Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

2018年12月

こんな年末のクソ忙しい時期だというのに、週明け早々に小生のパソコンが急死してしまい、急遽の買い替えを強いられてしまうという不幸に見舞われた
しかも OS の方が使い慣れた Windows 7 から Windows 10 へと変更になってそのため、四苦八苦しまくりで血圧も上がってしまう始末である。ほぼ5日に渡って更新も出来ない状態になったのも痛かったが、そこは何とか歯を食いしばって「回復運転」をしなければならない。


21000系アーバンライナーが運行を開始したのは1988年3月の事だった。その時点では3編成のみで6往復の運行だったが、その翌年・翌々年の増備で名阪甲特急の全てを置き換えて60分ヘッドの運行を実現した。

因みにこのアーバンライナーとタメになるのはこんな面々、これが中々豪華
田中将大、坂本勇人前田健太柳田悠岐、石川 歩、秋山翔吾、小塚崇彦、Craig Kimbrel (クレイグ・キンブレル)、Russel Wilson (ラッセル・ウィルソン)Ricky Fowler (リッキー・ファウラー)、Sergio Agüero(セルヒオ・アグエロ)、
Mesut Özil (メスト・エジル)、乾 貴士、Marin Cilic (マリン・チリッチ)、三浦翔平、松坂桃李、辻井伸行
新垣結衣、戸田恵梨香、吉高由里子、菜々緒、、May J.小嶋陽菜、大島優子、樫野有香、大本彩乃、福田彩乃、
佐々木希、ホラン千秋、近江友里恵、福原 愛、浅田 舞
という所が次々ドンドン出てくる。


ここから2013年撮影の画像と共に振り返って行く。
この時期は3月にデビューしたばかりの50000系しまかぜがネットでも Buzz りまくっていた(?)のを受けて小生も4月に三重まで行って撮りに行った。
その時点で21000系の名伊特急運用も最低1往復は設定されていた。


ktulp@aken01

昼前のしまかぜ賢島行きを狙って明野駅付近に陣取って待つ。4月も中旬に入ると昼前の陽はかなり高い。そんな中、午前の運用で賢島に行ったやつが明星にでも回送されて来たのか思わぬ所で21000系を後追いながらキャッチ出来た。
因みに、午後は宮川の鉄橋でしまかぜの返しを狙ったが、曇られまくって悲惨な状況になってしまった。


翌日はレンタカーを借りて、近鉄富田~霞ヶ浦間で撮影したが、公開出来るレベルではないので割愛。
そして午後川越富洲原~冨田間で撮影したのだが・・・、4月の空は変り易い。予報に反して曇って来てしまった。


ktulp@tomhs01

曇ってしまって露光も結構きつめだったので、SS が稼げない。でも徒に感度を上げれば絵が荒れるから撮りに行った意味も無くなってしまう。出来るだけ障害物もかわしたいと、苦肉の策で作ったこのアングルだったが、パンタが抜ききれずこの有様。

初日も2日目も午後から曇ってしまうというパターンに辟易とさせられあまり収穫のない酷い遠征に終わってしまった。4月なんて空模様が本当に読めないから、遠征の時期として選んではいけない。



時は流れて同年11月、大阪線は松塚~真菅間のカーブ(少しマニアック?)で撮ってみた。かなり重くて嵩張る 120 - 400mm を使用しての撮影だった。住宅地の中、線路沿いの路地から撮るのだが、中途半端にフェンスがある関係で収容人数が少なく、APSC でも凡そ250mm前後 は必要であるという事も撮影地としてあまり人気がない要因の一つかも知れない。

ktulp@masug01

この撮影日は休日で連休という事もあってアーバンライナーは勿論、一般の特急も6連が多く8連も幾らかあった。ただ、見ての通り、6連・8連ではケツを完全に抜くのがほぼほぼ不可能になってしまう。

ktulp@masug02

ここの最大の欠点は、大阪線の下り列車を撮影するアングルなので、一般車の前パンは撮れるのだが、特急の前パンショットは撮れない。撮影しておきながらこんな事を言うのはおかしいが、撮影しながら歯ぎしりするという訳の解らぬ状態で 2時間以上粘ったのだった。



真菅駅に戻ってそこから区間準急に一区間だけ乗って、松塚に向かう。同駅近くのコンビニで飲み物・昼食等々を買い込み、葛城川を越える所で昼からの撮影を行った。
大阪線上り列車用のアングルになるので、特急の先頭パンタショットが狙えるから歯ぎしりしながらの撮影にはならない…、と思いきや、ここにはとんでもない難敵がいたのだった


kt-ul@matdk01

生い茂る葛の塊から少しでも綺麗に抜こうと試みるのだが、これが精いっぱいか。前回訪れた2011年10月と比べても雑草軍団が更にパワーアップしたのは明らかだった

kt-ulp@matdk04

2011年10月、2013年11月と2回も足を運んでおきながら、上り狙いのアングルでは最適解が見付ったとは言えない。
その原因は土手に山を作っている雑草、特に葛が酷い。奈良県といえば吉野葛が名産品として有名だが、だからと言って列車が隠れてしまう程こんな場所で生い茂られては 洒落がブラックでえげつなさ過ぎる というものである。
この撮影時期は11月下旬なのだが、そんな時期でも葛は枯れないのだろうか?


kt-ul@matdk03

名古屋行きを後追いで撮ってみたが、来たのは8連。6連だったら編成を抜いて撮れた可能性が高いが、8連だった事で皮肉にも架線柱に被ってしまった。
土手の葛が生い茂ってなければ、築堤を登って来る所を齧り付いて撮るというやり方もあるのだが、放置された雑草のせいで兎に角キツイ。


完璧という程の晴れではなかったものの、文句の付け様の無い状況で午前午後合計で約 5時間に渡って大阪線の撮影に勤しんだ小生だった。


ここで最強の私鉄特急を称えるためにセレクトした一曲は…
STYX (スティクス)が1977年に放ったヒット曲である、" Come Sail Away " 

この曲は Bible verse of Ezekiel (聖書の中のエゼキエル書)の事をネタ元として書かれている。作曲者は勿論 Dennis DeYoung (デニス・デヤング)で、彼が敬虔なカトリックである事をも象徴している話である。
エゼキエルが見たとされるのは神の使者とされるが、実はそれが未来からやってきた宇宙船だったという説も根強い。STYX は三途の川という意味だが、そんな彼等がこんな内容の歌を歌うというのもえげつない洒落と言えなくもない。

アーバンライナーはまさに近鉄に降臨した messenger from God とも呼べなくはないし、初めてその姿を見た時のファンや利用者には恰も宇宙船の様にも見えたという御仁達もいただろうか。(やや牽強付会

40年以上前にこの曲をリアルタイムで聴いておられた御仁はもう 50代後半以上と思われるが、どの様な曲であるかについてはこちらの YouTube でもご覧頂きたい。

I’m sailing away, Set an open course for the virgin sea
‘Cause I’ve got to be free, free to face the life, the life that’s ahead of me
On board, I’m the captain, so climb aboard
We’ll search for tomorrow on every shore, and I’ll try, oh Lord…, I’ll try to carry on


I look to the sea Reflections in the waves spark my memories
Some happy, some sad, I think of childhood friends and the dreams we had
We lived happily forever, so the story goes
But somehow we missed out on the pot of gold, but we’ll try best that we can to carry on


A gethering of angels appeard above my head
They sang to me this song of hope and this is what they said, they said
Come sail away, come sail away, come sail away with me lads
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me, baby
Come sail away, come sail away, come sail away with me


I thought that they were angels, but to my surprise
We climbed aboard their starship, we headed for the skies singing
Come sail away, come sail away, come sail away with me lads
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me


Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me
Come sail away, come sail away, come sail away with me…



我々を退屈な日常世界からも漕ぎ出させる、私鉄特急の神、はたまた鉄路の宇宙船かアーバンライナーは…
てなわけで、Part 3 へと続く!




)" Come Sail Away " はその収録アルバムである " The Grand Illusion " からの1st シングルとして1977年秋に全米で Top 10 ヒットを記録。アルバムの方も、アメリカだけでも300万枚を超えるセールスを記録する等して彼等の大成功作の一つとなった。



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近鉄特急の最高峰に君臨し続ける Urban Liner (アーバンライナー)もこの年 3 decades =30年の節目を迎えた。
アーバンライナーは1988年から90年に架けて72両=UL 6連11本+UB 2連3本が登場し、そして 30000系ヴィスタカー から近鉄特急のフラッグシップの座を奪った。デビュー前年末に納車されるまでその存在はトップシークレットとされ(ネット時代の今では無理かも知れない)、登場するや否やそれまでの近鉄特急のイメージとは明らかに違うフォルムがファンや利用者に衝撃を与えた。

名阪甲特急が70年代終盤から名阪間移動のシェアを伸ばした事により、ビジネス客主体の名阪特急に力を入れた近鉄の思惑が嵌ったともいえる。但し、これも元を辿れば旧国鉄のエラーから生じた事象である。
東海道新幹線とは時間で倍以上の差があるから普通に考えたら太刀打ち出来ない筈で、いい様にやられて名阪特急も2連での運行を強いられた時期も続いたが、国鉄の労使紛争激化と経営悪化が止まらず相次ぐ値上げとサービス低下が近鉄に味方する形になったのである。



ktulp@knie01

2008年12月、近鉄蟹江駅にて撮影したこの絵がアーバンライナーの初撮影だった。
見事なまでに酷い絵ではあるが、近鉄の撮影地なんて殆ど知らなかった小生としてはこれが手一杯だったのも事実である。この後駅の外に出て駅付近の路上から撮影も試みたが天気が下り坂でロクな絵は取れなかった。


2011年10月には大阪線での撮影もしたが、その 2年後に同じ場所で撮っているので割愛。
そして2012年5月半ばに時は移る。5月であれば日が長く夕方前には北北西にまで回る時期である。それを生かして弥富駅の東にある地点、浜乙女の工場も近くに見える場所で撮れるとの情報をキャッチしたので、そこでの撮影を試みた。


ktulp@yatm01

後追いで撮った名古屋行き6連
なかなか良い場所に違いないと思って行ってみると、架線柱が変な位置にあるのでそもそもそんなに良い絵が撮れるとは言えず、背後のレンガ色の集合住宅も思いっきり邪魔で一寸ガッカリ
夕方まで天気は快晴で当時の小生としては撮影をそれなりには楽しめたのであったが、途中でボディ(当時はK-5)が変調をきたし、予備のボディに切り替える事を強いられたのは計算外だった。
伊勢・大阪方面は撮り辛く、名古屋方面の列車を後追いで撮影するのにはそこそこ適しているとは言える。


その翌日朝、近鉄蟹江から戸田方向に行った所の午前アングルに挑戦

ktulp@knie02

名古屋行きの作例。今の小生ならもう少し上手く撮れる自信はある。この時は2012年だったので50000系しまかぜはまだだったが、今なら名古屋しまかぜの冨吉からの送り込みも撮れるのだろうか?

ktulp@knie03

こちらは難波行きの後追い撮影画像
この場所は下り線路とフェンスの間にスペースがあるので、秋冬の時期ならもう少し蟹江寄りの位置から昼頃に下り列車を狙えるとも考えられる。


この日の午後は前日に続いて弥富に向う。この日は午後から空が少しずつ霞んできて厭な予感はしていた。その予感は的中。16時前の時点でこのザマ。

ktulp@yatm02

8連で捕らえられたのはよかった。実はこの時点では陽がそれなりにはあったが、更にその後は曇が厚くなり暗くなってしまったので早々に諦めて撤収。何とも後味が悪かった。



同年9月、もう中旬というのに連日35度近い猛暑になった時だったが、近鉄名古屋線の沿線に繰り出した。
この時は 23000系伊勢志摩ライナー リニューアル開始という事もあってどちらかというとそちらを狙った感が強かったが、アーバンライナーも勿論撮っていた。先ず向ったのは塩浜~北楠間にある鈴鹿川の築堤だった。朝からトンでもない暑さになった中、塩浜から20分位歩いたその辛さは今でも記憶に焼き付いている程である。
線路の反対側からは運動会のリハーサルらしき音が聞えていた。こんな暑さの中そんな事をしていて子供達は大丈夫かと心配にもなってしまう。( 6年も前だが熱中症という言葉は認知されて来ていた)
(関連記事=あの超暑かった初秋の日 Part 1


ktulp@suzkg01

名古屋行きの後追い作例。シャッターを切るタイミングがもう僅かに早かったらと・・・

ktulp@suzkg02

難波行きの作例だが、70-200mm (SIGMA)のワイド端で撮ったからこれで100mm相当の画角。線路がカーブしている事もあって8連だと対応出来なかった。
基本的にレンズの選択を間違えたと思う、今の小生なら 50-135mm (smc DA star)を持って行くだろう。それなら恐らく顔もパンタも抜けるのではないか?


9月ではこの撮影地は今一つだった。まだ早すぎたのである。最低でも秋分は過ぎていないといけなかった。更に大きな理由の一つとしては架線柱に架かるごついケーブル類。ここは秋冬シーズンに限る=厄介なケーブルの影が冬場なら上り列車にはかかってしまう可能性はあるが、メインで狙う下り列車には掛らない筈である。
それこそ今位の時期であれば冬の斜光線の中これより全然綺麗に撮れると思われるのだが・・・、冬光線リヴェンジマッチなんてやりたい所である。



近鉄特急の 70年を超えるその歴史の中には1971年の大阪線旧総谷トンネル特急衝突事故という忌わしい出来事もあった。これと同時に新幹線に押されて看板だった名阪特急には暗黒時代が訪れた。
それでも 70年代終盤からは旧国鉄のエラー続出に助けられるという形ではあったが、厳冬の如き日々からは徐々に脱していった。そして時はバブルの真っ只中という1988年に新時代のエースとして満を持して登場、以来近鉄特急の新たなステータスとして30年間、世紀を跨いで金字塔を打ち立てたのがこのアーバンライナーである。


今回、私鉄特急のホームラン王を称え申し奉るの一曲として小生がセレクトしたのは・・・
英国のスラッシュメタルバンドとして活躍している DragonForce (ドラゴンフォース)の " Seasons "  

彼らは英国のバンドとされていて本拠地もロンドンだが、メンバーの国籍は多数に渡る。中心メンバーの Herman Li (ハーマン・リー)は香港、Sam Totman(サム・トットマン)は N.Z. であり、現行メンバー 6人でも Marc Hudson (マーク・ハドスン=ヴォーカル)のみが英国国籍である。
この " Seasons " という曲だが、2012年リリースの 5th アルバム " The Power Within " の中の一曲で、その前年の東日本大震災を受けて書かれた曲であるとも言われている。

この曲の通常のヴァージョンはこちらの動かない動画を御覧頂きたい

又、こちらにはアコースティックヴァージョンがあるので序に参照賜りたい。

I’m searching through emptiness and try to forget us in vain
The light of dark setting sun will bring my sadness to an end
Voices cry out through the fear and the dark as we wait for our lives to be better


The words dry out in the night, no winter lasts forever
The seasons pass and the sunlight will shine on my life again
So let the past now burn down in flames


Locked in prison, in a world of living fear on the edge of my destruction marching on
Still suffering darkness in the dearms of life not meant to be
As I lie awake and curse the rising sun
Sadness in time for the truth that she hides and this pain in my heart for no reason


The words dry out in the night, no winter lasts forever
The seasons pass and the sunlight will shine on my life again
So let the past now burn down in flames


Stare into my eyes I’m burning with lust and desire
Won’t you come down and let yourself go in the fire
So leave the past behind


The words dry out in the night, no winter lasts forever
The seasons pass and the sunlight will shine on my life again
So leave the past behind


The dark clouds fading for my mind, no pain will last forever
The seasons pass and the sunlight will shine on my life again
So let the past now burn down in flames
Now burn down in flames


かくして苦難の行軍の時を脱し、名阪特急の暗い過去を焼き捨てるが如く疾走を続けるこの列車を称え奉るにはこの 1記事では到底足りないから、Part 2 へと続く!



)DragonForce は1999年にHerman LI とSam Totman が中心となりロンドンにて結成。当時のバンド名は DragonHeart だったが、2001年に現在の DragonForce に改名。
メジャーデビューは2003年のアルバム " Valley of the Dammed "、以来スタジオアルバムは 7タイトル、ライブ盤 2タイトル、コンピレイション 1タイトルをリリース。



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今の時代、直流区間の主として君臨しているのが、ももちんことEF210。東海道・山陽本線の沿線で撮影をする御仁達はその名前を聞くだけで胸焼けがする程である。勿論小生もその一人

実は先月末、訳あって岡山に 2日間出向いたのだが、神戸より西に行ったのは実は10年振り。この秋は不順な天候に悩まされたが、空模様にも恵まれそうだという事で岡山での初の撮り鉄をと洒落込んだのだった。
当初は瀬戸大橋を渡ってことでんをとも目論んでもいたのだが、瀬戸大橋の通行料金が意外と高い事等々を鑑みて、そちらは諦めて岡山エリアでの撮影に集中する事と相成った。初日、朝からレンタカーを飛ばして先ずは備中箕島付近で瀬戸大橋線を撮影。それから午前11時前に中庄付近に移動。


普通に381系やくもを中心に山陽本線を撮影出来たらエエかなと思っていたが、現場に着くとやや激バ状態。ポジション探すのも一苦労、何と何と、その原因は PF 牽引の 大サロ
そんな事とはつゆ知らず、ポジション確保に四苦八苦していると、そんな小生を嘲笑うかの様に PF and 大サロ が倉敷に向って通過
その後、何とかポジションを確保して構えていると、DE10 プッシュプルの乗務員訓練列車もキターーー!、てなわけで特にネタなんてあるとは思わず向った場所だったが、ネタも撮れて充実した時間を過ごせた。


乗務員訓練列車の後は人が減って行き、良いポジションも空いてきて撮影には絶好の状況となった。この日は土曜だったが 3連休の中日、貨物もウヤが多かろうと思い、又来たとしても罐はももちんというのも判ってはいたので期待はしていなかった。

210137@naks01

見たところ何の変哲も無いももちんだが、来てしまえばやや事務的にシャッターを切ってしまう。
ただこれ、3連休だというのに臨貨があった!という事で137号機の8053レ 機関車次位が空コキというのが気に入らないが、山陽の貨物初撮影で貨物を撮る事自体も5ヶ月ぶり。


210160@naks01

8053レから丁度1時間後、更に線路に寄ったアングルで160号機(1059レ?)こちらは空コキも目立たず、コンテナも揃っていてなかなかエエ感じやった。
この後は件の 大サロ の返し、更には87系瑞風初撮影も達成。14時頃撤収し総社まで北上し桃太郎線(吉備線)の今後貴重となるディーゼルの姿を撮って終了。




そして翌日(2日目)、再びレンタカーを駆って前日のポイントからやや庭瀬に寄った地点で撮影開始。9時半過ぎと10時頃で貨物は合計3本ある筈である、本来ならその内2本は EF66 のスジである。レジェンド 27号機 なんて無論期待し様もないが、折角の山陽遠征なのでサメちゃんでもこの場所で押えられればと期待していたのだが・・・

210152@naks01

5074レ(多分)は EF66 のスジ(吹 A17 )、それがももちん代走=152号機、気勢を殺がれる。
あくまでも単なるサブターゲットとはいえ、貴重な EF66 のスジにまでEF210 に入られると胸焼けどころの話ではなくなる。
悪い事は続くもので、この後の5070レ(EF66・吹 A22)も結局は・・・



210118@naks01

またテメェか、コラ! もうエエ加減にせぇや畜生!
こちらもEF210 が代走していた=118号機
これが関東では殆ど見られない 300番台 、若しくは新塗装の 107・108号機 なら我慢も出来るが、何の変哲も無いヤツでは虚しくなるばかりである。


210124@naks01

序みたいに撮った124号機(1052レだろうか?)
この機関車、その存在が薄~いというか軽~い感じがして、耐えられなかったりもする小生である。



その後は一旦中庄駅近くのコンビニに寄ってから、前日のポイントに移動して山陽本線の撮影を続ける。この日は前日に比べて正午前後の時間帯で貨物の本数が多かった。貨物のダイヤが乱れ気味だったのだろうか?
本来なら9時台・10時台に通過する列車が遅れてこの時間に来た可能性が高い。


210155@naks01

11時丁度にやって来た155号機、この時間だとまだ正面が陰りがちである。


210134@naks01

正午過ぎにやってきた134号機 宅急便 のコンテナが目立つ。
この日は前日に比べて湿気ていて、被写体側は80%程度晴れていたのだが、背景では正午頃から雲が広がってしまった。この時期日本の南方海上には熱帯低気圧がウロウロしていたのいうのだから、この秋からのエルニーニョ現象は相当なものである。
カモレは桃太郎ばっかりという刺激に欠ける状況下でも、3連休最後とはいえこの日も臨貨=8053レがあってしかもクマイチ(#901)が来るというのが唯一の救いだった。
ただ、背景には雲がドンドン増えてきて気持ちが折れそうになる・・・



210901@naks01

8053レを牽いてやってきたクマイチ。小生の記憶が確かなら 4年前にワシクリで撮って以来の再会を果たせた事になる。被写体側も空が霞んで日差しがやや弱くなってしまっていた。

210135@naks01

ここまで来ると本当にただのオマケ、135号機。ただ、ほぼフルコン状態。

もう1本撮っているのだが、見ている方々も胸焼けしてきていると推察され、絵的にも今一つなので割愛。実はこの日の普電も前日と打って変わって末期色ばかり、国鉄形に飢えている関東在住の小生も途中からは事務的にシャッターを切る感じになっていた。
この日は瀬戸大橋線の備中箕島付近に再び足を運んで、16時過ぎに岡山での撮影を終えた。総体的には、381系115系117系105系キハ40系、更にはマリンライナー、しおかぜ、南風等々色々撮れたので釣果は大きいといえるが、カモレが何でコイツばかりなのだろうと思うと暗澹たる気持ちになってしまう。


この場所も二昔前位なら、 P F  EF66 変電所殺死と云ったあたりが入れ食いでバランス良く釣果も挙がっていたと思われる。思えばそれは美し過ぎる時代だったのであろう。



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今回はブルゴーニュでもクラシックな作り手として名高い George Mugneret (ジョルジュ・ミュニュレ)の作品を紹介する。George は 1988年に 59歳で死去した先代の名で、その後は Marie-Christine(マリー・クリスティーヌ)、Marie-André(マリー・アンドレ)という 2人の娘に引き継がれて今に至る。
Mugneret は Vosne Romanée では何世代にも渡って見られる名門というべき名前である。このドメーヌは先々代に当る André (アンドレ)及び  Jeanne (ジャンヌ)の Gibourg (ジブール)夫妻によって1933年に創立され、一人息子で薬剤師をしていた George に引き継がれ彼の名を冠する様になった。
ピュアで繊細にしてトラディショナルなワインを目指すという素晴らしいプリンシプル(principle)を貫いているのは間違いない。
先々代の時からの畑は Mugneret-Gibourg (ミュニュレ・ジブール)を名乗り、先代はGeorge Mugneret を名乗っていたが、2009年ヴィンテージから統合され、Geroge Mugneret Gibourg となった。


このワインも黄色っぽいエティケットが懐かしい。(現在は白地の物を採用)15年近く前に購入したと思うのだが、その時の相場は今の半分以下(7000円程度?)だった。この作り手の特級(grand cru)に至っては¥50000に迫る等、草も生えず不毛としか言い様がない所までゴ~~ンぬっ。

cmfeusl99mgnrgib01さて、ワイン自体のインプレッションに移ると、色は微かにレンガ色の入ったガーネット、それなりの深度
拾い出したエレメンツとしては・・・
メイン的な部分では苺、ラズベリー、赤スグリ、ローズヒップ、、ローワンベリー、野薔薇
サブ的な所ではラヴェンダーカカオマスブルーベリー、ブラックチェリー、ブラックベリー
更に加えてシナモン、リコリス、Bénédictine、キュンメル、鞣革、Drambuie、ナツメグ、Cognac、リエージュシロップ乾草、楠
といった所だろうか


酸がまだ少々固いと感じさせる所がある、タンニンもまだまだ健在。全体的に硬質な酒質なのか、そうだとしてもこのアペラシオンと作り手なら充分ありうる。
中間の膨らみが弱い様にも感じられ、少々間延びが透けて見える場面も・・・
ただ、綺麗な出汁の様な溶け込み感と旨味感が貫く様になってきていて、評価の難しい所のあるワインではあるが、要所要所で見せてくるフィネスはさすがとしか言い様がない


そんなこんなで更なる時間経過と共に一気に盛り返してきた。開くのに時間が掛るものの、長い時間を掛けて漸くミッドのグラもグッと出てくる

アフターはやや淡くも感じられるが、長さと伸びは充分以上のレベルであった。1999というヴィンテージの性格はこの作り手にはフィットし難いものだった事を考えると、少々不運な部分も見て取れる。
でもそこはクラシックなブルゴーニュの良さを体現できる数少ない作り手としての面目躍如という所か?


ブルゴーニュの酸という物の持つ奥深さと力を改めて感じさせてくれる貴重なワインであるのは確か。最終的には「ようやった~、ようやったぁ~、ホンマにお前はようやったぁ~」と言う事だろうか。

いつもの様にスコアリングしてみると、一寸迷うが・・・ 18 / 20




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今年で生誕50年を迎えた EF81、通称パーイチ。従前の EF80 をさらに進化させた謂わば「交直流機の決定版」として1968年12月に登場した。今月で丁度50年になったのである。
EF80 には1台車1電動機を採用していた事等から生ずる各種問題があり、新たな標準的交直流機の開発が必要だった。そこで50 / 60HZ の交流+直流の「 3電気対応機」として同世代の EF65 をベースに開発されたのがこのパーイチ様だったのである。


当時は交流機でサイリスタ位相制御が実用化されていて、パーイチも当初はサイリスタチョッパ制御の採用も検討されていたというが、抵抗制御という事で決着してしまった。汎用機として、日本海縦貫を中心にほぼ全国で使える様にするという大前提があった上、3 電気対応の為の各種機器を搭載する事等も考慮され 6軸(F級)で抵抗制御というシステムが採用された。

2014年北陸に遠征する事2回、この時のメインターゲットは 681/683系 はくたか であったのだが、サブターゲット達も豪華な大正義だった。無論、その中にはここで取り上げる富山の EF81 もあったのである。


2014年北陸遠征の1回目は5月末だった事は他の記事でも述べているが、初日の朝も500番台だったが新潟方面に向って来ていたのであった。
しかし、レンタカーの貸出手続きに手間取り、急いで撮影地に向ったが、到着したところで通過してしまい唯々見送るだけという破目になった。
(ジャパ〇レン〇カーは 24H 営業というのは助かるが、何せ場所が悪くて不便で対応もダラダラして今一つの事が多い)
その後 9時前の新潟方面もEF510-500番台だったので、パーイチ様は午後の部までお預けになってしまった




81721@tak01

初めて撮れた貨物パーイチは721号機の単機だった
関東在住の小生にとってはパーイチというと寝台特急を始め回送、工臨、イベント列車等々を牽引するJR 東日本所属機、真っ赤なパーイチのイメージが強かった。
正統派のパーイチはこの色であると確信した次第であった。


81404@tak01

富山にいた基本番台は運転記録装置の取付を機に600番台に改番されたが、こちらは404号機。元々は131号機だったが、九州用となり404号機に改造された、2007年に富山に転属。2011年には御覧の様な富山更新色に変った。
2015年以降はJR 東日本から移籍してきたEF510-500番台に役目を譲り、富山パーイチの運用が消滅。404号機は 2016年4月に門司に帰還を果たし再び九州内での運用に就いている。


そして翌日・・・。前日取り逃した7時台の 北 越 もパーイチも逃さずキャッチするぜぇ~という訳で

81725@tak01

7時半頃新潟に向う725号機=元125号機。湖西線開業に合せて1974年に投入され、旧敦賀第2機関区で活躍した後に富山に。入梅前の朝日の中でやってきた。

81735@tak01

2日目の午後に単機でやってきた735号機=元135号機・1975年製造、ヒサシ付きというのがマニア受けするらしい。ただ、ヒサシは上越線運用対応化の為の後付という事らしい。これも日本海縦貫での運用を失ってその挙句、去年廃車になってしまった

81729@tak01

この日の午後2本目のパーイチは荷のある 729号機だったが、編成長を読み違えてしまいケツが切れるという失態を犯してしまった 地方線区のカモレは不慣れなので編成長は余計に読み難いのは確かだが、多少長くても良い様に対応しておくべきだったと反省する小生である。
今から思えば、5月末で時刻も15時を過ぎていたのでここから少しだけ西高岡寄りのカーブでも撮れた気がする。それを思うと余計に残念なショットになってしまった。


同年9月末に遠征した時には、既にEF510 (0番台・500番台)が主体になっていた。門司所属だった500番台は続々と帰還してしまっていて、しかも撮影した場所が高岡ではなく富山だった事もあって、パーイチ様に出会う望みは叶わず、EF510 しか捉えられなかった。



81725@meis01

同年11月、名神クロスで晴天の下捉えた725号機。この罐とは半年振りの再会を果たせた事にはなるが、運用離脱が進んでいた事もあってこれが富山パーイチのラストショットになってしまった。この725号機も2016年に廃車されてしまった。
名神クロスでパーイチを撮るという一つの夢は何とか一度だけでも叶ったので良しとせねばならんのか?


元々九州用だった400・500番台以外でも門司に転属して走っているのは 717、716、718 の3機であり、2016年に721・725号機、2017年には726・735号機、今年には719号機が廃車になってしまっている。



参考がてらに旅客会社の方の EF81 も序に乗せておく

81101nhk@yod01

今は亡き敦賀の101号機(=JR 西日本所属)・2011年に淀川の鉄橋にて撮影
この101号機は2013年廃車、最後まで残った原色=106・108号機は2017年廃車となり原色は姿を消した。トワエク仕様の物でも先日 44号機 が廃車され残存するのは 113・114号機 のみとなっている


8198casp@krky01

JR 東日本所属 98号機牽引のカシオペア紀行=2017年2月撮影 98号機真っ赤なボディに流れ星マークの入った所謂北斗星カマ
E26 系も通常のカシオペアとしての運行は2016年春に終了し、以来はツアー列車として運行を続けているが、今年に入ってからその頻度は下がっている。



EF81 EF66 の様な圧倒的な存在感は無いのは事実、決してハイスペックでもない。汎用機というだけに一見平凡にも見えるが、同時に偉大なる平凡というものの凄さを確認させてくれたのだった。
生まれも育ちも東京で、EF81 というと嘗ての東北寝台特急のイメージを持ってしまう小生、貨物の EF81 とは御縁に恵まれなかった訳で、貨物のパーイチ様のこれだけしか押えられていない。
それならもっと早くから日本海側に足を運ばなかった?と突っ込まれれば返す言葉は無いが、小生も往還自在というには程遠い立場で、足を運ばなければと思っている内に2014年まで来てしまったのだった
JRFパーイチはまだ九州で走っているし、それも含めて国鉄形機関車は長寿である、非常に使い易いとされる事がその背景にあろう。 EF64 では1000番台=80年代製造ばかりになってしまったが、1970年製の 37号機JR 東日本)はまだ生きている。 EF65 でも70年代後半以降のロット(勿論PF1000番台)は 国鉄特急色 に復帰するなどしてまだまだ健在である。その一方、「JR 形」の 3桁機関車がそんなに長生き出来るのかは、はっきり言って疑問である。(多分ダメだろう・・・)



てなわけで、そんなパーイチ様に小生から捧げる珠玉の一曲は、この曲と相成った
Peter Cetera (ピーター・セテラ)並び Amy Grant (エイミー・グラント)がデュエットし、1986年の末に全米#1 をも獲得した超有名曲である " The Next Time I Fall " 
Peter Cetera は Chicago (シカゴ)のヴォーカルを長らく努めた後、脱退してソロに転向したばかりだったが、" Glory Of Love " に続く2曲連続の全米#1 獲得となりソロシンガーとして非常に良い滑り出しを見せた格好であった。
一方、Amy Grant は元々ゴスペルシンガーだったが、この曲の大ヒットでポップスシンガーとして認知度を上げて、その後90年代に入ると一気にメジャーな名前になった。(註1)(註2
因みに作曲者は Paul Gordon (ポール・ゴードン)と Bobby Caldwell (ボビー・コールドウェル)


この曲のPV はこちらのようつべでも御覧頂きたい。当時20代半ばだったエイミーは結構美しかったが・・・


Love, like a road that never ends
How it leads me back again to heartache, I’ll never understand
Darling, I put my heart up on a shelf‘
Til the moment was right and told myself


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., oh, oh, oh,
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Now, as I look into your eyes
Well. I wonder if it’s wise to hold you like I wanted to before
Tonight, oh, I was thinking that you might
Be the one who breathes life in this heart of mine


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I’m gonna follow through
And if it drives me crazy, I will know better why the next time I try


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I fall in love... ( next time I fall ), oh, oh, oh, oh...
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you...




註1)Peter Cetera=ピーター・セテラは1944年9月・イリノイ州生まれ=長池徳士、安仁屋宗八、杉良太郎、平泉成、内田勝正、渡瀬恒彦、野川由美子等と同い年に当る。
Chicago の前身時代(The Big Thing)を含めて1967~1985年までリードヴォーカル兼ベースと務め、1985年に41歳で脱退しソロ活動に転ずる。1986年のアルバム " Solitude Solitare " 及び1988年の " One More Story " は大ヒット作品となった
註2)Amy Grant=エイミー・グラントは1960年11月・テネシー州生まれ=清水ミチコ、コロッケ、安寿ミラ、福良淳一、津田恒実、旭富士正也(伊勢ヶ濱親方)、氷室京介等と同い年になる
1976年にゴスペルシンガーとしてデビュー、1982年のアルバム " Age to Age " はゴスペルとしては異例のミリオンセラーを記録。" The Next Time I Fall " の大ヒットを機にポップスに進出し、1991年のアルバム " Heart in Motion " からのシングル " Baby Baby " でソロでの全米#1を獲得。90年代はポップスシンガーとして大活躍。その後21世紀に入るとゴスペルに復帰。




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