Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

2014年10月

モデル撮影記 七瀬あいか Part 2

小生のPC がここ最近トラブルを起こしがちで、記事の更新が遅れるケースが出ているが、このPart 2 からスポーツグッズシリーズ入り

日本でのラグビー人気がかなり低迷しているらしいが、来年はイングランドでのラグビー・ワールドカップ。その4年後に同大会が日本で行われ、2020年東京五輪の格好の露払いとなる予定になっている。
ただし、これはあくまでも予定であり、国立競技場建て替えの為の解体すらどうなるか分からない情勢で、何と言っても、今の世界で一寸先は闇、本当にやれるかどうかは分らないwww


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くっきりと映る" RWC 2015 "(Rugby World Cup)、" England 2015 " の文字ラグビー・ワールドカップ公式球…、のレプリカ!
桜とラグビー、ピッタリそうだが、実はずれている。
桜の咲く頃にはラグビーのシーズンは終わっているのである。(代表チームの試合が組まれる事はあるが)この半月前にパナソニック・ワイルドナイツ(旧三洋電機)が2冠を達成し、2013-14 シーズンは終わったのである。
日本で桜が咲く頃、南半球は季節が逆なので、スーパーラグビー)のシーズン(2~8月)なのである。


nse11  nse12

この画像を撮ってから早や7ヶ月、季節は10月末である。今や2014-15シーズンの真っ最中で、トップリーグも1st ステージが終了してしまったのである。

Part 3 に続く!

Mar. 22nd, 2014 VOICE 撮影会@代官山ストリート
PENTAX K-5+SMC DA☆50-135mm f2.8+AF540FGZ


)南半球のラグビー3大強豪国=南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアで期間限定の「スーパークラブ」を結成。15チームが参加する国際リーグ戦である。各国毎にカンファレンスが構成され、その1位とそれ以外での勝ち点上位3チーム=合計6チームが、最終的にプレーオフで覇権を競う。去年からは日本人選手も参加している。



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Oct. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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モデル撮影記 七瀬あいか Part 1

小生がVOICE 撮影会で2人目の餌食にしたのは、七瀬あいか
ロケ場所は代官山。 杏奈ステファニー@麻布十番=3月15日(記事は5月にアップ済み)の次の週末だった。


代官山だと適した場所はいくらでもあると思われるかも知れないが、道路は狭く、人通りは多い。大部分が住宅地という事もあって、適した場所は非常に少ない。結局西郷山公園で撮るしか選択肢はなかったのである。
この手の撮影会では、通行人がいようが、店先や私有地内であろうが所構わず撮ろうとする奴もいるが、それはDQN な外道の所業である。


代官山駅前で集合し、そこから公園までが結構遠かった。しかも、この日は3連休の中日だったが、狭い道に人が溢れ返ってどうしようもなかった。春先の3連休で地方から流れ込んで来る人間も多く、そこに増税前の駆け込み需要も加わっての事と思われる。
集合から撮影開始までえらく時間を食った事が色々と影響するのであったが… 先ずは、ウォームアップがてら、スタンダードな感じのショットを撮ってみる


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顔に影を掛けず、しっかりと光を当てる為、クリップオンストロボとディフューザーを使用したのだが… 未だ夕方前、しかも晴天、まだ結構明るく、西日も受けてしまうのは仇となった。

クリップオンストロボ=AF540FGZ旧型が宜しくくない、発光を含めた動作が非常に不安定で、チャージも非常に遅く、しかもすぐ動作が止まる。

TTL ではなくマニュアル発光にセットしても、思った様な効果が出せない。 こうなってしまう元凶はストロボだけではなく、PENTAX のボディにもある。X=1/180sec、つまりシャッター全開可能速度が1/180秒以下というというのは時代遅れで困る。
某C社、N社並みのX=1/250sec の達成を強く要望したい所である。同調速度が上がれば、この様な屋外撮影は勿論の事、スタジオ撮影でさえも幅が広がる。


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公園の中央にはまだ3月22日だというのに満開すら過ぎた様ながあった。まさか偽物ではないとは思うが、非常に春らしい絵にはなるので、思いっきり活用してみた。
撮ったは良いが、アップするのが10月末になろうとは…


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ストロボが思った様に機能せず、影をしっかり飛ばせないのが丸分りである。 K マウントはシステムとして元々遅れていると言わざるを得ない上に、HOYA 時代に虐待を受けまくって弱体化したので遅れが拡大したのは明らかである。
RICOH になっても、遅れを取り返せてはいない。PENTAX は1990年代にK マウントを変更せずにAF 導入を行ったのだが、これが結果的に大きな間違いであった思われる。
K-5 はHOYA 時代(2010年秋)のボディだが、今更ながら遅れたモンだと思ってしまう。 思い起こせば、2006年にist*DL2 がバーゲンされているを見て飛付いてしまったのが大きな間違いだったが、早い時点で処分して別のメーカーに乗り換える勇気が持てればこんな事にはならなかった。
更に、K マウント自体が数年内に消滅する可能性も小さくない事を鑑みながら今後を考えて行かねばならないとつくづく思う小生であるが、そうは言っても、何処のメーカーにも一長一短がある。


兎にも角にも、Part 2 へと続く!

Mar. 22nd, 2014 VOICE 撮影会@代官山ストリート
PENTAX K-5+SMC DA☆50-135mm f2.8+AF540FGZ




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25周年!最狂の同期~The Golden Generation~ Part 9

にほんブログ村で起きた大規模障害により前回更新=10月19日の同サイトでの反映が大幅に遅れ、更に画像反映はなされずじまい。その大規模障害の影響を見ながら、この記事の公開する事にした為、この記事の公開が予定より大きく遅れたものである。

1989年のF-1 といえば、ターボ等の過給が全面禁止になった事を受けて、自然吸気元年ともいわれた(註1) 。この時代はF-1 に参加するチームやドライバーが多く、予備予選なんてものもあった。 フェラーリがセミオートマティックトランスミッションを初めて導入したのもこの年。

ターボ禁止になっても、前年同様、ホンダエンジン+マクラーレン(MacLaren)の強さは圧倒的で、その前年に引き続き、A. セナ(Ayrton Senna da Silva)vs A. プロスト(Alain Prost)全面対決一色みたいなシーズンになった。
色々あった挙句の果ての極めつけは、10月22日に日本G.P. (鈴鹿サーキット)で勃発したプロスト&セナによるシケイン激突事件であろう。 その後、セナはコースマーシャルに押し掛けをさせて再スタートしたが、その際にシケイン不通過の反則を取られ失格に。結局プロストが3度目の年間王者に輝いた。


当時の日本は某マスコミの偏向報道によるセナ神格化運動の真っ最中で、プロスト様贔屓だった小生は肩身が狭かった上にイジメまで受けてしまったのである。

話は逸れるが、この頃巷では「何チャラ転がし」という言葉が毎日のように聞こえてきた。絵画美術品・高級外車からワインに至るまで、高名な品々は転売すれば儲かるというアホみたいな話が、「財テク」という名の下に大手を振って罷り通っていたのである。(今の中国がこれに近い?)
バブル入社世代以上の人間にとっては懐かしい話と共に、お送りしてきたこのシリーズも最終回!


この掉尾を飾るのは、この車、京阪神地域のの革命児!

221a8@mes01
(2011年10月 名神クロスにて)

JR 西日本221系電車

京阪神に於いて113/115系、さらには117系まで主役の座から追い払った。関東や中京圏では国鉄末期からJR 初期にかけて211系が113/115系を代替していったものの、関西で211系の投入はなかった。
親方日の丸ではなくなり、私鉄各社との競争に向き合う事となったJR 西日本は、先行する私鉄各社に対抗すべく、新時代を強く意識したこの車を新快速と大和路快速に集中して導入した。
一般車で120㎞/hでの営業運転に対応する車はまだ珍しく、私鉄殺しの切り札としての力の入れ様は想像に難くない。3ドアにして転換クロスシートというのは国鉄時代にはなく、民営化されJR になって変ったという所を印象付ける効果もあったかも知れない。
そして、1990年のローレル賞は奇しくも、3ドアクロスシート三羽烏の闘いとなり、この221系JR 東海311系JR 九州811系を押えて受賞した。


221b15@yod01
(2011年5月 上淀鉄橋にて)

新快速時代を想起させる快速運用12連、今となっては貴重なカットか。
大量装備を念頭に、当時はステンレスより安いという理由で鋼製車体になったものの、221系の天下は長く続かなかった。474両というかなりの大量製造ではあったが、VVVF 時代は直ぐそこに迫っていた中、界磁添加励磁制御という「中途半端」なメカだったのは苦しかった。


JR 各社で特急を中心にmax130㎞/hという時代に入っていて、JR 西日本が私鉄各社にスピードで更にアドヴァンテージを稼いで有利に立つには221系では駄目と判断するのは当然だったと思われる。

1994年には223系0番台が製造開始になり、阪和線に投入される。
そして1995年1月、阪神大震災が発生すると、震災後の復興も睨んだ輸送力増強という名目で、221系より性能で上回る223系1000番台が前倒しという形で投入され、1999年からは同2000番台も大量投入されると、新快速の地位から滑り落ちて行く破目になった。


製造両数という点でも223系は900両を超え221系とはほぼダブルスコアになっている。 223系新快速に乗ってみると、その関東では味わえないスピード感は圧倒的で、関東の人間ならカルチャーショックを受けるであろう。
だから221系でさえ翳んでしまうのも仕方ない部分がある。小生も15年位前に223系新快速に初めて乗車した時には「化け物だ!」とすら思ったもので、関西の人間に対し一種の羨望まで覚えたのであった。


221b5@yod01

(2013年11月 上淀鉄橋にて)
東海道・山陽本線から押し出され、近年では225系まで登場したので、同線区で221系の姿を見る機会も減った。
斯くして221系は奈良線・関西本線・山陰本線を主戦場にするようになった。そして、ここまで来るとさすがに古さを感じてしまう様にはなったが、関東の人間からすれば今でも十分羨ましくなる車なのである。 2011年の上淀の画像の様な12両編成を見る事はもう無いかも知れない。


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(2010年11月 京都駅にて)
奈良線・関西本線・山陰本線で運用される様になり、編成替えも行われている。みやこ路快速として発車を待つNC 編成6連。
221系、その後継になる223系225系、更には811系311系・313系という辺りは、競争の落とし子と言える部分がある。 中京圏では名鉄、京阪神では阪急・阪神・京阪・近鉄等の大手私鉄各社という直接的な競争相手がいて、スピードとサービスの両面で勝つ必要があったのである。


実はこれと同時に、関東でこの手の車両が登場しなかった理由も見えてくる。 211系がすでに普及していた事は大きい。更に、人口密度が異常に高い故に混雑が異常に激しい。加えて、平野が広く、JR と各私鉄が直接競争するケースが殆ど無いに等しい事、これらに非常に官僚的な土地柄(江戸時代以来)も相俟っての事と思われる。

さて、ここで、この企画の掉尾の一曲として…、
Phil Collins が1989年初めに放った大ヒット曲 " Two Hearts " をぶつけたい!
" Buster " という映画の主題歌だったこの曲はアメリカとカナダで#1、全英でもTop 10 を記録


御存知の方も多かろうが、曲についてはこちらの映像でも御覧頂きたい。

1988~90年にかけて彼は3曲の全米#1ヒットを生み出し、グラミー賞のRecord of the Year も奪取していて、アルバム "...But Seriously " は全世界で1500万枚以上のセールスを記録。
この時代は彼のソロアーティストとしての絶頂期だったのは間違いない。 (註2


Well, there was no reason to believe she’d always be there
But if you don’t put faith in what you believe in
It’s getting you no where
‘Cause it hurts, you never let go
Don’t look down, just look up
‘Cause she’s always there behind you, just to remind you

Two hearts, believing in just one mind
You know we’re two hearts living in just one mind

‘Cause there’s no easy way to, to understand it
There’s so much of my life in her, and it’s like I’m blinded
And it teaches you to never let go
There’s so much love you’ll never know
She can reach you no matter how far, wherever you are

Two hearts, living in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts living in just one mind
Together forever till the end of time

She knows (she knows)
There’ll always be a secial place in my heart for her
She knows, she knows, she knows..., yeah
She knows (she knows)
No matter how far apart we are
She knows, I’m always right there beside her

Two hearts, believing in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts believing in just, living in just one mind
Together forever till the end of time
You know we’re two hearts living in just, living in just one mind
Just one mind, just one mind..., till the end of time
Two hearts, two hearts believing in just one mind
Beating together till the end of time... (fade out)



まだほかにJR 九州811系JR 四国2000系箱根登山2000形等もこの黄金世代に入っていて、当然取り上げるべきなのだが、生憎、未撮影でネタに出来ない。
811系は6年前に撮り損ない、四国には一回も足を運んでいない
箱根登山も同様。これらが欠けているために中途半端に終わる印象を持たれるであろう。言い訳は無用!
これは明らかに私の力不足、不徳によるもので自分でも非常に情けない。


註1)ターボ禁止から25年、今年からターボエンジン復活、しかもターボで統一www。ターボで統一というのはF-1 史上初!
1977年にルノー(Renault)がターボエンジンを導入し、1988年までホンダ・BMW・フェラーリ・ポルシェ等のターボエンジンが存在し、コスワース(フォード)等の自然吸気エンジンを圧倒していた。
註2)Phil Collins LVO は1975年にPeter Gabriel と入れ替わる様にGenesis に加入。1981年以降はGenesis と並行してソロ活動も行う。そこからの活躍はつとに有名。
1996年にGenesis を脱退するが、2007年の同バンド再結成時に復帰。ソロで8枚のアルバムをリリースし、7曲の全米#1、全英#1も3曲ある。
2008年、2011年と2回も引退しているが、作曲活動は続けていて、表舞台にまだ復帰する機会を伺っているらしい。彼と同い年(1951年生)の島田一の介や田山涼成と見た目であまり変わらない様にも思われるが、混同しない様注意されたいwww



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大坂落城400年、今回は江戸落城、そして歴史の符合wwwww

御存知とは思うが、現在=2014年は大坂の陣勃発から丁度400年、来年5月で大坂落城から400年という節目を迎える。(これ知らんかったら完全にアホ!)
江戸城がいとも簡単に落城した。 といっても、別に皇居で事件が起きた訳ではない。実際の江戸城は度重なる火災等で明治初期までに殆ど姿を消し、天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失した後一度も再建されていない(註1)。明治維新は落城ではなく無血開城である。


完全に落城したのは球界の江戸城、つまり東京ドームである。セントラルリーグのクライマックスシリーズで、阪神巨人を全く問題にせず、簡単に殲滅してしまったのは笑撃であった。
1614/15年の大坂の陣では大坂落城のみならず、周辺市街も略奪等で焦土と化している。その後大坂は天領として江戸幕府の直接支配を受けたのをきっかけに、400年間江戸に「やられっ放し」状態であったとも言える。


hs5139@kos
(2008年11月 甲子園駅にて)

そんな節目の年に大阪の人間たちからすれば、「ほんの一寸だけやけど、400年のリベンジを果たしたったでぇ~!www」(一寸というにも程があるが)みたいな達成感が加わっての高揚感が最高潮でドンチャン騒ぎになるのは想像に難くないwww。
しかも、大阪桐蔭の全国高校野球での優勝というオマケ付きである!
奇しくも、現在行われている「大坂の陣400年天下一祭」を凌駕する様なイベントが出来た訳である。
(大阪人のDNA には恰も400年前の恥辱と恨みが縫い込まれている様にも見える節があるというのは考え過ぎだろうか?)


hs5507@kos
(2008年11月 甲子園駅にて)

MLB では29年振りのプレイオフで話題になり、プレイオフも無敗の8連勝でワールドシリーズ進出を果たしたのがカンザスシティ・ロイヤルズ(Kansas City Royals註2)である。
29年前にあの名選手ジョージ・ブレット(George Brett)を擁してワールドチャンピオンになって以来という事である。その年=1985年は、言わずもがな、阪神の日本一の年でもある。
歴史の符合と言わずして、何と言う。 この両チーム、今の所、全てが上手く行き過ぎである。実力以上のものが出てしまっている感がある。
短期決戦では、パフォーマンスのピークを上手く合わせる事、そこに尽きるとよく判る。


一方、見せ場すら全く作る事もなく、4連敗で終わるという稀に見る超大失態を犯した原辰徳には詰め腹を切ってもらうのが当然と考える。
この手の大失態はこれが最初ではない、2007年にも犯した前科(相手は中日)があるから2度目である。
現時点で、川口和久(投手総合コーチ)のクビは決まりらしいが、原自身は居座るつもりの様だorz。
交流戦+リーグの2冠とはいえ、面の皮厚すぎてクソ笑う!


ところで、話は飛ぶが・・・大阪人の代々脈々と受け継がれるその精神性の濃さは、尋常ではないと思われる。他の地域に行っても、「郷に入れば郷に従え」と分かってはいるのだろうが、精神性が濃すぎて従いきれないというのが実際の所なのではないか?
これに対して、東京は、精神性が非常に希薄である。江戸の名残が辛うじて僅かに精神性と文化を伝えているものの、基本的に無表情・無機質で、唯図体ばかりが巨大になり過ぎているとしか思えない。
(この点については、機会を改めて)



註1)今更ながら、NPO・江戸城天守閣を再建する会を中心に2020年を目標に新たな観光名所として、天守閣再建計画が持ち上がっている。
註2)カンザスシティはカンザスと云いながらミズーリ州(Missouri)にあるので注意されたい。




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25周年!最狂の同期~The Golden Generation~ Part 8

小生が大学に通っていた1989年は、福岡ダイエーホークス(旧南海)、オリックス・ブレーブス(旧阪急)の初年でもあった。

パシフィックリーグではオリックスのブルーサンダー打線が快進撃を見せるも、近鉄オリックス西武の三つ巴のペナント争いに。 その中で断トツに衝撃的だったのは、近鉄バファローズのR. ブライアント(Ralph Bryant)がダブルヘッダー足掛2試合4打数連続本塁打(10月12日・西武球場)という離れ業を成し遂げ、近鉄を9年振りのリーグ優勝に導いた場面である。勿論同氏はリーグMVP に。
セントラルリーグでは、巨人軍で一世を風靡したあのW. クロマティ(Warren Cromartie)が大暴れ。打率 .378 を記録して首位打者+MVP 獲得。これにより、両リーグのMVP が外国人というNPB 史上初の事態となった。


更にこの年の日本シリーズでは、その近鉄相手に巨人が3連敗の後4連勝して日本一に。(シリーズの流れを変えた加藤哲郎の「ロッテより弱い」発言は有名ww)
他にもワニを食う男、自称ランボー等々、強烈なキャラを持った外国人選手が彼方此方で大暴れしまくったのを小生は昨日の事の様に覚えている。
又、「〇億円外人」、「産直大リーガー」と称して、高額な年俸でMLB から有名選手を引っ張ってくるケースが多発したのもこの時代であった。

 
更に、アマチュアに目を移すと、選抜高校野球は東邦が制し、全国高校野球は帝京が優勝(吉岡雄二を擁していた)。都市対抗はプリンスホテル(懐かしい!)が優勝している。

こんな流れの中で今回、
行くぞブーマー! ホームラン! V を目指して それ行けブーマー!」 「かっ飛ばせかっ飛ばせ松永! それ行けかっ飛ばせ松永! ホームラン打つぞ!ホームラン打つぞ!レフトスタンドへ~っ!」 的なノリで登場するのはこの車!


hk8001@mik01
(2009年2月 御影のS 字カーブにて)

阪急電鉄・8000/8300系電車
東芝製GTO-VVVF を搭載し、車体は7000系から採用されたアルミ車体。神宝線用の8000系は元旦に走り始めたが、京都線用の8300系は数ヶ月遅れて登場したのである。最初からチョコレートパフェとも呼ばれる屋根肩だけアイボリーにする微妙な塗り分けで登場したのは6300系以来である。ワンハンドルマスコンも6300系から受け継がれる大きなT 字形だが、メーター類は一気にデジタル化された。大きなマスコンを船を漕ぐ様に操作しているのは滑稽に見えるかも知れない。
8300系に初めて乗車したのは20年近く前の事だが、いかつい額縁顔に先頭2丁パンタ(しかも下枠交差)そしてGTO-VVVF のあのサウンドに結構感動した記憶がある。
阪急8000/8300系や北大阪急行8000形の様な黎明期のVVVF にありがちなあの勇ましいVVVF サウンドも小生は好きなのだが、一部の車でVVVF 装置換装、モーターのSMPM への交換が行われ、あの音が聴けなくなっているとか…。

8000系の初度製造は1988年内に行われたが、デビューは1989年1月である。阪急初のVVVF という事もあり、 試作車のテストに少々時間を要したためである。 斯くして、8000系は阪急ブレーブスを知らない阪急電車の第一号になったわけである。因みに、 阪急ブレーブスの身売り発表は球史に残る「10.19」と同日である。(正式な譲渡は11月4日)

晴れたる青空 我等のブレーブス 萌え立つ緑か 我等のブレーブス
勝利を目指して鍛えし技を 此の日も示さん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス
守りは鉄壁 我等のブレーブス 攻めては怒涛か 我等のブレーブス
勝利を誓いて力を合わせ 歓呼に応えん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス
輝く伝統 我等のブレーブス 心は一つぞ 我等のブレーブス
勝利を称えて 明日に備え 女神と謳わん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス


なんていうのは経験していない車輛なのである。


最初の画像は8001F 特急梅田行き。
2009年2月、御影のS 字に始めて行った時のものだが、この日はかなりの冬晴れだった。この場所は線路の向きからして冬場向きの撮影地であるが、神戸線の撮影地には秋冬向きの場所が多いと思われる。


hk8302@sozj01
(2011年5月 柴島浄水場付近=崇禅寺~南方間)

2011年5月に柴島浄水場の直ぐ近くで撮った8302F特急梅田行き。
妙に角度を付けた様な顔より、こちらの正調の額縁フェイスがイイ!
この時はフェンスも低く、撮り易かった。夏場の午後やや遅めの時間が順光だったが、近くの集合住宅の影が落ちてきやすいのは難点だった。しかし、今はもうこの場所では撮れない。連続高架化が進んできているからである。
当時、淡路駅付近からの立体化工事はここまで及んでなかった。数年内には高架化された線路が丁度この辺りで地上に降りてくる形になると思われるが、高いフェンスも張られてしまうであろうから高架から降りてくるところは撮れないであろう。


hk8008@mik01
(2014年4月 御影のS 字カーブにて)

今年4月、約5年振りに訪れた御影のS 字だったが、この日は当初の予報に反して曇り気味であまり具合が宜しくなかった。
8000系8連の内、何故かこの8008F だけがシングルアームパンタである。シングルアームだと迫力は少々落ちる。
8000系8連に於いて、8008の次は8020F といきなり番号が飛んでいる。8020F は元々6連で登場したので、8009には出来なかった。後に8連化され神戸線専用になった。ただ、その論理だと、製造当初は6連であった8001F との間で辻褄が合わない。
8020F を8連化の際に8009F に改番すればよかったと思うのは小生だけだろうか?


hk8333@yod01
(2014年4月 十三~梅田間にて)

淀川を渡り梅田に向かう8333F+8314F通勤特急梅田行き今年4月の関西遠征初日は一日を通して非常に良く晴れた。朝一番で2300系1300系を狙うべく淀川に赴いた。
当然、73008300も結構ヒットした、が…、ラッシュアワーで列車密度が高いためか結構裏被りはあった da*n !!

ここは土手寄りに障害物が多いので、齧り付きは無理。こういうアングルに限られる。 JR の名所である上淀鉄橋が近隣だが、線路の向きが11 to 5(時計盤で11時から5時の方角)なので、順光時間はこちらの方が早い。冬場は具合が良くなく、春から初夏にかけて、若しくは8月位が光線的には良く、順光時間も長いと思われる。(JR の上淀は12 to 6 なので秋冬向き)


hk8303@set01
(2013年11月 南茨木~摂津市間にて)

小生としてはあの硬い感じの額縁顔が非常に好きなのだが…、風切り音が大きいらしく、ややダイヤモンドカット風に角度を付けた顔の車が、追加製造の2連ユニットから誕生した。
それどころか、額縁からダイヤモンドカット風に顔面整形される奴まで出て来たからややこしい。その顔面整形を受けた代表選手、8303F 準急梅田行き
南茨木~摂津市間でも摂津市寄りのポイントで、あまり知られてはいない穴場スポットらしいが、実際の最寄駅はJR 千里丘w。小生は数回足を運んでいるが、何と云っても、架線柱が白過ぎるww!
ここまでマルーンの車体にくっきり映り込まれると降参であるww、更に背景の建物や鉄塔がボロww!


製缶工場と線路の間にある路地から撮影だが、このアングルは昼前位が順光、夏場はトップライトになってしまうので秋冬向き。夏場であれば午後遅めに線路の西側から撮るのは可能と思われる。このポイントは連続立体交差化事業(南茨木~正雀)の対象で、今年度から各種調査測量等に入っている様で、あと数年内には消滅する破目になる。

撮影時期の違う画像を並べて比較すると、こんな事も判る。 2009年当時、前照灯も通過標識灯も点けていない。 2011年の画像では通過標識灯だけ点けていた。 2013年の画像では前照灯も点いている。
同年1月から阪急は昼間点灯を実施したという事だが、良く見ると下から2番目の京都線通勤特急は点灯し忘れているww。
関東の私鉄では全社で昼間点灯(デイ・ライトオン)を行うが、関西の私鉄では京阪の様に殆ど行わない私鉄も存在している。

 
8000/8300系も登場から25年が経ち、改造・改修で色々いじられて段々訳の解らん混迷状態になりつつある。豊富なヴァリエーションwwを楽しむという考え方もあるが、ある程度の統一感は欲しいというのも本当である。

斯く斯く云々お送りしてきた所で、今回の一曲をという展開だが…、
ハードロック系ばかりでは飽きるので、ソフトロック系のアーティストの曲から、しかも1989年という事で
Richard Marx の有名曲、" Right Here Waiting " (
コイツを、8000/8300系、そして阪急への一種のラヴレターがてらに行ってみたい!


この曲は、彼の2nd アルバム " Repeat Offender "(1989年)から最初のシングル" Satisfied " が全米#1となったのに続いて、2枚目のシングルとしてこれも全米#1(3週連続)を達成。カナダ、オーストラリア等でも#1、全英でも最高2位を記録する世界的ヒット曲である。しかも、それから25年、この曲のカヴァーは数え切れない程存在し、スタンダードにもなりそうな域である。
この曲は、彼が当時結婚したばかりの嫁はんにラヴレターとして捧げるべく書かれた曲なのは有名な話だが、どの様な曲かについては、
この曲のオフィシャルPVでも御覧頂きたい。

Oceans apart day after day and I slowly go insane
I hear your voice on the line, but it doesn’t stop the pain
If I see you next to never
How can we say forever

Whereever you go, whatever you do
I will be right here waiting for you
Whatever it takes or how heart breaks
I will be right here waiting for you

I took for granted all the times that I thought would last somehow
I hear the laughter, I taste the tears, but I can’t get near you now
Oh, can’t you see it baby
You’ve got me going crazy

Whereever you go, whatever you do
I will be right here waiting for you
Whatever it takes or how heart breaks
I will be right here waiting for you

I wonder how we can survive this romance
But in the end, if I’m with you I’ll take the chance

Oh, can’t you see it baby
You’ve got me going crazy

Whereever you go, whatever you do
I will be right here waiting for you
Whatever it takes or how heart breaks
I will be right here waiting for you

Waiting for you



そして、この黄金世代はまだ終わらない! Part 9 へと続く!

)Richard Marx は1963年イリノイ州生まれ、という事は…、蝶野正洋、工藤公康、川田利明、今井美樹、香西かおり等とタメww。
5歳から父の手伝いとして音楽に携わる。18歳でL.A. に移って、Lionel Richie に始り、Madonna、Luther Vandross 等のサポートを行う様になり、実績を積んで、1987年自分の名を冠したアルバムでデビューし、大ブレイクを果たす。
1989年に出した2枚目のアルバム " Repaet Offender " のセールスは全米だけでも500万枚を超え、全世界では1000万枚を軽く超えている。このアルバムからは#1が2曲、Top 5入りが1曲、Top 20入りも2曲、合計5曲のヒットシングルも産れている。今迄11枚のアルバムを出しているが、1990年代後半以降はソングライター等の裏方的な仕事をメインにするようになっている。




※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Oct. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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