日本国有鉄道が発足して70年となった、即ち古希を迎えたとも表現出来る。
国有鉄道は戦前戦中は鉄道省下の国直轄事業であり、そこから敗戦に伴いGHQ のコントロール下に置かれた。それがGHQ による労働政策及び公務員政策の一環という名目で1949年6月1日に公社化され日本国有鉄道=国鉄となったのである。


三公社五現業という言葉を覚えておられるだろうか?
そんな言葉を知っているのは40代半ば以上の世代に限られるであろうが、三公社は日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社であった。国鉄は現・JR グループとなり、専売は現在の JT グループ、電電は今の NTT グループの元である。
昔のバレーボールでいえば専売広島とか、社会人野球なら〇〇鉄道管理局や電電〇〇といった名前があったのは大変懐かしい。



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国鉄が生んだ超弩級のスーパースターといえば、EF66

御存知の通り、第 2次世界大戦中に日本の鉄道は車両も設備も荒廃疲弊が酷くなっていた。日中戦争から起算すると8年という戦争が終わった後で復興に着手するにも物資と人手は完全に不足。そこに石炭不足を始めとした各種物資の不足から来る大幅なインフレが襲い掛かって来た。その煽りもあって国営鉄道の財政は巨額の赤字を抱えてしまった上に、施設・車両の荒廃に加えて優れた人材の確保も難しくモラルの低下等々の問題も起きて運営も行き詰まりつつあった。
丁度その時期、戦後の基本的労働政策策定という中で所謂マッカーサー書簡を受けて公務員の労働争議を禁止する一方、公権力行使に殆どタッチしない鉄道・専売事業は公共事業体化して独立採算として、職員の労働権も一般公務員のそれより制限を緩和するという落し処が設けられたのである。


ただ、その前から国有鉄道の在り方というものについては様々な議論が行われていて、実は民営移管も議論されていたのである。
結局公社化から38年の歳月を経て民営化という結末になったのは皮肉とも思えるが、もしこの時点で民営移管されていたら、全国的な鉄道網は長年維持されただろうか?、新幹線なんていうものは誕生出来ただろうか?、鉄道史を彩る名車達は登場し得ただろうか?
その何れも非常に疑わしいと思われる。


183om101@ohst01
183系大宮車OM101編成、つい数年前はこんなのが走っていたのに…

国鉄というと、我田引鉄、膨らみ続けて止まらなくなった累積債務、サービスという言葉とは無縁に見える様なオラついた態度や、繰り返される労使紛争、といったネガティヴな部分だけが強調される傾向にあるが、世界現代史の中でも有数の奇跡と称される戦後復興~高度成長を経てアジアで初めて先進国に列せられる様になったその歩みに於いて、その存在は欠かす事が出来なかった事も又事実である。
独立採算制の公社とはいえ国有鉄道だからこそ成し得たものは非常に多い。


ストライキで鉄道が止まって学校や職場に行けなくなるという経験をされた方はどれだけいるだろうか?事故や災害でそういう事が起きるというのは理解できるであろうが、若い世代だとストライキ(スト)という言葉すら知らないのではないか?
70年代後半に小学生だった小生でさえ、学校が午後からになったという事が一回だけあった様な記憶もあるが定かではない。ストで電車が止まるかも知れないという心配をしなければならなかった時代も80年代前半までの話でもう隔世の感がある。
その時代はどの業界でもストライキも辞さないという労使交渉は当たり前にあったが、春闘の口火を切るのは鉄鋼業界だったが、大きな影響力を発揮しまくったのは国鉄であった。
1973年4月には労組側の順法闘争に対する利用者の怒りに火がついて、電車が放火されて、国鉄(使用者側)vs. 労組(労働者側)vs. 利用者というトリプルスレットマッチ(Triple Threat Match)状態になってしまった事もあったのである。


ここで更に色々書くと長くなりそうなので、ここで区切って其の弐へと続く!




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