Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
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2013年07月

メモリーズ ~快速・榛名イルミネーション号~

榛名湖で年末に行われる榛名イルミネーションフェスタというイベントは有名だが、2010年までは大宮~高崎間で快速・榛名イルミネーション号なる臨時列車が運行されていた。 2011年東日本大震災に伴う原発事故を機に電力供給逼迫が叫ばれこのイベントの開催自体が危ぶまれるようになった。
結局、イベント自体は行われたいるが、2011年以降、この臨時列車が運行された形跡はない。 今のところ最後の運行になった2010年12月の画像を紹介する。
撮影地は高崎線・深谷~岡部間、岡部駅から800m程深谷寄りの地点である。


183h61@okfk01n

183系大宮車国鉄色H61 編成の快速・榛名イルミネーション号、この日の大本命。

本来陣取りたかった場所=画面右奥辺りには数名の先客がいたので、少し岡部寄りに移り線路を跨ぐ道路の歩道の階段途中の踊り場から撮影してみた。 微俯瞰で撮れるのは良いが、時期は年末であり、太陽の角度が非常に低い。そのため、線路近くの工場の影が列車に被ってしまった、最悪である。冬場でなければ、ここまで酷い影の掛り方はしない筈である。微俯瞰的なアングルはなかなか良く見えるが、夏場以外は工場の影が部分的にでも掛る危険性は高いと思われるので、お勧めは出来ない。
今後、この臨時列車が再び運行される様な事があったとしても、その時は恐らく185系死刑囚による有難みの無いものになるであろう。 これを撮るために都内から関越道を飛ばして行ったのだが、これだけというのではバカバカしすぎるので、可能な限り粘ってみた結果撮れた画像から2点を掲載する。


183om101@okfk01n

16時頃やってきた 183系大宮車OM101 編成の回送。冬場という事もあり、このあたりの時間が限界であった。予想になかった収穫にほくそえみながら撤収した次第。

66102@okfk01n

183系回送の30分前に通過したのが、EF66-102EF64新更新色次位無動+コキ8両。笑ってしまうほどの短編成!



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2013)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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185系には死刑宣告を!

183/189系 といえば、定期運用を退いた後も田町、大宮、幕張、豊田等に配置され、6~10連で成田臨・特急あずさの臨時便・各種団臨等々、長らく関東エリアの波動輸送を担ってきたが、その置換が本格化するようである。

小生なんぞはてっきり 651系 183/189系 の中央本線関係以外の部分を置き換えると思っていた。ところが、その期待を裏切る方向に事態は推移していたのである。 183/189系 の置換には185系を充当する方針を固めたのである。 同じ直流車という事もあり、汎用性の高さを謳う所が決め手の一つだったのであろうか。何があろうと、この糞車の往生際の悪さには反吐しか出ない。

185om03@center01
(OM03編成湘南色・2011年8月東京車両センターの一般公開で撮影) (

でも、此奴が史上最低の特急車であるのは明らかである。153系・165系の置換というのが当初の使命であり、又会計検査院の了承をクリアするのに苦労したからというのは言い訳に過ぎない。
それなら何故特急車の名を冠し、特急料金を徴収しているのかが納得出来ないというのが良識ある利用者及びファンの思う所であろう。
性能も低く、シートを始め酷い内装、リニューアルまで普通車にはリクライニングシートすら無かったという有様。これで特急料金を徴収するというのは犯罪ですらある。地方私鉄の特急ならギリギリ我慢できるかという程度である。
特急から普通まで幅広く使えるという触れ込みだったが、特急としては話にならず、普通としても構造上、少なくとも大都市圏では使えない代物である。

 
185b6@krky01
(所謂ワシクリは黒小屋踏切付近にて・後追い)

巨額の赤字が政治問題化する様な末期的状態の国鉄だったから仕方がないというのは詭弁にすらならない。200番台に至っては新特急なる名を冠して詐欺的行為を正当化したのも極めて悪質である。
30年以上に渡り国鉄、JR を通して在来線特急の名に泥を塗り続け、詐欺的行為を延々と繰り広げておいて、なおこれから波動用として居座ろうとする此奴に情状酌量の余地はない
この糞という言葉がピッタリの185系には死刑が当然である


)2013年5月に普通車は田町車カラーに戻り、グリーン車は先日廃車に。



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Bourgueil Vaumoreau 1996 Pierre Jacques Druet

druet96vmr01n先ずはテイスティングに使うグラスに迷ったので、ブルゴーニュ用・ボルドー用の両方のグラスを使ってみる。

色はややクリアなガーネット、熟成を感じさせる色。
先ずは、土、枯葉、ヒラタケ、ポルチーニ茸、マッシュルームというニュアンス。そこから、レッドチェリー、赤スグリ、ラズベリーが出て来る。
口蓋内でも赤系果実が中心だが、熟した黒系&青系果実も加わり、赤系一辺倒ではなくなる。
基本的に酸もタンニンも思ったより強く、開くのにはかなり時間と忍耐を要する。


ブルゴーニュ用グラスでは、酸とキノコ系、赤果実系の香りと味が際立つ。ボルドー用ではボディが鮮明化する傾向になる。
ボディの中に、シナモンやクローブ、キナリキュールのヒントが微かに加わる。 余韻はまろやかな赤系果実リキュール梅酒キナリキュールが微かに入る。尻上がりに伸びやかになる。

 
このワインはLoire に於けるCabernet Franc(カベルネ・フラン)の理想的な作品の一つとも言えよう。
Bourgueil(ブルグイユ)の中でも最高の畑から作られるというだけの事はある、流石!

先月取り上げたCharles Joguet との比較でいえば、A.O.C. の違いはあるにせよ、Joguet は少々イレギュラーなスタイルであり、Druet はオーソドックスな形に近い。


実はこの作り手のワインも一般市場に出回り難く、入手困難な状況である。特定の顧客が大部分を押えてしまうからである。

 
Les Meilleurs Vins de France 的な感じで点を付けるなら…、 18 / 20

Pierre Jacques Druet
酒商の家に生まれたPierre Jacques Druet は高校時代をBeaune で過ごし、Bordeaux の大学でÉmile Peynaud 教授の下、醸造学を学ぶ。
Bourgueil に移りワイン造りを始めたのは1980年、そこから頭角を現し、同地区を代表する生産者になる。Bourgueil だけでも、"Grand Mont"、"Vaumoreau"、"Fiefs de Louys"、"Les Cent Boisselées" 等のcuvée を作っている。Bourgueil のイメージが強いが、Chinon も生産している。


比較参照記事=Chinon Clos de la Dioterie 1997 Charles Joguet



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Gevrey-Chambertin Champs-Chenys 1996 Joseph Roty

jroty96chenys01n色はやや赤茶がかったガーネット
口蓋内では、まだまだタンニンと酸が目立つ。時間が経つと、果実味がコンポートにジャムが少し混ざった様なタッチで出て来る。

微かななめし皮sous boisから昔の薬草系リキュールラズベリー、赤スグリ、苺等の赤果実が主体、そこに微かに野薔薇焼きたてのパンArmagnac、土が時折加わる。

タンニンと酸にまだ締め付けられている様な所があるものの、出汁の効いた感じはそれなりに出て来ていて、余韻の形成に一役買っている。その余韻も結構長い

現時点で、華やかさより堅牢頑強な面が勝っている。 酒としての密度は高いと思われるが、村名クラスでこんなに頑強で良いのかという不安もある。
理想的なバランスに到達する前にへたってしまうのではと危惧しないわけではない。この作り手のワインは我々に相当な忍耐を求めると思うべきではないか。もう一度言うが、これはあくまでも村名クラスのワインである。


Les Meilleurs Vins de France 的な感じで点を付けると…、 18 / 20


Joseph Roty
Gevrey-Chambertin を代表するドメーヌの一つで、1710年にはワイン造りを始めていたとされる。Joseph は23代目の当主になり、現在は主に息子のPhilippe がワインを作っている。
所有畑面積は12ha 程でその中には、Charmes-Chambertin、Griotte-Chambertin、Mazy-Chambertinも含まれる。古樹が多いのも特徴で、100年オーヴァーの葡萄樹もある。




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Wind of Change ~所沢駅至近のあの場所で~

強盗慶太」とも揶揄された五島慶太率いる東急グループと、「ピストル堤」こと堤康次郎率いる西武グループは、関東の鉄道界の盟主の座を巡って激しく鎬を削っていた。
その最たるものが、「箱根山戦争」「伊豆戦争」であった。ただその後、時代は移ろい、東急は五島一族の手を離れ、西武からも堤一族の影は消えた。


今年3月16日、遂に私鉄界の「Iron Curtain」 (註1) は消滅し、冷戦終結並みのインパクトを以て? 東急・西武が相互に繋がったのである。
そこで小生は西武線を走る東急車を捉えようと、秋津から所沢にアプローチするこのカーブに向かったのである。
これは合成ではない、ウソ電画像でもない。このカーブを東急の車輛が当たり前に走る様になるなんて、想像だにし得なかった。 猪瀬直樹東京都知事も直通記念式典のスピーチで「まさかこんな日が来るとは…」と述べていたのである。


TK4109

西武の線路を走る東急車を最初に捉えた画像がこれ。所沢で「快速急行 元町中華街」という表示を見られるなんて思いもしなかった。実はこの前に快速急行小手指行きが来たのだが、上り電車に気を取られたせいで不覚にも撮りそこなった。上り電車のケツ持ちという形になってしまったが、東急車の最初のショットを撮れたというので一安心。

TK4103
 
これは回送電車。何のための回送だか判らないが、反対から下りの西武車(20000系)が迫ってきていたので、もう少しタイミングが違っていたら西武車東急車の並びが撮れたかもしれない。
これが東京メトロ・東急の離合なら西武の線路という絵ではなくなるのだが、今やそういう事も平気で起こる時代に入ったのである。


 
TK4102

ケツ持ちばかりじゃ話にならんので、東急車の下りを待っていると…、遂に、キターッ!!
4102F による快速急行飯能行き、東急車の行先表示に燦然と「飯能」の二文字が!!
東急車を含めて、東横線直通列車通過時の風圧が変革の風の如く感じられたのである。


実はこの日、Assy こと芦沢みゆき嬢が三井アウトレットパーク入間で歌っていたのだが、その1回目のステージをブッチぎるという不義理を冒してまでこのカーブで待った甲斐があったというものである。

この展開なら、SCORPIONS註2)の超有名曲を出さずにはいられない!!
それは勿論、彼らの1990年の大ヒット曲、" Wind of Change "
 

30代後半以上の御仁なら御存知と思うが、この曲は冷戦終結、旧東欧社会変革の風というものを通じて、自由と平和への願いを歌った曲として有名である。
1989年8月、当時まだソヴィエト連邦の時代、Moscow Music Peace Festival (註3)に出演した折、メンバー達は市内を川船でGorky Park まで移動した。その時眼に映った変革の風景、感じられた変革の風というものをヴォーカルのKlaus Meine がこの曲にしたためたのである。
その直後にベルリンの壁が崩壊しドイツが統一されるところまで想像していなかったかも知れないが。 この曲は1990年、アルバム "Crazy World" に収録され、シングルとしても世界中で大ヒットし彼等の代名詞になった、その翌1991年にソヴィエト連邦は崩壊消滅するのであった。

どの様な曲かを知りたければ、
この動画こちらでも御覧頂きたい。

 
I followed the Moskva
down to Gorky Park listening to the wind of Change
An August summer night,
soldiers passing by listening to the wind of change
The world is closing in.
Did you ever think that we could be so close like brothers
The future’s in the air.
I can feel it everywhere blowing in the wind of change

Take me to the magic of the moment on a glory night
Where the children of tomorrow dream away in the wind of change

Walking down the street,
distant memories are buried in the past forever
I followed the Moskva
down to Gorky Park, listening to the wind of Change

Take me to the magic of the moment on a glory night
Where the children of tomorrow share their dreams with you and me
Take me to the magic of the moment on a glory night
Where the children of tomorrow dream away in the wind of change

The wind of change blows straight into the face of time
Like the stormwind that will ring the freedom bell
For peace of mind, let your balalaika sing what my guitar wants to say  

Take me to the magic of the moment on a glory night
Where the children of tomorrow share their dreams with you and me
Take me to the magic of the moment on a glory night
Where the children of tomorrow dream away in the wind of change
 
※ここに表示しているのはOriginal Version の歌詞


註1)ヨーロッパの東西冷戦による分断を象徴して表現した言葉。
イギリス首相を退任したばかりのW. Churchill が1946年3月、アメリカ・ミズーリ州内の大学での講演で用いたのが有名になった。
註2)ドイツを代表するロックバンド。1965年結成、72年デビュー。
Klaus Meine、Rudolf Schenker を中心としたグループ。初期メンバーにはRudolf の実弟Michael Schenker も在籍していた。
註3)1989年8月12・13日に旧ソ連末期のモスクワで平和と麻薬撲滅の為に行われたイベント。Bon Jovi、Ozzy Osbourne、Mötley Crue 等が出演していた。
当時、ハードロックの世界的人気が頂点にあった事を象徴するイベントでもあった。




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