この話をアップ出来るタイミングを計っていて、そんなこんなで月日が経ってしまった。そんな中、今年は国民的特急車 485系 が生誕50周年となり、しかも伝説の「ヨン・サン・トウ」改正(1968=昭和43年10月)からも今月で丁度50年。アップするにはある意味で絶好のチャンス到来ともなった。
北陸本線が特急街道として輝く最期の姿を撮るために富山に足を運んだのは 2回、2014年の 5月と 9月だったが、それからもう4年も経ってしまった。
メインターゲットはあくまでも はくたか であったが、 北 越 、475系、413系、トワエク、更には富山のパーイチとサブターゲット達も豪華だった。
夜行バスで富山に着いたのは朝5時半位だった。その後富山駅で475系等を撮りながら高岡へ向う列車を待ち、朝6時過ぎのサンダーバードで高岡に向った。
駅前のレンタカーは8時からなので、タクシーで24時間営業のレンタカー屋(カラオケ屋とセットで不便な所にあるアレ)に行って、36時間使用する内容で車を借りた。
選んだ場所は高岡~西高岡間、高岡市和田という所にあるスポット。線路の向きは凡そ 1 to 7 なので夏場の早朝は北東方向に向う列車を狙うことになる。午前7時頃の 北越1号 新潟行きから狙えればと思って段取りした筈なのだが・・・よくある事ではあるが、レンタカーの手続きに手間取った為に間に合わなかった。
(ネットで予約しておいたのに、その場で書かされる書類が多かったりして使い勝手が悪い。)
現在ならこの近くに高岡やぶなみ駅(あいの風とやま鉄道)が存在するが、その開業は2018年3月。これがあと4年だけ早く出来ていればと思うと悔しい。
(もしその時やぶなみ駅があればそこから徒歩で行く事も可能だったであろうが・・・)
そんな 1日目の朝はそれでもまぁ、こんな辺りは撮れたのである。
475系3連アイボリー+ブルーの北陸色がダブル、2014年でも朝方にはこんな運用が残っていたのである
475系3連ダブルには変わりないが、こちらは混色
栄光の神列車だった Twilight Express 大阪行き、光線状態の関係上後追いになってしまった。モデル撮影記シリーズでは何回も登場するが、実を言うと小生がこの列車を捕らえたのは残念ながら僅かな回数でしかない
7時過ぎのパーイチは逃してしまったが、9時前のレッドサンダーは撮れた。「正調」のEF510 は初撮影でこれも感動だった。
ここからもう少し西高岡寄りに移動して9時台の撮影をして、午前の部はここで終了。北越は3時間おきにしか来ないので1本逃すと本当に痛い。
その後は風呂に入り必要な物資調達も行って、13時30分から午後の部開始と相成った。
開始1発目が金沢行・ 北越4号=R28 編成 だったが、光線状態に無理があった。5月の末でこの時間だと、如何せん陽が高すぎるのに加えて方位角的もサイドまでちゃんと回らない状態だった。
苦労するのがアングル作り、厭な所に中途半端に障害物があったりしてなかなか苦しい展開だった。
14時過ぎ頃に今度は新潟行きの 5号=R22 がやってきた。14時を過ぎて光線状態の方も少しマシになったが、まだまだ陽が高いからイイ感じにはならない。
結局、15時半過ぎまでこのストレートで粘り、その後は急いで少しだけ西高岡寄りのカーブ(結構有名だった!)に移動。
金沢行きの 6号 としてやってきたのは T12 編成 、顔面整形していない奴と言った方が良いか? 上沼垂色 なのが玉に傷かも知れない。それこそ 国鉄特急色 だったらもうウルトラ感涙モノなのだが、この世はそこまで甘くない。
2014年5月末の時点で、 T 編成 4本と首都圏対応 K 編成の2本が残存していたが、 T 編成 の廃車が進行していた時期であった。
この絵はフルサイズなら330mm相当(理論上)になってしまうので、APSC 得意の芸当炸裂である。APSC の何処が悪い?充分に使い様はあるのだ
北陸地域での本格的撮り鉄はこの日が初だったが、18時近くまで粘ってこの日は終了。
宿泊は勿論高岡市内だったが、夕方だというのに高岡市の中心部は歩く人間の数も少なくとても寂れた印象だった。中小の地方都市の現実というものを改めて思い知った気がした小生だった。
この 北 越 のみならず、日本海を駆け抜けた 485系 、大正義特急街道を築いた北陸本線に捧げる今回の一曲としてセレクトしたのは、西城秀樹氏が1976年の末に放った美曲である「ラストシーン」
「ジャガー」・「若き獅子たちよ」という謂わば「猫二部作」に続いてのシングルだった。
この曲自体は凄い大ヒットという訳ではなく、同氏の数あるヒット曲の中でもどちらかというと地味な部類に入るが、美曲と呼ぶに相応しいものでファンからの評価も高いという。
当時の画像映像を振り返ると、西城氏が当時 21歳だったというのに今更ながら驚いてしまう。兎に角今時の21歳とは随分かけ離れた印象である。蛇足だが、彼と同い年の江川卓氏、掛布雅之氏、達川光男氏、内藤剛志氏、明石屋さんま氏、ビル・ゲイツ氏も当時は 21歳だった事になる。
これがどの様な曲だったかはこちらなんかがようつべに上がっているので、ご参照頂きたい
何年でも待つよと言ったら 貴女は寂しく微笑みながら
そんな事をしたら 不幸になるわ 忘れた方が良いと言う
有難う、幸せだったわ 一緒に歩けなくって御免なさい
暖かい春の日差しの中で 熱がある様に僕は震えていた
もう恋などしないと言ったら あなたは馬鹿ねと呟きながら
そんな事言って困らせないで 無邪気な方が良いと言う
有難う、幸せだったわ 出来ればもっと早く 逢いたかった
賑やかな街の通りの中で 夢を見た様に僕は泣いていた
今更ながらに小生は後悔する。出来ればもっともっと早く逢っておくべきだった、北陸本線の栄光ある姿に・・・
そして Part 2 へと続く!
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北陸本線が特急街道として輝く最期の姿を撮るために富山に足を運んだのは 2回、2014年の 5月と 9月だったが、それからもう4年も経ってしまった。
メインターゲットはあくまでも はくたか であったが、 北 越 、475系、413系、トワエク、更には富山のパーイチとサブターゲット達も豪華だった。
夜行バスで富山に着いたのは朝5時半位だった。その後富山駅で475系等を撮りながら高岡へ向う列車を待ち、朝6時過ぎのサンダーバードで高岡に向った。
駅前のレンタカーは8時からなので、タクシーで24時間営業のレンタカー屋(カラオケ屋とセットで不便な所にあるアレ)に行って、36時間使用する内容で車を借りた。
選んだ場所は高岡~西高岡間、高岡市和田という所にあるスポット。線路の向きは凡そ 1 to 7 なので夏場の早朝は北東方向に向う列車を狙うことになる。午前7時頃の 北越1号 新潟行きから狙えればと思って段取りした筈なのだが・・・よくある事ではあるが、レンタカーの手続きに手間取った為に間に合わなかった。
(ネットで予約しておいたのに、その場で書かされる書類が多かったりして使い勝手が悪い。)
現在ならこの近くに高岡やぶなみ駅(あいの風とやま鉄道)が存在するが、その開業は2018年3月。これがあと4年だけ早く出来ていればと思うと悔しい。
(もしその時やぶなみ駅があればそこから徒歩で行く事も可能だったであろうが・・・)
そんな 1日目の朝はそれでもまぁ、こんな辺りは撮れたのである。
475系3連アイボリー+ブルーの北陸色がダブル、2014年でも朝方にはこんな運用が残っていたのである
475系3連ダブルには変わりないが、こちらは混色
栄光の神列車だった Twilight Express 大阪行き、光線状態の関係上後追いになってしまった。モデル撮影記シリーズでは何回も登場するが、実を言うと小生がこの列車を捕らえたのは残念ながら僅かな回数でしかない
7時過ぎのパーイチは逃してしまったが、9時前のレッドサンダーは撮れた。「正調」のEF510 は初撮影でこれも感動だった。
ここからもう少し西高岡寄りに移動して9時台の撮影をして、午前の部はここで終了。北越は3時間おきにしか来ないので1本逃すと本当に痛い。
その後は風呂に入り必要な物資調達も行って、13時30分から午後の部開始と相成った。
開始1発目が金沢行・ 北越4号=R28 編成 だったが、光線状態に無理があった。5月の末でこの時間だと、如何せん陽が高すぎるのに加えて方位角的もサイドまでちゃんと回らない状態だった。
苦労するのがアングル作り、厭な所に中途半端に障害物があったりしてなかなか苦しい展開だった。
14時過ぎ頃に今度は新潟行きの 5号=R22 がやってきた。14時を過ぎて光線状態の方も少しマシになったが、まだまだ陽が高いからイイ感じにはならない。
結局、15時半過ぎまでこのストレートで粘り、その後は急いで少しだけ西高岡寄りのカーブ(結構有名だった!)に移動。
金沢行きの 6号 としてやってきたのは T12 編成 、顔面整形していない奴と言った方が良いか? 上沼垂色 なのが玉に傷かも知れない。それこそ 国鉄特急色 だったらもうウルトラ感涙モノなのだが、この世はそこまで甘くない。
2014年5月末の時点で、 T 編成 4本と首都圏対応 K 編成の2本が残存していたが、 T 編成 の廃車が進行していた時期であった。
この絵はフルサイズなら330mm相当(理論上)になってしまうので、APSC 得意の芸当炸裂である。APSC の何処が悪い?充分に使い様はあるのだ
北陸地域での本格的撮り鉄はこの日が初だったが、18時近くまで粘ってこの日は終了。
宿泊は勿論高岡市内だったが、夕方だというのに高岡市の中心部は歩く人間の数も少なくとても寂れた印象だった。中小の地方都市の現実というものを改めて思い知った気がした小生だった。
この 北 越 のみならず、日本海を駆け抜けた 485系 、大正義特急街道を築いた北陸本線に捧げる今回の一曲としてセレクトしたのは、西城秀樹氏が1976年の末に放った美曲である「ラストシーン」
「ジャガー」・「若き獅子たちよ」という謂わば「猫二部作」に続いてのシングルだった。
この曲自体は凄い大ヒットという訳ではなく、同氏の数あるヒット曲の中でもどちらかというと地味な部類に入るが、美曲と呼ぶに相応しいものでファンからの評価も高いという。
当時の画像映像を振り返ると、西城氏が当時 21歳だったというのに今更ながら驚いてしまう。兎に角今時の21歳とは随分かけ離れた印象である。蛇足だが、彼と同い年の江川卓氏、掛布雅之氏、達川光男氏、内藤剛志氏、明石屋さんま氏、ビル・ゲイツ氏も当時は 21歳だった事になる。
これがどの様な曲だったかはこちらなんかがようつべに上がっているので、ご参照頂きたい
何年でも待つよと言ったら 貴女は寂しく微笑みながら
そんな事をしたら 不幸になるわ 忘れた方が良いと言う
有難う、幸せだったわ 一緒に歩けなくって御免なさい
暖かい春の日差しの中で 熱がある様に僕は震えていた
もう恋などしないと言ったら あなたは馬鹿ねと呟きながら
そんな事言って困らせないで 無邪気な方が良いと言う
有難う、幸せだったわ 出来ればもっと早く 逢いたかった
賑やかな街の通りの中で 夢を見た様に僕は泣いていた
賑やかな街の通りの中で 夢を見た様に僕は泣いていた
今更ながらに小生は後悔する。出来ればもっともっと早く逢っておくべきだった、北陸本線の栄光ある姿に・・・
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