Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

2016年05月

あの超暑かった初秋の日 Part 2 (在庫放出)

撮影地の選択をミスして、具合の良くないショットを連発した小生だったが、この日のメインは午後からの山田線撮影。場所は有名な櫛田川の鉄橋
長島から普通・特急・普通と乗り継ぎ櫛田に到着したが、その時既に時刻は14時半を過ぎていた。
櫛田川の鉄橋までは櫛田駅から約300mだが、途中には細くて歩き難い畦道があったりして、慣れないと苦労するかも知れない。 15時前にこの場所を通過する京都行き伊勢志摩ライナーに間に合わせようと、急いでセッティングしてその時に備えた。
この時期はオリジナル車リニューアル車(赤・黄)それぞれの運用予定が発表されていたので、この日オリジナル車を撮れるのはこの1回きりと判っていた。


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今となっては懐かしい感じもするが、サイドの下部に非常に細い青帯がオリジナルヴァージョンの証し。予行演習ナシで一発目がこれだったが、取敢えずしっかり撮れて第一関門クリア!

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賢島に向う赤ヴァージョンをケツ撃ちで捉えたショット。賢島方面行きも何本かトライしたが、このショットは思いの外良く撮れた気がする。赤ヴァージョン自体はこの日2回目だった。
この時は名伊と阪伊・京伊で編成の向きが逆だったから(他の特急車と同様)、これは名古屋始発と判る。今はこの向きで走る姿は見られない。

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リニューアルの黄ヴァージョンも捉えて、この1日で当時存在した3つのヴァージョン全て捉えた。これは大阪難波行き。
嘗て2009年まで名阪運用もあった名残で、名伊運用と京伊・阪伊運用では編成の向きが変っていたが、2014年秋に賢島を基準に編成の向きは揃えられた。(しまかぜと同じ方式になったという事)
リニューアルでサイド下部の細帯はやや太くなり、位置も少し上に上がったのが判る。 アーバンライナーしまかぜの影で存在感が薄くなるこのISL ではあるが、私鉄有料特急車としてそのグレードは充分に高い


1993年製造開始で翌94年実戦配備なので20年以上経っていて、これが関東の私鉄ならそろそろ置換の噂が上がってもおかしくはないが、何せ今やアラフィフとなった12200系も主力で走る近鉄の事であるから、まだまだ×2安泰である。
 

山田線も松阪以南になると、特急が過半数を占める時間帯もある。今や日本一の特急街道の名を欲しい儘にしている感があるが、勿論一般車も走っているので、此方もしっかり押さえにいった(当たり前田のクラッカーだが)序に撮った訳ではない。

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1220系+5200系急行大阪上本町行きそれにしても近鉄の一般車は系列名が異常にややこしい細かい、特にこの12××のグループは。

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ワンマンの普通としても走る1201系RC10編成+5200系急行名古屋行き

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2610系X18単独の回送、恐らくは明星へ行く途中だったか。(この編成の配置は明星)
酷暑の中殆ど気合いだけでこの日だけで合計5時間近い撮影をこなしていた小生だったが、その中で結構恐ろしい事態が気付かぬ内に進行していたのであった…
 

てなわけで、Part 3 へと続く!
 



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(May. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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あの超暑かった初秋の日 Part 1 (在庫放出)

もう4年近くも前になる。2012年も9月半ば、本来なら夏から秋へと移ろい始める筈のそんな時だった。
「筈」と書いたのは訳があって、その時の残暑が恐ろしい状態だったからである。秋なんて何時来るのだろうか、この儘秋なんて来ないのではないか(そんな事は無いがww)、そんな状態だった。

そんな状況下でも太陽の軌道は秋口のそれだったのであるが… その時は伊勢志摩ライナー23000系リニューアルの真っ最中で、オリジナルの状態で撮れるチャンスは限られるという事であり、見方を変えれば、リニューアル車とオリジナル車を同時に捉えられるという事も意味していた。そこで、伊勢を含めた東海地域への遠征を敢行したのだが…
そうと決まれば、兎に角移動の足と宿を手配


高速バスは取れた、しかし名古屋エリアの宿が無い!おかしい、そんな筈はない!
その理由は現地で聞いたのだが…、その時期は岐阜での国体の直前で、しかもSMAP がナゴヤドームでライブ、その上に小児科医学会とイベントがトリプルだったのだ!
これではホテルが無いのも当然だったのだが、こういう情報は東京ではなかなか手に入らないのである。
それでも東海エリアに固執してしまった小生は、仕方なく岐阜の小さなホテルを見つけて予約、(これが酷いホテルだった)
とてつもなく不便な遠征となり、費用も嵩んでしまった
どうせ費用が嵩むなら、東海エリアは初日だけにして松阪から大阪に近鉄で移動して、2日目以降は関西をターゲットにすれば良かったのである。
これはつまり、端っからしくじった遠征であったのである。


非常に熱い事は既に予測していたのだが…、何とその日は最高気温35度(名古屋)
夜行バスで名古屋に早朝到着したが、当然茹だる様な暑さ!
この日朝は、特急と普通を乗り継ぎ塩浜に着いて、そこから炎天下というのに結構な距離を歩いて鈴鹿川の土手に向った。ネットで見ていて興味が湧いた場所だったのであった。


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名古屋線の隠れた名物?、小生にとっては隠れたアイドルww 1211系(1211F・FC92)以下6連の急行松阪行き。(後ろの2連は不明)
伊勢側2両は1200系、名古屋側2両は2430/2410系という製造年代も見た目も仕様も全く違う車を、混結ではなく固定編成にするという超ビックリな車輌。
数々の珍車を産み出したJR 西日本でもここまでは出来んやろww


9月だというのになぜこんなに暑い? そして、ケーブルがゴツイ! 
9月半ばくらいだと、ケーブルの影が目立つ位置に掛ってしまう線路がカーブして170度位の方位角に向いている感じで、あとこの憎きケーブルの存在を考えると、冬場の朝専用と考えた方が良いであろうか。冬場でも顔の端の方にはケーブルの影が掛るとは思われるが。いずにしても然程お勧め出来ない所ではある。


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L/C カー5800系唯一の4連車で名古屋線所属もこの4連のみ。(併結の2連は1200系か) 上り列車ケツ撃ちだと、取敢えずケーブルの影は掛らなかったが、冬場だと結構厭な位置に掛るかも知れない。

ktisl@szkg01

10時前に、紅白塗装となった伊勢志摩ライナー、通称伊勢海老ライナー(若しくはカニカマライナー)を捕獲。
このカラーリング、今でこそもう見慣れてしまったが、この時は彼方此方で物議を醸した模様。
これが伊勢志摩リニューアル車の初ショット!

APSC+70-200㎜という組み合わせだったが、この場合6連以下なら問題は無いのだが、ワイド端の70㎜でも8連は本当にギリギリになってしまう。APSC 機だと50-135、50-150㎜あたりで対応するのが良いと思われる。これらは鈴鹿川の北側の土手で午前の下りろ狙ったアングルだが、夏場の夕方なら、川の南側の土手にから上り列車を撮る事が出来るであろう。
伊勢海老捕獲後、塩浜から一旦名古屋方面に戻り長島を目指した。この日2つ目の撮影地は、長島を出て長良川を越えようと築堤を登るあの場所である。

 

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2800系AX15+1200系(多分) 急行松阪行き
このAX15、実は3年後の2015年11月に伊勢市駅付近で再会するのである。



ktaf@ngs01

初遭遇となった22600系4連(AF)、この22600系AF 編成は2本しか存在しない上に、単独でとなるとなかなか遭遇出来ない

9月もまだ中旬だと正午前後は陽が高過ぎる。この場所も近鉄名古屋線の撮影地としては比較的有名な所であるが、ケーブルが邪魔である。そしてこの場合は何と言っても、撮影する時期を間違えているのは明白。再度ここに足を運ぶなら、絶対冬場に限る! 
真冬の寒風の中でリベンジしたいと思っているのである。 撮影地の選択を悉く誤り、初日昼の時点でしくじりの塊状態に成り下がった小生は午後の撮影に向けて一路、松阪方面に向かったのである。

斯様にしくじり倒した小生は、時期による太陽の軌道と光線状態の変化をしっかり見極めて撮影地や撮影路線を選ぶという習慣を徹底させるようになったのである


炎天下、狂ったような残暑の中でのgdgd な遠征だが、この話、Part 2 へと続く!




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Barbaresco Vigneto Brich Ronchi 1996 Rocca Albino

上げている様であまり上げてないPiemonte(ピエモンテ)のネタ。
ピエモンテ、その中心は冬季五輪の舞台ともなったTorino(トリノ)。トリノはFIAT、Juventus FC、Cinzano でも有名で、彼のcasa Savoia(サヴォイア家)の本拠地であった。
そのトリノから南南東に約50㎞程行った辺りがBarolo(バローロ)、Barbaresco(バルバレスコ)というピエモンテが誇るワインの2大スターが産れるエリアである。この2大スター、小生も好きな銘柄なのだが、如何せんローヌ・南仏系最優先である上に、近年の価格高騰はピエモンテのワインも例に漏れずという事もあり、入手する機会もあまり多くない。 ピエモンテというとBarolo がどうしても目立ってしまい、Barbaresco は影が薄くなる感もあるが、それでもイタリアを代表する銘酒である。


ronchi96a今回登場のRocca Albino(ロッカ・アルビノ)、バルバレスコではGaja(ガヤ)、Bruno Giacosa(ブルーノ・ジャコーザ)等と並び称される名門とされるが、価格でいうとこの偉い2つに比べて全然安い。因みに、この蔵の敷地内にはFerrari を始めとした高級車が沢山止められているそうである。

前当主Angelo Rocca 氏は2012年10月に自家用機の事故で非業の死を遂げたが(享年64)、3人の娘達が後を継いでいる。
そしてこの蔵の2トップとして双璧をなすのがこのBrich Ronchi
(ブリック・ロンキ)とVigneto Loreto(ヴィニェト・ロレト)で、畑も違うが樽の使い方も違う。このB. Ronchi はフレンチオークのバリック(新樽)100%で作られていた事もあったらしい。しかしこれも最近は昔ながらの大樽主体に変えられている。


今回登場の1996年は先代の作品で、バローロボーイズ系のモダンスタイルの影響を強めに受けていた時代のワインである。ただここ数年、バローロ・バルバレスコ共に一時期幅を効かせまくったボーイズ系モダンテイストは影を潜めつつあり、クラシカルな作りに回帰し始める蔵が多いのは小生にとっては一寸した救いである。


さて、肝心のワインの内容に関してだが、

先ず、色は透明感と深さを感じさせ、レンガ色の少しだけ混じったガーネット
そして、拾い出せたエレメンツを挙げて行くとこういう感じである 桜材枯葉なめし皮生の和牛肉スミレ野薔薇ビターチョコ、CognacカラメルButonアッサムティーラズベリーキルシュ漬チェリープルーンエキスArmagnac タンニンはややゴツめ、酸は然程表に出ない。
フレンチオークのバリックを多用した為であろうか、Nebbiolo(ネビオロ)という葡萄、そしてバルバレスコというワインの本当の良さが出し切れていないという印象が残る。
バローロは勿論、バルバレスコの真髄もその独特な酸とタンニンの持つ力にある筈なのである。 時間がかなり経ってからグリップ感が良くなってしっかり溜る様になって広がりと重厚さは感じられる様に変るフィニッシュからアフターへとつながる所にスムーズさが今一つで何処か鈍重さが見える。そしてアフターはややドライな傾向、でも結構長い 1996という秀逸な年のワインで期待は持てたのだが、総体的には少し物足りなさが残った


Les Meilleurs Vins de France
的な感じで点を付けるなら…、17.5/20



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Assy… お前もか! Part 3

今年も5月ではあるが音楽界に関しては、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)、グレン・フライ(Glenn Frey)、そして
プリンス(Prince)の訃報を耳にした。この3人、小生の世代なら超御馴染みのビッグネームであるから、彼等の訃報は言うまでもなくかなりショックなものである。
でも小生的には、その3人の訃報よりこの度の芦沢みゆき 嬢の話の方が遥かにショックだったりする。
そんな所沢の歌姫への感謝と惜別も込めつつ進めたこの話もPart 3 である。


芦沢みゆきという女性がアーティストになったきっかけは、高校時代の文化祭で歌った折に歌の魅力に憑りつかれた事だという。
だが、元々は引込み思案な性格だったとも言っている。実際その通り、彼女のパーソナリティは控えめで自己顕示欲を露わにしないが、品格というものは持っていて女子力も高いのが接してみるとよく判る。そしてそこが彼女に出逢った多くの人達を惹き付けた事は明らかである。 だがその一方で彼女のそんなパーソナリティがアーティストとしてはネックになる危険性を指摘する人間は周囲にもいた。

小生もその一人でいつも心の片隅では気掛りにしてはいたのだが… 誤解を恐れず言えば、彼女は音楽業界に一番向かないタイプの人間だったのかも知れない。

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(2015年6月 西武新宿pepe 入口前)

彼女のライブのセットリストを見ると、カヴァー曲の比率が高い事は前から気になっていた。ここ数年はオリジナル曲の数も増えたのだから、オリジナル曲でドンドン勝負すれば良いのにと歯痒く思った事も多々あった。


 

彼女絡みではとんでもない掛持ちをやった事もあった。 2008年12月、昼時~午後にかけて当時応援していたあるタレントの屋外撮影会(上野界隈)、その後一旦帰宅して、直ぐに彼女のステージを見に上福岡に直行、その後は都内に戻り、夜は前出のあるタレントの忘年会に参加。

2012年8月、川崎~入間の掛持ちというのもあった。彼女は三井アウトレット入間でステージ立つ日だったが、同日に川崎駅西口のミューザ(MUZA)ゲートプラザ前でvague(ヴェイグ)のステージ出演があった。そこで、先ず川崎に向い、vagueの1回目のステージだけを見て(14時頃)、その後入間に飛んだ。
国道1号~首都高~中央道~圏央道というルートだった。そして彼女のその日2回目のステージを見たのである。こんな掛持ちをした原因の一つは、彼女の活動区域は埼玉で、東京や神奈川に南下する事はあまり多くなかった事であるが、小生にそんな事を平気でやらせる程のものを彼女は持っていたのは間違いない。


そういう小生だが…、実を言うと、ステージ後の物販などで彼女にあまり多くの言葉を掛けた経験は少ない。物販は結構人が並ぶからあまり時間が取れない、世代が大きく違うという事もあるが、見守りたいという気持ちも強かったと思う

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(2015年9月 西武新宿pepe 入口前ステージにて)

彼女の持っている才能・素質は国内でもトップクラスかも知れない。でも誤解を恐れず言えば、その持てるものを本当の意味で開花結実させられたとは思えない。(結論を出すには早い部分もあるが)
ここ数年は小さな劇団の公演にも参加し、又ミュージカルのオーディションにも挑戦した事もあった。もしモデルや女優等、音楽以外の付加価値が高かったら大きく道が開けたかも知れないと考えると残念な部分もある。
ただ、彼女のパーソナリティからしてそれを要求するのも酷だったか。(話す事もあまり得意ではなかった様に見える)


彼女のシングル・アルバムの大部分をプロデュースしたのは村山晋一郎氏だが、村山氏も自分が目立とうとはしないで、純粋に音楽プロデューサーとして裏方に徹する所がある。某・〇元〇辺りとは違う。彼女自身、村山氏とは本当に気が合うらしかった。
御存知の様に、村山氏は加藤ミリヤ・宇多田ヒカル・清水翔太・BENI・JYONGRI等々のアーティストの楽曲を手掛けているが、その彼の手腕が彼女の力を大きく引き出していたのも疑う余地が無い。
更には芦沢みゆきというヴォーカリストが加藤や宇多田に全く引けを取らないレベルの能力の持ち主である事も証明している。(実はその某・〇元〇も彼女をプロデュースしたいという意向で動いていた事があったという)
彼女の曲を聴いてR&B テイストのシンガーと勘違いする御仁もおられたかも知れないが、それは違うという事もこの際付記しておきたい。

 

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2015年10月末、所沢航空公園近くの商店街でのイベントにて。2015年の後半以降ステージに立つ回数が減って行った中での貴重なステージ。小生、実はこの日もワシクリから所沢まで掛持ちで飛んだのである。

歌う事については何の心配も要らん位素晴らしい歌唱力と歌声があっても、彼女にとっての決定的な弱点はそこであったとも考えられる。幅広く高レベルで歌いこなせるという事がその反面で、決定打になるファクターがないという事になってしまうのである。
歌う事を心より愛しこの10年突っ走って来た彼女だが、アーティストとして、それ以前に一人の女性として、無事是貴人というのが彼女の本質的カラーだったのだろうか

 

これが機関車ならさしずめ「廃車の可能性もある状態での休車」というのがピッタリくるのだろうが、現時点で、「今迄有難う御座いました、10年間の御活躍に感謝します」なんて事を言ったら、それは不誠実かも知れない。
小生の個人的見解では、将来本格的に復活する可能性は低いと言わざるを得ないが、5年10年先なんて本人だって判る訳がない。譬え、歌を捨てて新しい家族に尽すという生き方をしてもそれは彼女らしいとも思える。
ただ、ここで埋もれさせるにはあまりに惜しい逸材である事も明白である。


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先月上旬、日高市の巾着田のイベントでのステージからこれが彼女に逢えた最後であり、彼女が公開のイベントでステージに立った最後でもある。これがこのまま正真正銘ラストになってしまう事になってもそれは構わないし仕方が無い。
 

ここまで来たら、超新星爆発級?の大放出!(これでもストックの内のほんの僅かな部分だが…)

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小生にとって完全に想い出の場所の一つなった三井アウトレットパーク入間でのシーン 1段目は2013年、2段目は2014年
彼女に出逢う事が無かったら、このアウトレットに足を運ぶ事なんかあっただろうか?

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2014年2月、守谷のイオンモールでのシーン。この時は8utterfly 女史(当サイトではこちらで登場)との対バンで、数の力で負けてアウェイ状態。守谷自体は関鉄の撮影で数回足を運んでいるのだが、彼女を追い掛けて行くとは思わなかった。

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2014年7月、真夏の真昼間に朝霞駅前で行われたステージの模様。真夏のトップライトの日差しが白い屋根を通って落ちて来る。結構撮り難い光線状態で絵作りも難儀する。 御存知の方も多かろうが、朝霞の駅前には同市出身の故・本田美奈子女史の歌碑が設置されている。


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2013年12月に所沢駅ビルWaltz で行われたクリスマスライブの中からもうすぐ夏というこの時期にサンタクロース風の格好の絵をアップするのも気が引ける感じだが…、照明も気合入って美しく、この時の絵は小生も未だにお気に入りなのである。お気に入りのショットで締めるに越した事はない。
最後に想像してみよう、近鉄から しまかぜ アーバンライナーも消えたとしたら…
現在の小生、それに一寸近い状態かも知れない。
 

小生が若い女性アーティストを追い回す日々も遂に10年になる。出会いと別れそれぞれ数え切れん位あった。 10年も続けたならそろそろここで、「〇〇、馬鹿はやめろよ」という声が聞こえて終止符を打つのが「普通の大人」なのかも知れない。

でも、そうは行かない偏屈者が小生! 
第一、小生は思い出だけで生きて行けるほど年老いている訳ではない。譬え基地外と罵られても可能な限り続けてしまうだろう。


そして、小生今日現在の新・イチ推は彼女! 
その人の名は、ゆきこhr(ゆきこ・エイチアール) 

Once more… ゆきこhr   Speak loud! ゆきこhr
日向からやって来たこの歌姫が、川崎を、そして音楽界をどげんかするか?


yukhr21  yukhr24
(いさご通り街角ミュージックにて 2016年)

でもこれ、唯の繰上当選違うかって? 繰上当選でもエエやんか!
それこそ今は未だ 伊勢志摩ライナー 位でも、近い将来 しまかぜ UL の様な存在になってくれる事を期待する。


I Hope She Will Be The One !



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Assy… お前もか! Part 2

前記事に引き続いて、芦沢みゆき 嬢が結婚と同時に活動縮小(実際は休止に近いと思われる)となる件のPart 2 である。
Assy こと芦沢みゆきというアーティストについて今一度簡単に振り返るが…


人呼んで「所沢の歌姫」、「天使の歌声」「魅惑のクリスタル・ヴォイス」 というキャッチフレーを持ち、その名に違わぬ歌唱力は非常に高いレベルのものであった。広い音域が何の無理もなく流麗に3.5~4オクターブなら裏声無しで軽く吹き抜けるが、あくまでもシルキーで優しく明瞭感と透明感があった。
勿論、幅広く安定して歌いこなせる歌唱力に疑う余地はない。 彼女は仮歌の仕事も時折こなしていたのだが、その中には相当著名なアーティストの仮歌を入れるケースもかなりあったらしい。
実は、彼女の仮歌の出来が凄すぎて、「もっと下手に歌ってくれんか?」という注文が付いた事もあったとか。(下手に歌えって何て事言うねん?→噴飯モンやで)

 

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2012年12月、横浜に「遠征」して行ったステージの貴重な画像桜木町駅前のクロスゲート入口前特設会場でのライブ (実は2階ペデストリアンデッキでもライブをやった事がある)彼女が神奈川まで南下してステージに立ったのは僅かな回数しかない。
 

2006年8月よりソロ活動開始。最初は所沢駅付近でラジカセを使っての路上ライブから始めて、その後所沢青年会議所の若手アーティスト育成プロジェクトの対象アーティストとなる。
そして2008年にはシングル2枚をリリース。その内、「UNLIMITED~明日への光~」は村山晋一郎氏プロデュース。
更に同氏のプロデュースで2011年7月にミニアルバム「Our Destinyをリリース、各方面から高評価を得ていた、その後も、シングルやミニアルバムを数点リリースしていた。 そんな彼女だが、どれだけ長く歌おうと思っていたのかは正直判らない。埼玉県内の某短期大学卒業時に地元の金融機関に内定も取っていたのだが、それを蹴って音楽の道に進んだ。
彼女が最初の1年だけグループで活動していたが(鈴木麻由が一緒だった)、その後ソロに転向して今年で10年となる。彼女も30の大台に入ったのは間違いない。
アーティストとしてという以前に一人の女性として大きな曲がり角を曲がろうとする丁度その時にこの出来過ぎた様にも見える展開になったのであった。 小生が彼女の存在を知ってから8年弱、小生にとっては彼女より関係の長いアーティストも確かにいるが、その内容を考えれば、小生にとっては最も深く関ったアーティストなのは明らかである。

 

彼女の活動の一つの特徴として、フリーライブの比率が非常に高く、逆に箱ライブ出演は少なかった。フリーライブでも対バン形式の比率はあまり高くなく、単独又は他の出し物の合間に挟まるケースも多かった。それが何故かと言われると、色々な推測は可能だが、これといった答えは見つからない。
実家暮らしだった事もあり、ソロデビューから3年程で音楽一本で生活出来る様にはなった様である。その後は寝る間もない位に多忙を極めた時期も結構あった。それだけ仕事の引き合いも多かった事の証しであるのは確か。活動の範囲は殆どが埼玉県内であり、それだけ地元に密着した仕事が多かったが、そういう日々を重ねるうちに何処かで限界も感じ取った可能性はある。

 
結婚は非常に目出度い事である、ただ、活動縮小が伴ったのは残念である。彼女が音楽と引き換えに結婚を選んだというのはまだ一寸飛躍がある様に見えるが、「おめでたい」と「考えさせられる」が両方立ってしまう展開である。 邪推かも知れないが、彼女は以前から10年という所を大きな区切りとする気でいたのかも知れない。

そしてこういった部分にも女性アーティストの難しさが透けて見える。
これは以前にも書いた事だが、若さ・勢い・美貌・素材の良さで押せるのには限界がある。これが第1ステージだとするなら、その後の第2ステージが大事になる。
その転換点で永く力を発揮出来る様に基礎を固めなければならないのだが、そこに結婚や出産が重なって休止を強いられると非常に辛い事になる。
タイムレスなアーティストになるのはタイムリーなアーティストになる事に比しても恐らく数倍は大変な事である。女性の場合、この壁が実質的にもっと高くなると思った方が良いだろう。


グループ時代の1年間は音楽事務所に所属していた。そこが色々問題の多い所だったらしいが、それでも彼女は献身的に働いていたという。ただ結局、その1年間に関して彼女は一種のトラウマを持つようになったという話は関係者から聞いた事がある。
ソロ転向後は事務所に所属しなかった彼女だが、2008年以降は所沢青年会議所のバックアップも受ける時期もあったが、彼女自身は御両親・側近の人達と一緒に活動していた。


ただ、時の流れに抗う者などいないという事なのか、10年経って御両親も歳を取り、一寸きつそうな感じも出て来た。 小生を含めたファンの殆どは恐らく、彼女に大きなチャンスが到来して、多くの人に知られる様になって成功する事を、我等のスターだと何処でも胸張って言えるそんな日が来る事を何処かで願っていたであろう
しかし、ここ10年で寡占化が進み過ぎた音楽業界の状況を鑑みれば、仕方無かったのかも知れない。殊に女性のソロシンガーにとっては、余りに酷なマーケットトレンドだったのは確かである。

 

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2013年、三井プレミアムアウトレット入間の特設ステージにて入間のこのアウトレット中庭も思い出深い所である。小生の場合は都内から関越道川越インターを通って国道16号をひた走って向かうケースが多かったが、入間周辺の16号は混雑する事が多いのが辛かった。
 

唐突に聞えると思うが、芦沢みゆき=孤高の歌姫というイメージが小生の中には出来てしまっている。同ジャンルのアーティスト達と対バンする事が(特に2013年以降)あまり多くは無かった。
因みに、彼女が草加や川崎に出没した記録は殆ど無い。(仮に出没していたら、彼女に蹴散らされるアーティストが続出したかも知れない)

川崎に頻繁に現れる人達は相互に交流を深めて共同でイベントをやったりするケースもある。埼玉にはアーティストが日頃から集中する場所が無いから、こういう事は起こり難い。
それ以前に、彼女は同年代のアーティスト達と徒党を組むとか頻繁に交流するという事にはあまり興味を持たなかったフシがある。そこにはグループ活動の1年のトラウマもあっての事ではないかとも推察出来るのである。


これまで数え切れぬくらいのステージを観衆の前でこなしてきた彼女ではあるが、基本的には控えめな性格の持ち主だったから、然程大きな野心は持っていなかったとも考えられる。
歌う事が心底好きだとしても、ミュージックビジネスとなると話は違ってくる。 彼女程の素材があれば、もっと強引にでも売り込んで強行突破してでも道を切り開く事だって不可能ではなかった様にも見える
(そういう伝手が見付っていればの話だが)。
ただ、彼女自身、ビジネスとしての音楽をやる事にはあまり頓着していなかったかも知れない。これも今から思えばという様な推測に過ぎず、仮にそうであったとしてもそれはそれで彼女らしいとも思える話だが…
この話まだ続く!  gdgd 長いって?
 

それでもやる! 残りはPart 3 にて!
 

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2012年7月、前出のクロスゲート2階ペデストリアンデッキでのステージの模様。横浜でライブをしたのはこの時が初めてだったのではないかと思われる。
クロスゲート=桜木町だけでなく、伊勢佐木クロスストリートでも観たかった…

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2013年5月上旬、Waltz の屋上でのステージ ライブは2階エントランス前で行われる事が多いが、ゴールデンウィークという事もあってか屋上でのライブだった。
この日は2組の対バン形式だった事もあって、双方のファンが集まり結構な人出だった。この屋上、夏場はビアガーデンになる場所で、ビアガーデンライブというのもあった気がする

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2013年11月末 所沢駅前イルミネーション点灯式後のステージイベント点灯式後に所沢市由縁のアーティスト達のライブがあるというのが続いていたが、翌年から点灯式後のライブは廃止されている。

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またまた登場、西武新宿pepe 入口前広場
これは2014年1月のもの。 正月早々、この格好で野外という事はかなり寒かった筈だが、そんな事はおくびにも出さずに2ステージをこなす。当然だが、そこはやはりプロという事か。


この話は更にPart 3 へと続く!




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