Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 6

本章に入る前に、先ずは1997年の海外スポーツを振り返ると、史上最年少というキーワードが欠かせない。
テニスでは何といっても Martina Hingis (マルティナ・ヒンギス)の活躍が目立った。1月の全豪オープンを制して史上最年少で世界ランク1位を奪取。更には同年のウィンブルドン・全米オープンも制圧して3冠に輝く。しかし、彼女のシングルプレイヤーとしての天下は2年程で終わってしまう。
その後は2度の引退と復帰を経て近年は混合ダブルスを主体にプレイしていたが、この秋に3度目の引退を発表した模様である。

ゴルフでは言うまでもなく Tiger Woods (タイガー・ウッズ)が史上最年少でマスターズを制し、一気にトップの座に躍り出て最強の座を欲しい侭にした。
あれから20年、落魄れたタイガー・ウッズは今や見る影もなくなり生際も後退し、すっかりおぢさんになってしまった

奇数年恒例の陸上世界選手権はアテネで行われ、日本選手の獲得メダルは2個で両方とも女子だった。(マラソンの鈴木博美が金、10000mの千葉真子が銅)

サッカー界では、5月28日に行われたUEFA チャンピオンズリーグ決勝で Borussia Dortmund (ボルシア・ドルトムント)が Juventus (ユヴェントス)を下して初のヨーロッパ制覇を成し遂げた。

モータースポーツを振り返ると、1月のダカールラリーではシノケンこと篠塚建次郎が日本人として初の総合優勝を飾った
F-1 では Jacques Villeneuve (ジャック・ヴィルヌーヴ)と Michael Schumacher (ミヒャエル・シューマッヒャ)が王座を争い、この年は Villeneuve が僅差で勝利。父である Gille Villeneuve (ジル・ヴィルヌーヴ)が成し得なかったタイトルを獲得。
又、彼自身はこれでアメリカ時代のCART シリーズ、インディ500に続いての「三冠王」に輝く事となった。
2輪車のロードレース世界選手権(現・MOTO GP)では、500ccクラスで Michael Doohan (マイケル・ドゥーハン)が4年連続チャンピオン(翌年、最終的に5連覇となる)、250ccクラスでも Massimiliano Biaggi (マッシミリアノ・ビアッジ)が4連覇を達成。


何とも懐かしい名前が連発した所で、今回のネタとなる車はコイツ!


653k301@nkgw01n
(那珂川の鉄橋を渡るK301 編成単独7連 2012年2月)

JR 東日本 E653系

485系 殺死の刺客として~
1997・98・2005年に72両が日立、近畿車輛、東急車輛にて製造され、「フレッシュひたち」として投入された。これで常磐線に残っていた 485系 を抹殺しやがった
1998年にグッドデザイン賞も獲得したが、鉄道友の会の賞レースでは同期生に 大正義なライバル (それは後々述べるが)がいたために如何にもならなかった。
それでもJR 東日本となってからの交直流車としては初の50 / 60HZ 両用対応となり、耐寒構造にプラスして耐雪構造も備えた。


外観については、白とグレーメタリックを基調にして、下部のカラーリングを編成毎の色違いにした。
K301・305=スカーレットブロッサムK302・308=ブルーオーシャンK303・306=イエロージョンキル(ジョンイルではない)、K304・307=グリーンレイク、付属4連の K351~354は全てオレンジパーシモン
4連が全てオレンジであるために、11連運用ではカラーリングが揃えられないというジレンマが出来てしまったのであった。


653k354@nkgw20
(那珂川の橋梁を渡り勝田に向うK354編成以下11連 2009年9月撮影)

小生がフレッシュひたちに乗車したのは2008年11月の1回しか無い。それまで茨城に足を運ぶ事など殆どなかった小生だが、当時水戸市内で繁栄していた有名な酒販店を訪問する事にしたのだった。
水戸に行く、しかも買物前提なら車で行けば良い筈なのだが、当時はガソリンが異常に高騰していた状況で、平日という事もあり常磐線の特急を利用してみる事にした。
上野に到着した時刻の関係で利用したのがフレッシュひたちだったのだが、乗ってみるとガッカリ。これは E257 系にもいえる事だが、内装が一寸チープでシートの印象も良くなかった。これでは 485系 も浮ばれないと思われた。
この設計コンセプトは「これからのスタンダード」「洗練されたシンプルさ」なのだが、それも度を過ぎてチープになってしまったという事だろうか?
おかげで帰りに乗車した 651系 が余計に良く思えたものだった。



653k304@uchr01n
K304 編成の7連 2010年12月・内原~赤塚間)

常磐線の特急運行形態再編と新型車導入計画が発表されたのはこの時期。そこから常磐線がやや慌しくなってきたのであった。だがその話は3ヵ月後に暗転してしまう…


653k306@uchr01
K306 編成単独7連 2013年2月・友部~内原間)

2010年末以降は E657系 の投入と 651系 の撤退が迫っていたこともあり、常磐線方面に繰り出す機会は増えた。ただし、ターゲットはあくまでも 651系 及び安中貨物であり、このE653 系は序でのものでしかなかった。



653k301@usk02
K301 編成以下11連で 2011年・佐貫~牛久間)


653k3002@usk01n
K302編成以下11連 2013年3月・佐貫~牛久間)

常磐線でも有名な場所からの絵を2点。国道6号の牛久沼東交差点で国道とクロスする県道からの撮影。
ここは俯瞰で撮れる良い撮影ポイントの筈なのだが、架線柱が千鳥に配置されてしまったために、下り線側の架線柱が上手く処理出来なくなっているのは困る。



常磐線の特急は E657系 投入に伴い、いわきを境に南北で再編される筈だった。2010年末当初のプランでも基本編成は新潟に転属というのは変わらなかっただろうが、付属編成はいわき~仙台の特急運用に就くと予想された。
しかし、東日本大震災と原発事故でその計画は白紙化され、 651系 E653系も常磐線で活躍する時間が伸びる事となった。常磐線は未曾有の災害に翻弄されたが(今もまだされているというのが正しいか)、2013年3月のダイヤ改正でに両系列とも定期運用離脱となった。


485系 殺死再び~
そして2013年から2年をかけて基本編成は いなほ用の1000番台U 編成 となり、付属編成は しらゆき用のH 編成 となって新潟に渡った。これで同所に残った 国民的特急車485系 は抹殺された
つまり、この E653系 は勝田と新潟で 485系 殲滅を2度成し遂げた事になり、これは皮肉にもその開発コンセプト、東日本の定番特急という役割を見事に成し遂げやがったともいえるのか?
ひたち時代にモノクラスでチープだった内装もその反省からか?改善された様で、グリーン車も設けられた事を考えれば、この転用に関してそれなりに力を入れていた事も窺い知れる。


~そして何と単色化
そんなこんなで、 いなほカラー もすっかり定着した感のあった E653系U 編成 だったが、そこに何と新たな笑撃が走った
それがまさかまさかの単色化である この単色化で瑠璃色になるものとハマナス色になるものとに分かれるという。指定保全()を迎えた編成から順次単色化すると考えられる。
U-106編成が瑠璃色で出場し運用に就いているが、間もなくU-107編成がハマナス色で運用復帰する見込みである。
新潟転属からたった4年でのこのカラーチェンジ、一体如何いう風の吹き回しというのか?
これでは西の方のある電車と一緒である この先新潟で迷走する予感がしてきた。


小生としても来年は新潟に遠征すべきと思う様になってきた。第1には終焉間近で残り少ない 115系 の事がある、同時に E653系 が全編成単色化されないうちに撮っておくべきと考えるからである。
因みに、前述の「水戸で繁盛していた酒販店」だが、既に倒産して消滅した模様である。


次はどの車両が取り上げられるか…、次回 Part 7 をお楽しみに!



)JR 東日本が採用している独自の保全体系によるもので、指定保全は2.5~4.5年のサイクルとされる。この保全体系は209系以降の車両が対象



当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。 御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

ランキングのバナーはこちらにも


写真 ブログランキングへ

遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 5

1997年の日本の音楽界といえば、第1にヴィジュアル系グループ、その次に小室哲哉関係の一団、更にはトイズ・ファクトリーレーベルの躍進という所が目立ったか。
この年最大のヒット曲は安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE ?」、次点はKinKi Kids の「硝子の少年」、3位はLe Couple の「ひだまりの詩」、以下は「FACE」(globe)、「Steady」(SPEED)、「PRIDE」(今井美樹)、「YOU ARE THE ONE」(TK presents こねっと)、「Everything (It's You)」(Mr. Children)、「HOWEVER」(GLAY)、「White Love」(SPEED)という辺りが続いた。

アメリカのチャートを見ると、この年は何と言ってもSir Elton John CBE (註1)が同年8月30日にパリで起きたあの悲劇に便乗してリメイクした " Candle In The Wind 1997 " (註2)が圧勝!
その他の大ヒット曲では、No Doubt(ノー・ダウト)の " Don't Speak " 、JEWEL(ジュウェル)の " You Were Meant For Me " 、Savage Garden (サヴェイジ・ガーデン)の " I Want You " 、Sheryl Crow(シェリル・クロウ)の " Everyday Is a Winding Road " 、Toni Braxton (トニ・ブラクストン)の " Un-break My Heart " 、LeAnn Rimes (リアン・ライムズ)の " How Do I Live " 、Puff Daddy (パフ・ダディ)の " I'll Be Missing You " 、Will Smith (ウィル・スミス)の" Men In Black " といった所が挙げられるか。

斯く斯く然々いんがすんがすんと、ここで取り上げる車はコレ!



sy5632@kosn01
直特 として甲子園駅に進入する第1編成 2008年11月)

山陽5030系

この 5030 という中途半端な名が示す通り、ぶっちゃけ 5000系 の続編みたいなもの。編成として存在しているのは6連が2本のみ。他には 5000系 に挿入された追加中間車がある。総計でも20両しか存在しない。
山陽初のVFD 採用車(IGBT 素子方式)として1998年の直通特急運転開始による所要編成数増加に備えて川重にて製造された。(5000系は界磁添加励磁制御)
無塗装アルミ車体とはいえ、粉を吹いた様にも見えるテカラない風合いはさすが山陽という所である。


sy5633@iho01
直特 として阪神梅田に向う第2編成 2013年7月・伊保駅付近にて

この 5000 / 5030系 、正直言えば華は無い。でもコイツの武器は直特運用時に力を発揮するクロスシートである。(梅田方先頭車はロングシート、その他の5両で扉間)
阪神8000系では一部編成の中間2両のみがクロスシートなのと比べると、直特乗るなら山陽車のスジを狙う人間も結構いるというのも頷ける。
(阪神の場合、短距離短時間の乗車が多いという事情の違いがあるのは明らかだが)


sy5631@damt01
(夕陽を受けて姫路を目指す第1編成、無論 直特 として 2017年8月・大物駅)


sy5631@kasmg01
(阪神梅田行き 直特 の第1編成 霞ヶ丘駅付近にて・2017年8月)

大物で撮った2日後に霞ヶ丘で同じ編成を撮ったら、この様に タイガーズ の副標と 万灯祭のヘッドマーク が付いていた。こちらの列車は 直通特急 の表示なので停車駅が少し多いタイプとなる( 直通特急 の表示の法が停車駅が少ない

次はどの車が槍玉に上がるのかは…、次回 Part 6 にて!




註1)CBE=Comander of British Empire の略となり、勲位としては上から3番目となる。
註2)原曲は1973年に作られ、あの Marilyn Monroe (マリリン・モンロー)に捧げた曲だった。収録アルバムは " Goodbye Yellow Brick Road "




当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。 御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

ランキングのバナーはこちらにも



写真 ブログランキングへ

遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 4

小生も今週に入って恐ろしい程の忙しさに見舞われた為、このサイトの更新も捗らず結構な日数放置せざるを得なかった。

さて又々1997年の日本を振り返ってみる。
オレンジ共済事件なんて憶えておられるか?友部達夫参議院議員(当時)が自らの政治団体を通して運営していたオレンジ共済組合の組合員から合計145,000,000円を詐取した疑いで逮捕されたという事件だった。


3月には野村證券の総会屋親族企業への利益提供が発覚し、社長が辞任しその2ヵ月後に逮捕された。
4月には日産生命保険相互会社()が大蔵省から業務停止命令を受けて経営破綻、国内で生保業界初の破綻事例となった。
「たくぎん」の愛称で親しまれていた北海道拓殖銀行が北洋銀行に営業権を譲渡して経営破綻、大手(都市)銀行と呼ばれた中では初の破綻事例になった。
破綻繋がりで言えば、スーパーのヤオハングループの中核だったヤオハンジャパンが倒産したのもこの年である。



kh9001@owd01
(まだ8連だった頃の9001F 2013年11月・大和田にて)

京阪電鉄9000系

いつの間にか日影の存在になった車、それこそ 8000系 横綱なら9000系大関あたりの存在だった筈なのだが…
この車のデビューした1997年というとVFD のシステムもGTO 使用からIGBT 使用への移行期だったが、基本は7200系なので制御素子はGTO を採用。
何と言っても「特急兼用車」としてセミクロスシートを装備、外見からして 旧塗装 水色の帯を巻いて他の一般車とは一寸違うという主張もされていた。
朝ラッシュ時は特急を中心に、その他の時間帯も 8000系 の補完勢力として遜色特急・急行を主体にセミクロスシートを生かして機能している筈だったが、利用者からの評判は余り芳しくなかったという。
セミクロスシートが中途半端で裏目に出たのだろうか?


kh9002@nss01
(急行樟葉行きの9002F 2014年11月・西三荘にて)

セミクロス時代の 9000系 に乗車したのは15年程前の事だったと思われるが、当然 8000系 には敵わないものの、なかなか良い車の様に感じられた。その時 9000系 に乗って京都~大阪間を移動出来たのは今でも楽しい思い出になっている。

JR 新快速は完全転換クロスだが、後に登場する阪急9300系は車端部はロングシートを採用。
そして8000系もリニューアル時に車端部がロングシートになっている事を思えば、混雑対策も考えてのセミクロスが失敗だったとは一概には言えないと思われる。
ただ 8000系 との格差が故に「ハズレ特急」という烙印を押されて、格下げした運用では乗り降りが不便と言われて「帯に短し襷に長し」という存在にされてしまったのは悲運としか言い様がない。


そして御存知の通り、2008年の中之島線開業に合せて現・ 3000系 が登場すると「大関」の座から陥落する破目になった。

kh9005@nss01
(特急運用に就く9005F 2014年11月・西三荘にて)

「大関」の座から陥落しても8連での優等運用に就く事が多かったのだが、運行形態及び車両運用の見直しで8連運用自体が減少する
そしてこれが9000系更なる苦難を齎した。




7200系・9000系共々次々と7連化されて、9000系も第5編成以外は7連となった。抜き取られた中間車は10000系に使い回された。9000系も今は準急や普通主体の生活を送っている。ただ、ラッシュ時は快速急行等にも使われる。
小生も去る4月に出町柳から天満橋まで9000系快速急行に乗車している。


kh9004@tmbs02
(萱島行き普通の9004F 2017年4月・天満橋駅付近)


kh9004@nss01
(枚方市行きの普通運用に就く9004F 2017年11月・西三荘にて)

斯くして、9000系には何処かトラジック( tragic )なイメージが付いて回る様に思われるが、首都圏の詰込みばかり考えたプレハブ安物電車から比べれば、その存在感・グレード感たるや雲泥の差があるのは明白である。7200系と区別の付かない姿になってしまったものの、曲がりなりにも京阪のローカル輸送を支えている。

最後に…9000系から学んだ結論はこれである
将軍様こと 8000系 大正義過ぎで、その補完勢力は辛過ぎる!



)1909年に大平生命保険として創立、昭和になって日産(鮎川)財閥の傘下になる。戦後に相互会社となり日新生命保険→日産生命保険と名を変える。破綻時の既契約等はあおば生命保険(株)に引き継がれ、後にプルデンシャル生命保険(株)に吸収合併される。



当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。 御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

ランキングのバナーはこちらにも


写真 ブログランキングへ

遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 3

1997年、国内スポーツの世界を振り返ってみると、J リーグは元旦の天皇杯こそヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969、これが川崎時代の最後のタイトル)が制したが、時代は既に鹿島磐田の2枚看板時代に突入。
そんな中、11月16日には所謂「ジョホールバルの歓喜」により日本代表がワールドカップ初出場を決めた。


国内のゴルフでは男子の賞金王は尾崎将司、女子は福島晃子(どっちも懐かしい名前である)

プロレス界では何と言っても蝶野正洋氏率いる nWo JAPAN が一大ブームとなり、( nWo =New World Order、訳すと新世界秩序)プロレス大賞MVP も当然の様に受賞。ただし、G1 Climax は佐々木健介氏が優勝。
蝶野氏・佐々木氏のみならず、武藤敬司、橋本真也、三沢光晴、川田利明、田上明、馳浩、小橋健太、鈴木みのる、船木誠勝、高田延彦(敬称略)という1960年代生れの錚々たる御仁達が全盛期だった。
プラム麻里子 嬢が試合中の事故で死亡した(JWP)のもこの年だった。

角界に眼を向けると、この時は旧・双子山部屋の全盛期。若乃花(花田虎上)と貴乃花で4回の優勝、貴ノ浪も九州場所を制した。(残りの1場所は曙が優勝)
ただ、貴乃花自身は故障がちになってこの年から下降線に入ってしまう。

てなわけで、このPart 3 に於けるターゲットはこれ!



kh805@khysn01
(京阪山科を発車した第3編成 2010年11月=この記事の画像は全て同日撮影)

京阪電鉄800系

1997年10月の京都市営地下鉄東西線開業とそれに伴う京阪京津線からの乗り入れの為に4連8本の合計32両が作られた。車幅は何と2380mmと狭小で1両の長さも16.5mと南海のズームカーより短い。それでも従前の80形等に比べれば長くはなっている。
ただ、その最大の特徴は何と言っても高価である事
「劇場路線」とすら呼ばれる京津線、併用軌道・山岳路線・地下鉄と3つの大きく特性の異なる路線が「 3 in one 」になっている所を直通するという前代未聞の仕事を課せられた車両がこの800系(Ⅱ)なのである。



kh811@khysn01
(京阪山科発車直後の第6編成)

稼ぎの悪い金食い虫?
コイツの凄さは一重に高コストという所。急勾配急カーブ連続区間に対応すべく全電動車方式を採用。
地下鉄乗り入れに対応してATC・ATO 搭載、勿論京阪式ATS も装備。ブレーキシューは一般的だった樹脂製ではなく鋳鉄を使用
パンタグラフもミニ地下鉄規格の東西線と浜大津付近の併用軌道区間では高さが大きく異なるが、その全てに対応すべく稼動域が非常に広いPT-7201 (東洋電機製)を搭載している。


長さ16.5m、幅2.38mという小振りな車体ながら1両当たりのコストは2億円!
これがもし21m級で幅2.8mの車体なら2.99億円、フル規格の新幹線車両と同サイズだったら単純計算で4.3億円に相当してしまう。体積当りのコストで言うと近鉄50000系しまかぜ並みで、N700系より高いという事になる。


kh813@khysn01
(京阪山科駅に到着する第7編成 太秦天神川行き)

この800系の凄さはこれだけに留まらない。
併用軌道内での自動車相手の事故を想定して、その場合の修繕を容易にするという事で一部の部品は自動車用の物を使用するという「おったまげぇ~」な所もある。気動車の場合バス用のクーラーを搭載するケースは多いが、都市部を走る鉄道車両でこんなケースは他にあるだろうか?


ただでさえも経営状態が余り芳しくないとされる京阪、その中で元々採算の良くないローカル路線と不便で採算の余り見込めない地下鉄を乗り入れさせて繋いだ事自体、現時点で考えると失敗にしか見えない。現に京津線も地下鉄東西線も状況は悪い。


kh814@khysn01
(京阪山科にアプローチする浜大津行きの第7編成)

これを撮影したのは7年前の11月某日だったが、天気が悪いのはお判り頂けるだろう。仕事で関西に行っていた序でだったのだが、天気が良かったら名神クロスあたりに繰り出していたであろうから、京津線なんて撮りに行かなかっただろう。
シャッタースピードを抑えられる状況でとなれば、鈍足の京津線でも駅発着シーンかこんなカーブでという事になる。
住宅地や山の間を縫うように走っている京津線なので、適した場所がなかなか見付からないのも事実である。有名撮影地である大谷駅東側のカーブでも山の影に注意しなければならないから厄介である。


次回はどの車が槍玉に上がるのか…、そこは次回 Part 4 でのお楽しみ!




当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。 御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

ランキングのバナーはこちらにも


写真 ブログランキングへ

遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 2

1997年といえば、この年に産声を挙げたものも色々ある。
大阪は梅田にあるハービス大阪=HERBIS OSAKA(ホテルの The Ritz Carlton Osaka 等で有名)、福岡の天神には駅ビルのソラリアが誕生し福岡三越が開業。
大阪ドーム(現・京セラD 大阪)、ナゴドことナゴヤドームが誕生し、日本のプロ野球は本格的なドーム時代に入る。


岡山・磐越・北陸の各高速道路が次々と全線開通になった上に、ボッタクリ道路として名を馳せた東京湾アクアラインが開通したのもこの年。
今では御馴染みになったメモリースティックが誕生し、ソニーから7月に発売された


テレビでは、「おはスタ」、「踊る!さんま御殿!!」、「奇跡体験!アンビリーバボー」という今でも続く長寿番組が始まった。更には「ビーチボーイズ」、「ラブジェネレーション」、「踊る大走査線」、「失楽園」、「ふぞろいの林檎たちⅣ」等のドラマがヒットした。

e2n6@taks01
(今は亡きN6編成 2008年7月・高崎駅にて)

JR 東日本 E2 系新幹線電車

彼方此方を少しずつパクった様なこのスタイル。700系より先にデビューしているのに700系のパクリにまで見えてしまう。
小生は元々東北・北陸・上越系の沿線に行く機会が殆ど無く、乗車した回数は僅か。乗車した印象としては、この年代のJR 東日本らしく内装がクソ! しかも狭いという2冠王。
当然、ブルーリボン・ローレル賞レースでも惨敗。御存知の通り、初代「はやて」なのだが新幹線車両の中で一番影が薄いのはこの車かも知れない。


1998年2月の長野冬季五輪に先立ってその前年に長野新幹線(現・ 北陸新幹線 )が開業。そこにE2 系(N 編成)を投入するに当っては大きなミッションが課せられていた。
その一つは碓氷峠周辺の約30kmという長い急勾配。新幹線の様な高速鉄道でそもそもそんな急勾配が連続するのは致命的とすら言えるものだが、そこだけワープする訳にも行かない。そこで回生抑速ブレーキを搭載した(碓氷峠ブレーキと呼ぶ事もあるらしい)

50HZ・60HZの両方の周波数で走らなければならなかったというのも新幹線では初。1964年開通の東海道では全区間60HZ に統一したが、長野(北陸)では軽井沢~佐久平間に周波数の境界を設けざるを得なかった。
東海道開通から4年を経た1968年に交流50・60HZ に対応する 485系 583系 が登場したので、それから30年近く経った90年代後半ならここの部分は然程大きな難題にはならなかったかも知れない。

更に加えて言えば、JR 東日本の標準となる新幹線車両として、東北新幹線でも275km/hでの長時間連続走行にも耐えなければならなかった。そういった辺りの条件を満たすべく作られたのがこのE2 系という事になる。



e2j15@oym01
(東北新幹線用J15 編成=0番台 2008年7月大宮駅にて)

300系の様にエポックメイキングな存在とまでは言えない、それこそ 500系 の様に機械芸術と呼べるような飛び切りの存在感なんて一切期待出来ない。影が薄いと言いながらも、同世代にあたる700系(JR 東海 / 西日本)と共に一時代を築いた車両であるのは明白である。


e2j64@omy01
(J64 編成=1000番台 J15 と同日同所にて)

大宮での画像2点を比べると、J 編成でも0番台と1000番台でサイドが明らかに異なるのが判る。小型の窓を採用していたのは0番台のJ2~15編成で、1000番台(J51~)になると窓が大型化される。0番台は途中から10連化されたので、小窓と大窓が混在する編成がある。

1997年にデビューを飾った長野・北陸用のN 編成だが、今年3月で運用終了し全廃になった。東北を走っていたJ編成でも E5 系 増殖で上越に移される編成が増えているが、それも E7 系 再増備となれば駆逐されるであろう。現在も神戸で E5 系 が作られていて E2 系の肩身はドンドン狭くなっている。

次回はどの車が槍玉に上がるのか…、そこは Part 3 にて!




当サイトは画面右側の各種ランキングに参加しております。 御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

ランキングのバナーはこちらにも


写真 ブログランキングへ
livedoor プロフィール
ランキング参加 1
ランキング参加 2
ランキング参加 3
ランキング参加 4
最新コメント
記事検索
livedoor 天気
楽天市場
  • ライブドアブログ