Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

2012年07月

小田急線を彩った名優達 Ⅱ

小田急の名物といえば、ロマンスカーと呼ばれる一連の特急車群。その中でもハイデッカーと呼ばれるつまり高床式の特急車2形式が引退となってしまった。しかもこの2形式は共にブルーリボン賞受賞車である。

HiSEこと10000形はデビューから25年、RSEこと20000形は20年、早過ぎる終焉だった。こうなったのも所謂交通バリアフリー法によるものである。鉄道車両は20年前後で大幅な更新・改良が必要となる。2000年の交通バリアフリー法施行を受けて、この2形式は更新をせずに然るべき時に引退させるという事になったのである。

でもそんな事を言うのなら、近鉄の某V***A ?X こと3***0系の立つ瀬が無い?


odkhise@trmk01

引退直前に漸く撮ったショット。鶴巻温泉駅のやや東側の築堤を見上げる形で。本来ならもっと伊勢原よりの場所まで歩ければもっと良いショットが撮れたのだが…。


odkhise@ebn01


引退記念イベント「The Last Greeting」での一枚。
2日間に渡ったイベントの初日に行ったのだが、午後は一時かなりの雨になったが、最後の方になって晴れ間ものぞく。そんな中でも人出は多くかなりの賑いで撮影は苦労を極めた。閉場間際に人が減って漸くこの程度のものなら撮れる状態になった。
2005年の50000形VSE登場時に2編成が運用離脱、4連接に減車の上で長野電鉄に無償譲渡され同社1000系ゆけむりとして走っているが、先日最後まで小田急に残った第1編成は相模大野に廃車回送されたので、すでに解体に入っていると思われる。HiSEから廃SEになってしまった。


odkrse@sjk01


3月16日午後のRSEあさぎり。RSEは失敗続きで撮れずにいて、正直焦っていた。最後の日の午後、賭け同然で新宿駅至近の踏切から撮影。この踏切も激バ状態でまともな写真にはなっていない。でもこれはRSEあさぎりの下りラストランだった。(新宿駅では記念の出発式が行われた)

言い訳がましくなるが、2月~3月は季節の変わり目で空模様が安定せず、失敗が連続したのである。それでも何とか最後の最後で走行写真は撮れたという事だろうか。 関東の鉄道は何時でも撮れると思ってあまり一生懸命撮らなかったりする事の罰が見事に当たったのである。

「何時までもあると思うな鉄道車両!撮れる時に兎に角撮っておけ!」これが今回の格言か。


odkrse@ebn01


odkrse@ebn02


仕方が無いので、引退記念イベント「The Last Greeting」でのショットを載せておく。バブルと共に登場したHiSE、バブルの中で開発されたRSE、まだまだ全然活躍出来る上に、特急車らしいグレード感も存在感もある。真に勿体無い話である。

私がRSEに乗車したのは1回だけだったと思う。沼津から8号(上り最終)で新宿まで乗ったのが約7年前だったと記憶している。 上述の通り、HiSEは長電に移って走っていいるが、その一方RSEに関して富士急行への譲渡の話もある様だが、去就は決まっていない様である。仮に富士急に譲渡されると、フジサン特急こと2000形(元国鉄165系)が押し出されて廃車になると思われるので、何とも微妙な所である。

Part 5 もある!

小田急10000形・HiSE
1987~89年に4編成が日車・川重で製作される。小田急電鉄開業60周年を記念して導入された。同社初の「インフレナンバー」採用、11連接の抵抗制御車で、関東の私鉄では少数派の下枠交差型パンタを搭載。設計上の最高速は145km/h。1988年ブルーリボン賞を獲得。第2・第4編成は現在の長野電鉄1000系ゆけむり号。


小田急20000形・RSE
1991年、JR東海・小田急で交わされた相互直通運転車両の規格使用に関する議定書に基づき製作・導入され、初代3000形(SE)を置き換えた。同社特急車としては2300形以来のホギー車だが、箱根特急の運用にも入る前提でLSE・HiSEと編成長を合せて7両ユニットになった。HiSE同様、下枠交差型パンタを搭載。設計上の最高速は140km/h。1992年ブルーリボン賞を獲得。



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2012)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。




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実は、先月24日にスコッチ文化研究所主催のシングルモルト検定3級&2級を受験しておりまして、その結果を御通知頂きました。初めての受験だったのですが…
見事?2級に合格致しました!!

受験後の感触として、3級は完全に自信あったのですが、2級は然程自信が無かったのです。
2級まで一発合格出来て一安心しております。これで来年準1級・1級を受験する権利も得られました。
以上御報告でした。


lgmn76wf2010n01

画像は、Whisky Festival 2010 記念ボトルのLongmorn 1976 34yo 52.2%・同イベント主催のスコ文研によるボトリング。(同イベントで撮影)


追 伸
大津市のいじめ自殺について色々な情報が連日流れているが、その内の大部分がもし本当だったなら、そこには日本の統治機構の闇の部分、そして構造的瑕疵まで透けて見えてしまうと言ったら言い過ぎだろうか?
この手の話は後を絶たないが、「逃げずに立ち向かえ」とバカの一つ覚えみたいに言う者は多いが、物事そんなに単純なものではなく、それが却って悲惨な事態を招き得る事も常に考えるべきである。

私の場合、唯の他人事として片付けられない部分がある。 私は長い間いじめを受けていて、幼少期から思春期まで楽しい思い出は非常に少ない
因みに、私は中学から大学まで私立だったが。、私の世代は、校内暴力、バブル入社、社会に出たらバブルは弾け、さらにはモンスターペアレント粗製乱造…、幸せな世代とは決して言えない


最近思わされるのは、いじめ自殺の様な事象でも劇場化している事である。
政治のみならず、交通事故や自殺ですら完全に劇場化させられている。こんな事をしていたら近々この国は滅びる!

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小田急線を彩った名優達

この春終焉を迎えたのは、新幹線車両だけではない。関東で言えば、小田急の線路を彩った名優達もピリオドを迎えた。

odk5063@ebn02

最後まで残った小田急顔、5000形!
子供の頃から見慣れた面構え、このツラでなけりゃ小田急じゃない。
This is ODAKYU . でも、若い人はこの小田急顔を知らない人も多い。 本当に最後まで残ったこの1本は、オリジナルの2段窓。 正真正銘の5000形
8両固定では運用上の制約が大きくなるとされ、将来的に10両での運用も考慮されて4両ユニットで作られた。6連で登場した1段窓のものは1978年から追加された通称5200形
昔は 小田急 急行といえばこの 5000形 だったのである。


odk5163@ebn01

2600形 旧4000形 、みんなこの顔だった。 5000形 と併せたこのトリオは小田急車両の大型化を推し進めて輸送力を大幅にアップさせて今の小田急の礎を築いた大功労車である。そこに地下鉄乗入対応の「骸骨」こと 9000形 が加わるのである。 時代を築いた伝説の車も悉く消えてしまった。その代表格 5000形 も、 5200形・9000形 という盟友達を見送った後、遂に終焉を迎えたのである。
アイボリー+青帯という出で立ちも遂に 8000形 のみになってしまった。今はステンレスボディ全盛である、味気無くて萌えない時代である。


odk5063@ebn01

画像3点は全て引退イベント「The Last Greeting」にて撮影。
こういう小生だが、実は小田急にはあまり縁が無く、撮っている回数も非常に少ない。2006年から淘汰が急速に進んだ事もあり、 5000形 の走行写真は撮れずじまいだった。
繰り言の様に聞えるかも知れないが、関西では50年クラスの車すらまだ本線で走っている。
この 5000・5200 と同世代の車は主力として走り続けている。各社の個性を色濃く残す車両が関東では急速に消えているのである


小田急電鉄・5000形
急行を大型車8両で運行する為に1969年に登場。2400形の電装品と2600形の車体をベースに開発された地下鉄乗入を行わない地上線用車。1972~75は9000形の増備のために製造中断、76年から再開。
1978年には6連ユニット(通称5200形)が登場し、急行10連運用が本格化する。


Part 4 もある!

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初代のぞみとして御馴染みだった300系

民営化されたJR が航空機に対抗する新兵器として東京~新大阪を150分で結べる列車を開発する事になった。最高速も従来の220km/hから270km/hに引き上げる必要が生じたのである。開発の進められた時期は折しもバブル全盛で、開発にも金を賭け易かったという幸いな一面があったのは事実であろう。

軸重を11.3tに押さえる必要があり、100系に対し平均で25%の重量減が必要だった。新幹線として未知の領域に足を踏み入れる事でもあったので、デビュー後も初期トラブルは頻繁に起こった。居住性が問題視される事も多かった。クズ物入れがやたら小さくて直ぐ溢れてしまう事等も含めて問題は多かった。

300系には新技術がふんだんに盛り込まれ試作的要素も強い車で、それゆえの難しさもあった
だが、この国の鉄道輸送における大きなbreakthrough であったのは疑いようが無い。
試作車J0編成(後のJ1編成)が1991年2月に試験走行で325.7km/hを記録している。 300系の天下もそうは続かなかった。1992年のデビュー以降、1993年から急ピッチで0系置き換えも兼ねて増備されたが、1997年に 500系 が、1999年に700系がデビューするとあっという間に脇役に追いやられてしまった。

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この画像は2009年田町駅付近で撮影

2007年にN700系が登場すると、JR 東海のC 編成の廃車が進んで行った。JR 西日本所属のF 編成は製造された9本が残っていたが、2011年になって、それをを淘汰する為に、JR 東海が700系C 編成の初期車を譲渡するという事までおきた。
ファイルの整理をしていて気が付いたのであるが、実は300系の画像は殆ど撮っていないのである。
以前は 500系 という絶対のターゲットがあり、外道としてN700系700系も少しは撮っているが、300系は雑魚?として無視した事も多かった。
2010年3月以降は新幹線の撮影に殆ど行っていない。 後悔先に立たずとはこういう事かも知れない。


300j60@mgmz01

この画像は馬込坂で2011年7月に撮ったJ60編成。
馬込坂での撮影も最近は厳しくなった様である。近隣住民の中にクレームを申し立てる人間がいるという話もあり、長時間の撮影は止めた方が良いかも知れない。


2012年3月16日、100系共々ラストランになった。東海道ではJ57編成のぞみ329、山陽ではF7編成のぞみ609号として走った。両列車とも全席指定だったが、発売から1分程で完売したというのは記憶に新しい。609号は岡山で100系ラストランのひかり445号との並びを見せた。色々叩かれた300系であったが、終焉が迫ると300系目当てのファンが沿線には多く集まった。ラストランの時には沿線各駅には大変な数のファンが押し寄せたのはニュース映像でも見たであろう。

300系がこの様な形で終焉を迎えた理由として、短編成化が非常に難しい構造であった事があるであろう。0系、100系は2両単位、 500系 以降の車は4両単位である。これに対して、300系は3輌単位で、1+3×5=16という形だった。
加えて、 500系 700系E編成 も存在する中で、最高速が270km/hという「中途半端」な性能の300系を無理に転用する理由も見当たらなかった事も想像に難くない。



300系新幹線電車
1990年に試作車が登場、テスト期間を経て1992年のぞみの運行開始に合わせてJR東海のC編成が正式デビュー。デビュー直前の試乗会が新幹線とも係わりの深い小田急初代3000型(SSE)のさよなら運転と同日だった。1993年から大量増備が始まり、JR西日本もF編成を導入。1992~98年の間に1120両が造られる。 アルミ合金のシングルスキン構体を採用、新幹線としては初のVVVF車(GTOサイリスタ使用)&回生ブレーキ搭載車であった。
1993年度ローレル賞受賞だが、JR九州787系(特急つばめ)に敗れブルーリボン賞は取れなかった。


Part 3 以降もある!

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Craigellachie (クレイゲラヒ)の創始者はWhite Horse Ltd. を立ち上げ、"Restless Peter" の異名を取った彼のPeter Mackie(ピーター・マッキー)である。
U.D. 傘下の時代まではWhite Horse の看板が出ていたので有名であるが、Bacardi 傘下になってそれは取り外されている。蒸留所はSpey 川とその支流のFiddich 川の合流地点の近くにある。近所には有名なMacallan がある。

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Craigellachie 1962 25yo 46%  Moncreiffe single malt collection

ラベルの文言から見て、イタリアのボトラーだったと思われる。去年末、知人宅での忘年会の席で供された物であった。
これを飲んでしまうと、Craigellachie は美味い酒なのだという事を印象付けられる。
不思議と秀逸な白ワインの様でもあるのである。
色は明るいゴールド、ナッティーなニュアンスは結構強い、特にアーモンドと胡桃。洋梨・林檎系統の味が出て来る。ホワイトチョコや飴、水飴を想起させる香味が続いて、グラッシーなタッチも出て来る。
全体的な印象として高い透明感を以って、硬質感を出しながらも味は横方向に円を描く様に出て来る印象であった。輪郭もしっかりして崩れそうで崩れない。
味の押し出しと持続力はかなりのレベルで46度に加水されているとは思えない位である。



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Craigellachie 1962 26yo 46% CADENHEAD'S black dumpee bottle

泣く子も黙る?伝説のCadenhead の黒ダンピーの中の1本。今年5月に名古屋に遠征した日の夜に有名な某N で頂いた。マスターも超お勧めだった。
最初の入りはフルーティー。白桃・黄桃・パパイア等のニュアンス。そこから、白い花、特にカモミール、ジャスミンといった所が出て来て、更にナッツ類、殊に胡桃、カシューナッツ、アーモンド、ヘイゼルナッツのニュアンスが表に出る様になる。
又、味の底部には八つ橋や落雁の様な香りと柔らかな甘さが見える。 その後は少々梅酒の様なタッチを伴い伸びやかなアフターテイストを形成する。
勿論、コシも強く妙なブレもない。 両者とも、味の出方として横方向の広がる強い様にも思われたが、Cadenhead の場合は縦方向にも結構出る感じであった。
色々言っても、甲乙付け難い両者であり、秀逸でimpressive なCraigellachie であるのは明らかである。


Les Meilleurs Vins de France 流に点を付けるなら…、両者とも 19 / 20

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