっかり効いている印象だが、特に香りに於いてはPX の主張が強かった。よってPX がブレンドされている事で「相当助けられている」と言えよう。
Palomino (パロミノ)種から作られるアモンティヤード・オロロソの原酒だけだったらここまで美味しく飲めただろうかという疑問はあるが、同時にその裏でPX という葡萄の持つ能力の高さを証明する事にもなった。
1950・60・70年代辺りに作られた酒の生命力って、ハンパないヤツが多い! 頭では分かっていても改めて実際に体験するとそこはビックリするものである。
当たるも八卦当たらぬも八卦ではあってもオールドボトルは止められなくなる小生である。





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ここまで来ると国鉄自体の話ではなくなってしまい、その後の話に移ってしまってはいるが、例の「30年以上戦争」の話はまだ続けなければならない。
発足から4年半で漸く唯一無二のクラウンジュエルである東海道新幹線をその手中に完全に収めた名古屋の葛西教だが、2003年に(新幹線の)品川駅を開業させた事は中央新幹線=リニア新幹線計画実現も見越してという部分も多分にあったと思われる。東京駅周りの鉄道用地は悉く東日本にかっさらわれたという事も同時に関係しているであろう。


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1990年代、東海道の主力だった300系 2008年・東京~品川間にて

新幹線品川駅の構想自体は国鉄時代から練られていたが、経営悪化で実現しなかった経緯がある。JR東海サイドとしては山手・京浜東北・東海道線・横須賀線・京浜急行とも接続出来る上に東京都区部の南側のエリアに位置する品川に駅を作る事のメリットは大変大きいと考えていたであろう。そして最大の競争相手だった航空会社との競争に勝ち抜く為にも品川は是が非でも欲しかった筈である。
東海は航空機と戦う前に東日本というもう一つの敵と相まみえる羽目になったのである。品川駅周辺の用地は東日本が殆ど押さえてしまっていた、というより国が東日本に押さえさせていた。葛西教が新駅を作ろうにも持たせてもらえた用地は殆ど無かった。怨敵である東日本やその他の所有者から買収出来ないと始まらない話だった。
そこでJR東海は国鉄民営化の際に東日本が1948年当時の簿価で品川駅周辺の土地を引き継いでいた点を突いて、同様に簿価での取得を運輸省に持ち掛けた。これにはさすがにJR東の怒りは爆発!東海の作戦は失敗に終わった。その後時価で買収という事で両者が表面的には手打ちとなったが、そうこうしているうちにバブルが崩壊し、土地価格は下落。土地取得コストは当初の見込みを大幅に下回るというオチが付いた。


1990年代はバブル崩壊、95年には阪神大震災があった。そこに規制緩和で航空業界が各種サービスを拡充しシェアを一気に奪ってきた。JR東海・西日本にとって非常に苦しい90年代となった。しかし、航空側もサービス競争・値下げ競争で体力が蝕まれてしまった所に、2001年あの「9.11」が起きてしまうと航空業界全体が世界的に苦境に立たされるという事態に至った。そこに持ってきての品川駅開業で東海道山陽新幹線は息を吹き返したのであった。

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JR東海品川駅開業時の主力だった700系の行き違いももう見られなくなる 2011年・品川~新横浜間

かつて存在した東海独自の商品である東海道新幹線専用TEX 回数券(1997発売)の問題といい、この会社自体も色々な足枷が嵌められていて、隣接する他社も具合が悪い、利用者は更に具合が悪いなんていう事も平気で起きていたのであるが、これも「あんなに分割してしまった事」の弊害の象徴とも言える。

現在の品川駅の構造を見るとこのいつ果てるとも判らぬ冷戦が垣間見える。同駅の港南口がそれである。港南口を利用しようとすると高輪寄りにある中央改札又は北改札から自由通路=改札外を経由しなければならないが、その通路は乗降客数に比して狭い印象である。改札内の通路を進んでも港南口には出られず、新幹線の改札で終わっている。港南口には東日本(在来線)の改札がないのである。昔は港南口側は倉庫や工場しかなかったが、近年はSONY が移転して来る等して開発が進みオフィスも増えて、利用者は増えている筈である。
これについては「東海が東日本側の港南口を作らせなかった=在来線の客が自分達の島に入れない様にブロックしたからではないか?」「東日本も利用者がエキナカを通らざるを得ない様に工作したのでは?」と言われる有様だが、利用者不在で両者が自分達の都合と事情を優先させた結果がこれだと思われる。
(高輪口はこの度建て替えで大幅にリニューアルされる事にはなったが…)


斯くして東海東日本の30年以上戦争はなかなか終結する気配を見せないが、国鉄民営化に関わった国鉄キャリア世代が経営から完全に退く時まで、JR で新卒採用された世代が経営の第一線に入る時までは続くのであろう。20世紀の米ソ冷戦は約40年で終結したが、こちらの冷戦はその記録を塗り替えるのだろうか?
利用者をロングシート地獄や指定席商法で虐めるブラックな緑の会社と、どこかカルト集団みたいなオレンジの会社、どっちもどっちで一生吐ける。


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N700系Z 5編成=現在はN700aのX5 編成、2008年4月・品川~新横浜間

東海がリニア新幹線計画がいよいよ本格的に進みだした2013年秋に、当時の社長・山田佳臣氏が「リニアなんて絶対にペイしない」と批判する等、この計画に社内から異論が噴出していたのは明らかだった。2009年末時点で同社が行った調査結果でリニアの増収分の1.5倍の維持費がかかるとなっていたのである。(リーマンショックの影響がまだ色濃く残っていた時期だったとはいえ)
そこで2016年になって安倍政権は財政投融資を活用してリニア新幹線建設を推進すると発表し、国会で殆ど論議しないまま鉄運機構(JTTR)への融資が可能になる様に法律を強引に改正し、JTTR 経由で3兆円が融資される事になった。(利率は30年据置で0.6%という超低利率
JR 側でこんな事を画策出来るのは葛西教祖しかいないのは明らかである。同氏は所謂「日本会議」の重要メンバーの一人であり、安倍政権に非常に近い関係を保っている。以前、NHK の報道に政府が不当介入しようとしたとされる問題が起きたが、葛西氏の手下である松本正之氏がNHK の会長として送り込まれた事(以前には須田寛氏も経営委員だった時期がある)からもこの教祖の安倍政権下での暗躍ぶりは凄まじいものがあると見えるのである。
公共メディアを自称する日本犯罪基地外でNHK とはいっても、報道の自由が保障された国の報道機関である。シンガポールや中国とは違う。どんな形であっても公権力の不当介入なんて許されてはならない。首相官邸とチョ〇コラの為の犬HK で、犯罪フリーパス状態の民業圧迫組織なら1日も早くぶっ壊すしかなかろう。


最後に何しか行き先変更した感はあるが、次こそ最終回、其の拾へと続く!



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国鉄70周年というネタも月を跨ぐ形になってしまったが(当初の想定外)、漸くゴールが見えて来た。
さてここで、「30年以上戦争」って何や?といわれれば、それはJR 東日本JR 東海の間に今も存在する冷戦の事である。この冷戦の元は国鉄民営化プロセスの不透明な部分に見出す事が出来る。
国鉄改革三銃士とも称された松田昌士葛西敬之井手正敬の3氏だが、民営化を確実に遂行すべく国との折衝の窓口になったのは松田氏であった。国鉄内で民営化の実質的主導者は松田を含めた経営企画室だった。国側の再建監理委員会と国鉄の経営企画室との間で民営化の重要プロセスは進められていった。
その頃労務畑を仕切っていた葛西氏以下JR 東海幹部になる者達は、労務関係で手一杯となってしまい資産や路線の分割継承といったメインの部分にはタッチ出来なかったらしい。
何処から見ても政府サイドとズブズブになった経営企画室の一派がJR 東日本創立の核となったのだが、その背景を象徴していると見える出来事が、住田正二のJR 東日本初代社長就任とも言えるだろう。住田正二氏といえば運輸事務次官からANA 顧問を経て国鉄再建監理委員会のメンバーになった人物である。(松田昌士氏は第2代社長)


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EF65-535、2011年10月大宮車両センター一般公開にて

当時の運輸官僚達の腹積もりとすれば、東京に本社を置くJR 東日本をJR の頂点に君臨する様にしてJR 東日本の大成功=国鉄民営化成功という図式を作った上で、有力な天下り先としても太らせられれば万々歳という事だったのは想像に難くない。首都圏を中心とした優良資産も優先的にJR 東日本に割り振ったのである。ここだけでもインチキ官製八百長の臭いがプンプンしていると感じる御仁も多かろうが、これには葛西敬之氏が誰よりも憤ったのは明らかだった。(当時の社長は須田寛氏=優先席、オレカ、ホームライナーの生みの親)
更にその憤りの火に油を注いだ存在が新幹線保有機構であった。JR 発足時に東海道を始めとした新幹線は新幹線保有機構なる組織の所有になる事とされ、本州3社がそれぞれ借り受けて運営する事となった。JR 各社の間での収益調整による均衡化という、これまた変な匂いがプンプンする様な名目が付いていた。


この仕組みでは各社からの上納金(リース料)は各路線の利用状況=儲かり具合に応じて負担させる訳で、この当時東北・上越新幹線はまだ採算性が悪く赤字で、収益力という部分で東海道の足元にも遠く及ばなかった。保有機構には年間7000億円程入るリース料の内60%が東海からであったが、これは東日本のそれに対して倍の金額であった。抑々、設備的に一番古い東海道のリース料が圧倒的に高いという事自体、民間企業のビジネス的ルールから逸脱している。
(今でも東北上越北陸系が東海道には太刀打ち出来ていないのは明らかだが)


これは要するに東海道新幹線の儲けが吸い上げられて結果的に東北上越の穴埋めに使われるという事を意味していて、東海道新幹線に収益の大部分を頼らざるを得ないJR 東海からすれば、首都圏で僅かな土地しか継承出来ていない事とも併せて到底受け入れられないスキームだったのは明らか。
「俺達を国鉄改革のメインルートから外して、その上寄ってたかって金まで更に搾り取ろうとするのか?」となれば葛西教祖以下東海旅客鉄道の人間達の怒りの矛先は霞が関とJR 東日本に向けられたのは当然の事だったかも知れない。本州3社の中で押し付けられた国鉄の借金が一番大きかったのも東海である。


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300系J60編成末期の姿 2011年6月・品川~新横浜間

そこで怒りの導火線に火が付きまくった葛西氏及びJR 東海は1989年になって反撃に出た。それが「新幹線保有機構をぶっ壊す!」である。
保有機構がある限り、JR の持てる新幹線資産は車両のみということになり設備の保守・改修更新については減価償却が計上できないというのは東海にとってとんでもない手枷足枷だった。
東海道新幹線では輸送力増強・高速化を見据えて莫大な費用を投じての設備更新を進めなければならない時期に当っていたが、線路設備はリースなのにその更新は運営するJR 側の負担というルールだった。
新幹線の線路や設備は将来的に保有機構から各社に渡される事にはなっていたが、その時期は不明で無償になるのか有償になるのかもはっきりせず、有償になったとしてもその金額の見込みも立たないという次第だった。当時はバブルという事もあって、国鉄末期に凍結された整備新幹線建設という声も活発化していたので、保有機構が第2のキングボンビー鉄建公団となる様相すら呈していたので、整備新幹線の為に更に搾り取られ続けるという最悪過ぎる事態も十分想定された。


東海にとっては債務の額を早い内に確定させる必要にも迫られていた。保有機構なんていう訳の解らぬ組織に翻弄される事なく色々な部分をクリアにしたいという意向が強かったのは明らかである。その一方、東海道新幹線を金蔓に出来たと思っていたJR 東日本からすれば、それが糠喜びになってしまうという事でもあり受け入れられるものではなかった。
何度も言う様だが、時はバブル景気という波に乗る様にして東日本東海は当初の見込みを大幅に上回る売上と利益を初年度から挙げていた。そこで葛西教団は新幹線に100系800両を大量追加発注=0系大量淘汰と全編成16連化、在来線用にも211系・213系の追加発注に加えて311系とキハ85系を新規投入。国鉄から引き継いだボロ車の淘汰と同時に計上出来る減価償却費の積み増しを狙ったもので、後者の方が意味合いとしては大きかったとも考えられるが、それでも設備投資費の66%程度の減価償却費しか作れなかったのである。
こうした背景もあって1987~91年の 4年間で東日本西日本は債務を減らす事が出来たのに対して、東海はその債務を減らすどころか増やしてしまった。


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末期の100系西日本車K54編成 2009年・新大阪駅にて

新幹線保有機構というヘンチクリンなスキームを維持したい運輸省、JR 東日本西日本を相手にした葛西教団の戦いの火蓋が切って落とされるのであるが、この上納金は2年毎に改定される事になっていた。1989年にあった1回目の改定の折だった、そこで利益の伸びないJR 西日本はリース料のダンピングを要求して来た、結局ダンピングされた200億円の内150億は東日本が、50億を東海がもつ事となった。そして東海はこれと同時に、この後のリース料の固定及び中央新幹線は東海道とセットで葛西教が経営するという事を国に確約させたのである。
国鉄の債務の返済にはJR本州3社の株式上場が避けて通れない事案だったので、1989年12月の閣議決定で1991年度から清算事業団保有の本州3社株式売却開始がなされる事になった。これが結果的にJR 東海に味方した。


土地の売却にはストップを掛けられていた状況下では、国鉄債務返済のために出来る事は株式売却しかなかったので、国側も株式上場と売却開始を急がざるを得なかった。運輸省はJR 株式上場問題検討懇談会なる諮問機関を立ち上げたのだが、そこでの東京証券取引所から陳述された意見で保有機構解体に向かう事となった。
新幹線のリースという仕組みは30年維持されて、その後各社に譲渡されるという事にはなっていたが、これだと2017年まで資産内容・バランスシートが確定出来ない事になってしまう。東証からの指摘によると保有機構による非常に恣意的な利益調整が働く危険性があり、政治・行政の不当な経営干渉の温床になる危険性も高いからこのままでは上場なんて不可能で、新幹線設備もJR に譲渡して財務諸表を明確にさせなければならないとなったのである。
斯くして、上場が延々と先延ばしされるのはさすがに無理という判断が国、JR東、JR西にも働いてこのヘンチクリンなスキームは解消される事となった。1991年10月新幹線設備は本州3社に売却されて保有機構は解散した。ただ、JR 側の試算で8兆円程度と見積もられた売却金額だったが、実際のそれは9兆円を超えた。
新幹線保有機構の代わりに鉄道整備基金が設立されてしまい(現在は鉄運機構=JTTR に継承)、その財源の為に1兆円分ぼったくられたものと考えられる。



冒頭でゴールが見えてきたとは言ったが、達したとは言っていないので、其の九へと続く!



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