Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2018年10月

このサイトでボルドーの所謂プチシャトーなんて取り上げるのはこれが初めてではないだろうか?
この Château Haut Brega (シャトー・オー・ブレガ)のアペラシオンは Haut-Médoc で cru artisan (クリュ・アルティザン)とある。
Médoc におけるシャトーの格付けの一つであるが、非常に小規模な所がその殆どを占めている。1855年にgrand cru classé (グラン・クリュ・クラッセ=1~5級)が規定され、その下に cru bourgeois (クリュ・ブルジョワ)、さらに cru artisan というカテゴリーがあったのだが、 bourgeois 以下は公式なカテゴリーでは無いとされたのか法的な整備が近年まで為されなかった。cru artisan も1994年になって漸くEU の規定の対象に入り、今世紀に入って公式に44銘柄が認定される事になった。
このワインについてだが、セパージュはCabernet Sauvignon =60%、Merlot =40%という事らしく、収穫は手積みで発酵にはステンレスタンクを使用。作り自体はかなりクラシカルというのが専らの評判である。


そもそも、このワインを購入した経緯としては、もう10年近く前になろうか? 品川区荏原の住宅街にある結構有名なワイン専門店を訪れた時に、色々話をしながら熟成形のクラシックなボルドーとして勧められた中の一本だった。

hautbrega2k2aここからはワインのインプレッションに入る。まずはカラーについてだが、
ルピーパープルを少し残したガーネットで透明感がありながらもしっとりとした深度もある
飲み進めて行くと、
土、枯葉ブルーベリー、ハスカップ、カシス、ブラックベリーという所をメインに
丁子、西洋杉、ローズマリー、カンファーが続き更には
ブラックチェリー野苺リコリス、ファンタグレープ刻み煙草という辺りが感じられて
時間経過を経て時折ミーティーなニュアンス、オイリーなそれも見付けられる。

ボディはやや薄めという事もあり、タンニンが目立ってしまう様にも見えるが、タンニンも過剰ではなく、酸もボルドーとしては綺麗でしっかりしている。(此処が実はポイントだったりする)
更に肌理も結構細かい。
「昔のボルドーって(凡そ30年以上前)こうだったよね」という記憶が蘇る。


小生の様に30年以上前のワインを知っている世代には懐かしく感じられる所はあるだろうが、今風のワインしか知らない若い世代には理解されない危険性が高い。ましてやアメリカ人なんかには到底受け入れられないのは明白である。

スケールは大きくないが複雑さはそこそこあって、非常に心地良いバランスを持った躯体。プチシャトーといって馬鹿には出来ない。長い余韻はさすがに期待出来なかったが、その部分についても及第点以上と言えただろうか?
ボルドーみたいな場所でクラシックな作りを誠実にやろうとすると、こういう超マイナーな所で無いと無理であるのはよく判る。
メジャーな産地だと、出せば高値で売れる→巨額の投資をして色々なテクニックを駆使して彼方此方少しずつでも誤魔化す、こういう商人のワインとも言うべきやり方が罷り通り易い。


いつもの様にスコアリングすると・・・、17 or 17.5 / 20は遣れるだろうか




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Château Léoville Poyferré (レオヴィル・ポワフェレ)といえば、所謂 「Léoville 3兄弟」の一つである。元々は1638年に出来た Mont - Moytie (モン・モワティ)というボルドーでも最古のドメーヌだった。その約100年後、Moytie 家の姻戚に当る Alexsandre de Gascq (アレクサンドル・ドゥ・ガスク)がオーナーになり、ドメーヌは Léoville (Lionville が語源)に改名。これに留まらず近現代のボルドーワイン作りの基礎になる色々な手法を開発し採用して行った。
この時代には葡萄畑の拡大も進み200haに達したが、1776年に4名に対して分割して売却された。その内2名の分については1826年に Hugh Barton の下で Léoville Barton (レオヴィル・バルトン)として纏められた。(分割前のドメーヌの25%に相当)
その後 1840年に残りの 75%を占めていた  Léoville Las Cases (レオヴィル・ラスカス)から Léoville Poyferré  が分立した。Las Cases の当時のオーナーだった Adolphe de 
Lacaze から娘の Jeannne 並びその夫 Baron Jean-Marie
Poyferré de Cerès に割譲された部分が Léoville Poyferré  になる。
この 3シャトーは駐車場を共有する等、元々1つのシャトーであった事の名残りを今も残している。


現在もこのシャトーを保有する Cuvelier (キュヴリエ)一家がオーナーになったのは1920年。そしてその約60年後、1979年に当時26歳だった Didier (ディディエ)Cuvelierが取り仕切るようになると、状況が大きく変る。
Didier はその師匠に当る Emile Peynaud (エミール・ペイノー)と共に葡萄の大幅な植替え等各種の改革に乗り出す。それが功を奏したのか、冴えない時期もあったこのシャトーの評価は上がって行き、今やボルドーのトップスター達と同等以上と評される所まで来た。
去年、65歳になった Didier は姪に当たるSara Lecomte Cuvelier(サラ・ルコント・キュヴリエ)にポジションを譲り引退した。


levpoyf96a地理的な事を言えばこのシャトーはSaint-Julien でも一番北にあり、Pauillac (ポイヤック)の Pichon Longueville Comtesse de Lalande (つまり、ピション・ラランド)と境を接している。
ブレンド比率はデフォルトで C. Sauvignon 65%、Merlot 25%、Petit Verdot 8%、C. Franc 2%という構成である。


てなわけで・・・前戯はここまでにして、肝心要のインプレッションに移る

先ずはカラーについて
微かにルビー掛った濃いガーネットだが、ギトギト感は無くクリアで深度もある。

出て来たエレメンツを拾い出して行くと・・・
第1ディレクトリではカシス、ハスカップ、ブラックチェリー、カンファー、ナツメグシャンボールリキュール

次のディレクトリとしては西洋杉、山葡萄、黒胡椒、野苺セミスウィートチョコ
さらに続いて野薔薇、アッサムティー、シナモン、カプチーノラズベリー葉巻という辺りになるだろうか?

口蓋内では意外な程流麗でバランスが良いのには驚く。キッチリ熟成したニュアンスと溶け込み感がgood

タンニンのみならず酸もしっかりしていて、諄さを感じさせなかったばかりか時間経過と共に旨味感も明瞭化してくる。さすがに1990年代産のボルドーというフィーリングは避けられないものの、ボルドー本来の真髄も少しは垣間見せてくれたのはポイントが高い。
レオヴィル3兄弟の中で一番地味というのが功を奏したか。メドックの当たり年である1996という年の性格も影響しての部分もあるだろうか?


いつもの様にスコアリングしてみると・・・ 18 / 20




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2014年も時は9月末に移る。この年2度目の北陸遠征。9月末ともなれば 5月とは光線状態が全く違うから撮影地も変る事となる。
5月は高岡~西高岡間の同じ場所で2日間過ごしてしまったが、この時はもう少しヴァリエーションを持たせようと考えた。ただ、余り彼方此方に散らばっても効率が下がるそれだけでなく、富山なんて勝手が分らない場所だというリスクも考える必要があった。


夜行バスで富山に着いて、8時にレンタカー屋が開くまでは 2時間余り。駅前にサウナがあれば先ずそこに行くのだが、富山駅前にそんな物は無かったので富山ライトレールを撮影する等して過した。

tlr0602@toym01

8時前にレンタカー屋が開いたので、早速手続きしてインプレッサで繰り出した場所は東富山~水橋間の急カーブ。富山からの列車が北北東から東へと向きを変える場所である。

haktk051

北越急行車JR 車の混結、でも 681系で統一されている。被写体側は晴れているのに、背景は曇ってしまった。頻繁に大きな雲が通過して条件が安定しない。
このカーブ 6両なら入るが、それ以上になると内側に障害物があって隠れてしまう。見ての通り、3両編成の普通電車には不適

そこから東富山駅南側のストレートに移動


510505@htym01

この日の午前中は前日に通過した気圧の谷の影響が残ったのか、頻繁に曇るという困った状況には唯々呆れた。このカモレもマンダーラになってしまう等、ストレスが溜る一方
この日は早々にこの撮影地を諦めて、西高岡~福岡間で能越自動車道を潜る場所に移動。
そこで正午頃のヨンダーはくたか1本ずつを撮って、その後は呉羽~小杉間のストレートに移動して昼過ぎからの列車を狙う事にした。


晴れたり曇ったりが頻繁に入れ替わる困った状況は結局13時前まで続いて、漸く変り易い空も落ち着いた所で 北 越 を迎え撃つ事と相成った。

hkets051

R 27 編成使用の北越4号をキャッチした・・・と思ったら富山行きのしらさぎに裏被り食った
この直後の普通電車を撮って、国道 8号BP を飛ばして水橋の方まで行く事とした。常願寺川を渡る辺りでと考えていたのだが、何故か鉄橋の所しか思い浮かばなかった。もっと良い撮影地が川の東側にあったというのに・・・


常願寺川の堤防に近付いた時、後から急に煽る車がいて小生もパニックになった。必至に堤防まで逃げたが、そいつも堤防まで付いて来た。煽って来た奴も小生と目的が一緒、同業者を煽るって何考えとんねん?
ホンマやったら謝ってほ C とも思う所やが、そこは穏便に収めるべく何事も無いようにガマン


暫くしてそいつが帰った後、16時手前になって 北 越 6号 がやって来た。(それまでに413系普通とはくたか1本ずつ撮影)

hkets052

充当されていたのはR22 編成だった。背後の山々も入れられる事も期待されたが、見ての通りに煙ってしまいまともに写らなかった。この日は16時半まで撮影した後、寄り道しながら宿泊先のある富山駅前に向った。

2014年9月末の時点では新潟の 485系 は整形手術の R 編成 が 8本残っていた(事故廃車の R24 以外全て)のに対し、オリジナルの形を残した車は T18 K1 編成のみだった。(原形上沼垂色は全滅



さて2日目、朝一番向った場所は件のカーブだった。やってきたはくたか5号は前日の丁度逆で湯沢側がJR 車で金沢方がスノラビというものだった。(ここでも触れておくが、この遠征のメインターゲットはあくまでもはくたかであった)

何せ富山という所が初めてで、勝手が分らない事が多すぎなので、前日と同じ東富山のストレートに移動してしまった。最初から前日も行った呉羽~小杉のストレートに朝から向うという選択肢もあったのだが・・・
この日は前日と打って変わって、朝からほぼ完璧な晴天で撮影も順調にこなせてストレスフリー


11時前になって、 北越2号 のターンが近付く
準備していると、「ここ入って大丈夫ですか?」と声を掛けてくる同業者がいたので、「問題無いですよ」と返した。
そこでこの直前でやってくる奴がいるという事は・・・ひょっとして
微かな期待を込めて「国鉄色でも来るんですか?」と尋ね返すと、「いやいつものR 編成ですよ」と返って来た。そこで一寸ガッカリした小生だが、まぁそんなもんだろうと思い気を取り直し備えた。


hkets053

やってきたのは R21 編成
もっと手前まで引き付けた構図にすればケツまでもっと綺麗に抜けたのに・・・という感じではあるが何とか無難に撮れてまぁお K って所だろうか


その後、JR だけではオモロないと思った小生は富山地鉄にターゲットを一旦変更すべく稲荷町駅近くに移動、そこから常願寺川の鉄橋に速攻で移った。

toym14770@inrc01

稲荷町駅付近での作例として、 14760形のブラジルカラー 第 5編成

toym14765@jogjg01

常願寺川の鉄橋での作例として、こちらも14760形だが 地鉄特急色 第 3編成
この常願寺川の鉄橋(地鉄の方)だが、架線柱の間隔が短すぎて参った


そして13時過ぎに東富山~水橋間に行って北陸本線の撮影に戻るつもりでいたのだが、何とこの「浮気」が大きなミスになってしまった。
午後の部最初の1本にと思っていた 北越4号 に間に合わず、実はその後に475系6連運用もあってこちらも現場に着いたその時車の中から見送る羽目に・・・
浮気の代償大き過ぎである

51008@htym01

14時過ぎにやって来た EF510 - 8号機、日本海縦貫のカモレは長さが読み難いが、この時は上手く収まった。関東に住む小生みたいな者にとってはパーイチでなくともレッドサンダーのシャッターチャンスも貴重である。
それにしても、せんろに入ってはいけませんの看板(画面手前左側)はどうにかならんのか?
(線路に入るのは沿線に畑を持つ農家の人達が殆どらしい)

この後、再び移動したが、この日二つ目のミスを犯してしまった。この辺で名撮影地といえば、常願寺川の東側にあるあの築堤であるのは明白なのに、前日と同じく川の堤防に行ってしまった。あの名撮影地の事が頭の中から抜けていたとしか思えない。予めネット等で調べていたにも関わらずである。
勝手の分らぬ場所に行くと、判断が色々狂ってしまうクセも治っていないのか?


hkets054

それでも順調に撮影は進み、16時前に通過した R25編成充当の北越6号 も無事撮影
結局この後北陸に遠征するチャンスは無いままあの日を迎えたので、これがラストショットになってしまった。そして、あの築堤に行けなかった事も大いに悔やまれる
鉄橋は橋脚との関係だろうか?、架線柱の間隔が狭い所が多い。普通なら目安として1スパンで2両分かそれ以上あるのに、ここも 1.5両分程度しかなかった。


485系で青森車・仙台車と共にその最後の砦として残った新潟車だが、 国鉄特急色の T 1・K18 編成 R 編成達 も2015年3月以降一気に廃車が進み、 糸魚川快速 の運用に就いた R 26・28編成 も同快速廃止によって2017年春に続々と廃車され 485系新潟車 は全廃となった。



今回、在りし日の特急街道を偲んでこの地味だった特急に捧げる1曲はというと・・・
The EAGLES (イーグルズ)の隠れた名曲 " The Last Resort " (1976年)を小生は選んだ

この last resort という言葉は最終手段と訳される。アメリカという国の成立ちと歩みについての最低限の知識は必要だが、この曲がアメリカの開拓史と環境破壊について歌っている事は容易に想像が付く。
この曲を聴くと、日本に於いて新幹線や高速道路の様な大容量高速交通インフラの罠というべきものが地方を飲み込もうとしている事と何処か共通する匂いが嗅ぎ取れてしまう。
風土と長い歴史に裏打ちされた街がその記憶共々抹殺されて蒸発する様なケースが増えるのとしたら、それは御免蒙るというものだろう。

金沢以東の北陸本線は特急街道としての栄光から一転、だたの 3セクローカル線に落ちぶれてしまった。整備新幹線の矛盾(これについてはこちらの記事でも触れているからご参照を)というものがどうしても見えて来てしまう。仰々しい新幹線と並行するローカル線という状況が作られ、「東京は近くなり地元は遠くなる」という矛盾を抱えた状況。
同時に、はくたかを運行していた北越急行にも勿論不合理と矛盾はあるのだが・・・


新幹線で一流の地域になったと喜び、便利さと表面的な豊かさは一時的にでも手にするであろう。外国人観光客や首都圏から押し寄せる観光客等、そして観光関連で食っているような連中は「新幹線 1本で行ける便利なパラダイスに成り上がった」と言うだろう。
でもその裏で北陸が新たなる収奪のターゲットにされる可能性が高まったという事でもあり、新幹線が出来ても人口減少は止まっていない。それこそ将来、観光客と高齢者ばかりというトンでもない場所に成り下がる可能性だってある。


今、あっちもこっちも整備新幹線を作れと盛り上がっている所は多いが、新幹線が国土政策の矛盾のアイコンになって、地方殺死の文字通り The Last Resort になってしまったら元も子もない
政治新幹線に殺された阿久根(鹿児島)の様なケースが増えるのが文化的だといえるのだろうか?


どの様な曲か御存知ない方も、しっかり聴いてみたいという御仁達もこちらのようつべはお勧めなので参照頂きたい

She came from Providence, the one in Rhode Island where the old world shadows hang heavy in the air
She packed her hopes and dreams, like a refugee just as her father came across the se
a

She heard about a place people were smiling
They spoke about the red man's way how they loved the land
And they came from everywhere to the Great Divide seeking a place to stand, or a place to hide


Down in the crowded bars, out for a good time
Can't wait to tell you all, what it's like up there, and they called it paradise, I don't know why
Somebody laid the mountains low, while the town got high


Then the chilly winds blew down across the desert, through the canyons of the coast to the Malibu
Where the pretty people play, hungry for power to light their neon way and give them things to do


Some rich men came and raped the land,Nobody caught them
Put up a bunch of ugly boxes, and Jesus, people bought them
And they called it paradise, the place to be
They watched the hazy sun, sinking in the sea


You can leave it all behind and sail to Lahaina, just like the missionaries did so many years ago
They even brought a neon sign "Jesus is coming"
Brought the white man's burden down, brought the white man's reign


Who will provide the grand design?,  What is yours and what is mine?
'Cause there is no more new frontier,  we have got to make it here
We satisfy our endless needs and justify our bloody deeds in the name of destiny and the name of God


And you can see them there on Sunday morning
They stand up and sing about what it's like up there
They call it paradise, I don't know why
You call someplace paradise, kiss it goodbye…



これにはまだ続きがある、そちらは番外編にて!


関連記事=メモリーズ 413系国鉄近郊型車体 Part 1 Part 2 Part 3



)1976年の名盤 " Hotel California " (ホテル・カリフォルニア)に収録され、そのからの 2nd シングル " Life in the Fast Lane " の B 面になった曲である。作曲者は Don Henley (ドン・ヘンリー)並び Glenn Frey (グレン・フライ)。



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Domaine Belle (ドメーヌ・ベル)は日本では余り知られていないが、Hermitage (エルミタージュ)の中でも有数の作り手である。
その歩みだが、1933年に Louis Belle (ルイ・ベル)によって創業したが、当時は育てた葡萄をネゴシアンや協同組合に売っていただけだった。これには彼自身が Tain de l'Hermitage の協同組合の創立者の一人だったという背景もある。
1971年に Albert (アルベール)が引き継ぐと畑を買い増し、遂に1990年、醸造設備とセラーを設けてワインの自社生産元詰めを開始する。2003年に Albert が引退し、その息子で現当主の Phillipe (フィリップ)による運営へと変る。2014年からは葡萄の100%有機栽培を開始する。
現在この生産者は Hermitage、Crozes-Hermitage、Saint-Joseph という3つのクリュに合計で25haを保有し、赤白合計で 8種類のキュヴェを生産する。


herm99abel01

この蔵の中でも絶対的エースと言える Hermitage rouge に関しては、基本的に全房発酵(除梗しない)ではあるが、状況によって変る事もあるという。発酵にはステンレスタンクを使用し、乳酸発酵の後に樽での熟成に入る=新樽比率は50%。

色はクリアだが深みのあるガーネットで、この時点でそれなりには綺麗に熟成した様な予感を持たせる。
拾い出せたエレメンツを挙げて行くと・・・まぁ、こんなあたりだろうか
序盤から出て来た「第1グループ」として、ラズベリーFraise des boisミント、薫煙香、牛蒡リコリス
後続の「第2グループ」では、ブラックベリー、カンファー、グリオッティンチェリーブルーベリー、アールグレイ、黒文字花椒ArmagnacBénédictineFernetローズヒップ
更にその後続として、コーヒーリキュール、楠、微かに枯葉ラヴェンダーキャラウェイ、トリュフ


酸もタンニンも暴れはしないが、しっかりとその存在を主張して尚且つ全体の規律を乱す気配がない。特筆すべきはトロリとして強いグリップを伴いながら纏りの良い流れ方。
しっかりした肌理の綺麗に揃った様なその躯体から繰り出される旨味達は五臓六腑に突き刺さりながら強く染み渡るが、そこには諄さや押し付けがましさは感じられない。
ただ、その際香味の広がりが縦方向主体で、もう少し水平方向のそれが欲しかった感はある。
アフターからフィニッシュについても、強くて盛り上がりも大きく伸びやかで長い。Belle 家の Albert ・Phillipe 親子の非常に誠実だとされる人柄を反映して造られたワインとも言えるだろうか・・・

現在、この生産者のワインは愛知県にある某インポータがエージェントになっているから、入手困難という訳ではないが、Hermitage は生産量が非常に少なく入手がやや難しい。

最後に、恒例のスコアリングだが・・・ 18.5 / 20




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2014年5月末の遠征 2日目、この日こそは 7時の 北 越 通過に間に合わせなければならない。高岡なんて夜遊び出来る所は殆ど無い事が幸いして前日はやや早めに寝て、起床は何と5時40分、6時半にチェックアウトという強行軍!
夏場は朝時と午後遅めの時間がチャンスになるから、こういう事にならざるを得ない。それこそ安くは無い遠征費をかけてやるのだから、それなりの釣果はしっかり挙げなければならない。


・・・てなわけで、前日撮り逃した7時の 北越1号 に間に合わせるべくホテルから車を飛ばした。

hkets004

7 時数分前に現場に入れたので、何とか間に合った、が・・・
手前に黄色い変なものが・・・、線路に入ってはいけませんというこのエリアでは何故かよく見る看板
先客もいたので前日とは架線 1スパン分立位置を変えざるを得なかった事が原因だったと記憶している。
これだけではさすがに淋しいので他の作例も載せてみる


510511@tak01

2014年時点で富山のカマになっていたEF510 - 511 、移籍して間もなくだったのでまだ見られる姿だった。嘗ては常磐線等での貨物牽引もあったのだが、寝台特急牽引機での姿を見てきた小生からするとどこと無く違和感がある。

683r13@tak01

ヨンダー(4000番台 T 編成=奥側 9両)と R 編成(手前 3両)での惨ダーバード大阪行き。威風堂々の12連と言いたい所だが、基本的にヨンダーなので感銘が薄い。

475系・413系は既に取り上げていて、 はくたか しらさぎ EF81 は別途フィーチャーするので原則的には割愛する。

この後9時台に入って西高岡よりに進んだ場所のストレイトでの作例

683s05@tak01

289系の前身である683系2000番台8連の しらさぎ
これで撮影時刻は9時半位である、絵から見ても判ると思われるが光線がかなり高くなってしまっている。
今や683系2000番台も289系に改造されてその佇まいも変ってしまっている。


521g26@tak01

2014年の時点で普通列車の主力は 521系 が占めていた。この様な4連ならまだ絵になるが、2連だと悲惨である。それにしてもこの出で立ち、北陸の田園風景では違和感を振りまいてしまうのが否めない。

10時まで粘って切り上げて、昼時は使えないので、その間は車を飛ばして風呂屋に行ったり、新湊の辺りで時間を潰した。撮影地以外の場所も見ておくというのは大事な事である。

14時半に撮影地に戻った。 北 越 に関していえば、前日の撮影で13時半の4号金沢行きも14時頃の5号新潟行きもイイ感じで撮れないのが判ったのでパスして14時半過ぎのはくたかから始めようとなったのである。

683yonder@tak01

ストレート区間での作例として、ヨンダー


51006@tak01

前回に続いて登場のレッドサンダー、初日朝の20号機に続いてこの日は 6号機に遭遇。
ロケポイントの移動は前日と一緒で、16時前を目安にストレートからカーブに移動。

hkets005

2日連続で T12 編成 に巡り会った。 上沼垂色 ではあるが電気釜フェイスを含めてこの形こそ、The 485系 、The 国鉄特急車 なのである!
この T12 編成 はこの翌月に廃車になってしまったので、最後の雄姿を見届ける形になってしまった。


このカーブの他の作例として・・・

6832000@tak01

ヨンダー、ではなく683系2000番台 しらさぎ =5+3+3で11連
この時代は しらさぎ サンダーバード はくたか では編成の向きが逆だったのが懐かしい。北陸新幹線開業前夜に方向転換の為の回送を行ったのは記憶に新しい。(サンダーバード はくたか 用車)


この時の遠征では同じ所で撮る事になってしまった。朝方はこの絵のバックに見える道路橋の直ぐ近くから狙い、9時頃はこのカーブを抜けた先に移動。昼時を挟んで、午後は道路橋の更に奥に陣取り、最後はこのカーブというルーティンになってしまった。

本当はもう 1日欲しかった。次の日まで富山にいられれば、最後に黒部まで足を伸ばして札幌行きの トワエク でフィニッシュするという超理想的展開も可能だったが、仕事の関係で叶わず、大変悔しい。
ヨンダーなんか撮るくらいなら、城端線と掛け持ち出来たかも知れない。これは勿体無かったと思う反面、毎時1本やってくる はくたか を確実に捉えるという事が最大のミッションだったので仕方が無かったと考える。

高岡といえば城端線氷見線万葉線が存在し、この 3つは積み残した課題として丸侭残った。 城端線沿線には三郎丸蒸留所(若鶴酒造)もあるので、これともセットで1回分の遠征ネタにはなるか?


その後、時は9月末に移る

~常に地味な脇役として45年~
1969年、大阪~新潟間の臨時列車として産声を挙げた。その後定期列車に昇格するも、 雷 鳥 白 鳥 というメジャーな列車と被っていて、その補完というポジションから抜け出せない感があった。JR 民営化後は旧・かがやきと被った挙句、一部列車が区間特急状態になる時代もあった。
その後1997年の北越急行開業に伴い旧・かがやきは廃止への道を辿ったが、681系で復活した はくたか と直江津以西で被り、脇役の地位に甘んじ続けた。1日5往復と本数も決して多い方とは言えず、それが 485系
の運用として残り続けた大きな原因と考えられるが、それ故に 485系最後の砦 という事で注目を俄かに集めたのは皮肉とも言えるであろう。



今回の 北 越 に捧ぐ一曲だが・・・、Vandenberg(ファンデンバーグ)が1983年に放った名曲 " Different Worlds " を選ぶ事にした。
この Vandenberg というバンドだが、本拠がオランダであり活動時期が5年程と短かった。商業的にも余り成功したとは言えず、ハードロックファンの間でもマニアックな名前だった。この曲は彼らの2nd アルバム " Heading for a Storm " に収録されたもので、80~90年代に多かった所謂パワーバラードの類に入る。
中心だった Adrien Vandenberg(エイドリアン・ファンデンバーグ)は Whitesnake (ホワイトスネイク)に加入する事となり1987年に自身のバンドを解散した。


これがどの様な曲かを御存知ない方が圧倒的多数なのは間違いないが、こちらのようつべでもご参照頂きたい。

Things weren’t so natural in the beginning We just let our hearts beat, this was love
We lived from one day to another, the difference didn’t bother us at all
Then the day came, you took me home to your place
I still can see them stare at my face, oh…


We should not be apart, just listen to your heart
Different worlds keep us apart


Then, from that day on, thing were changing I could feel love slipping through my hands
You started listening to their talking Suddenly one morning, you were gone
We shouldn’t have lost, though we’re from different worlds
But you should let love show you the way instead of them


We should not be apart, just listen to your heart
Different worlds keep us apart

We should not be apart, just listen to your heart
Different worlds keep us apart


関連記事=The Legendary Super Star 475系国鉄急行型車体 Part 1 Part 2 

今回はこんな所で、Part 3 に続く!




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