Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

Japan 1st! God Bless Japan!
Make 大和民族 Great Again! Make 大和民族 Strong Again!
Make 大和民族 Wealthy Again! Make 大和民族 Safe Again!
言論表現の自由は神与のものとして何があっても護るべし!
Twitter=@sakyo_daimonji

旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい
記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
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茨木台ニュータウンと聞いて、それが茨木市どころか大阪府ですらないなんて普通は思わないだろう。北摂ローズタウン、北摂バードタウン、鎌倉台ニュータウンも然り、ここに挙げた4つのニュータウンは京都府亀岡市の東別院町又は西別院町という所に所在する。しかもそこは思いっきり山間部の斜面に張り付いた小集落にしか見えず、ガチで天空の城でも作ろうとしたんかいな?と思えるものである。
茨木市内からアクセスしようにもバスで1時間近く揺られてそこから徒歩20分だの30分だのは当たり前。そこは空き家・廃墟・未開発の空き地が目立ち、今や北摂のマチュピチュとして有名になってしまった。北摂ローズタウンでは水すら確保出来ない状況で入居を強いられた人達が開発業者相手に訴訟を起こしたケースもある。


そんな山間の僻地を無理矢理開発して売り付ける方も酷いが、買う方も大概にせぇやと言いたい所である。そういう場所の公共インフラは開発業者の負担で作らなければならず、その開発業者が潰れてしまえば住民達が自力で運営管理していかなければならない。茨木台の場合、水道使用の為の初期費用として入居時に新築なら50万円以上、中古でも30万円程度の初期費用が追加で必要になる。
その辺からすれば豊能町にある希望ヶ丘(絶望ヶ丘)は幾分マシだが、街の中に店が殆ど無く病院その他の生活関連施設も遠い。



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(茨木といえば普通はこんなイメージ)

これだけ聞いてもバブルの時代に不動産業者や土建屋達が無責任に開発販売した事は容易に想像が付く。日本の都市計画制度では市街化区域・市街化調整区域・非線引き区域で用途指定がある所とそれすらない白地地域という風に大別される。バブル時代は市街化区域の相場が高騰し過ぎている上に、茨木市の様に市街化調整区域が広がっている場所では白地地域の山間部の急斜面に中小の開発業者が手を出せる場所は無かったと思われる。
北摂地域の限界ニュータウン群はかなり極端な事例かも知れないが、山間部・中山間部にまで無理矢理開発の手を伸ばした結果が結局このザマという悲惨なケースはまだまだこの国内に沢山あるのだろうし、まだまだ増えて行くのは目に見えている。
山間部のニュータウンが悉く廃墟の様になって「〇〇のマチュピチュ」が彼方此方で当たり前に見られる日も近いのか。




ここからはざつだん形式にて…

空中都市とも称されるマチュピチュの標高、実は2400m程度でインカ帝国の首都だったクスコより1000m低い。しかも都市なんかではなくクスコにいたインカの王侯貴族の別荘地に過ぎなかったらしい。クスコは今でもペルーの主要都市で人口も40万人+α、富山・高松・町田・豊田・柏あたりと同レベル。

「北摂や、土建屋どもの夢の跡」「茨木台、頭が岡C 夢の跡」(夏草ボーボー

ニュータウン、土建政治の成れの果て

[ 悲報 ] 市街化調整区域、結局何も調整出来ず

市街化調整区域ってそもそも何なん?

市街が開発されると公共インフラ整備のコストが行政側にも掛かってしまう。その過剰化を避ける為に無秩序な開発にストップを掛けるべく設定されている。

関西は平野が狭いからねぇ、調整区域の先はすぐ山間部に入っちゃう。神戸なんか海から3キロ北に上がったらもう六甲の山やもんね。

茨木台にはこんな状況でも10代の子がまだ3人いるらしい。

「茨木」台やから大阪まで通勤圏内といわれて、自分の身の丈考えて飛び付いた。実際の土地が遠すぎて実地見学なんてやらなかった可能性はある。「将来は鉄道が通ってこの辺に駅が出来ます」「この近くに高速道路が計画されていて、インターも出来ます」なんて言う甘言に騙されるケースが続発していたのは全国各地であった。

地方でも要らん郊外開発なんかやるからこうなる。ず~~っとこんなんが懲りもせんと続いてるやん!
青森みたいにコンパクトシティなんて旗振って旧市街に人を戻そうとしても、今更出来ひんのなんて判り切った事やん! 郊外でしか暮らせない体質になり切った住民が旧市街に来る訳がない!
郊外は家広い、車あるから何でも出来る、歩ける街なんて要らん!、そういう脳ミソになりきってるんやで田舎の人間は。


若い内はそれでもエエやろけど、年いって車やれへん様になったらどないすんねん?

80年代になっても大阪は住宅事情が悪くて、戦後直ぐに建った様なおんぼろい文化住宅で溢れ返っていたらしいから、郊外のニュータウンに飛び付くしか無かったというのは解る。そこにバブルの地価高騰となれば山間部の僻地でも飛び付く奴が一定数いたのは判らんでもない。土地は永遠に上がり続けるいう強迫観念が常識になっていた時代やからねぇ~。

[ 悲報 ] バブルの時の日本人、頭が岡C くなってしまう。

バラ色の未来と人を騙した北摂ローズタウン真の姿は北摂でもない亀岡の廃墟地獄

[ 驚愕 ] 東京23区内にも限界集落が発見される
北区の赤羽台・桐ヶ丘の団地は既に50年オーヴァー、若者は殆どいない。団地内の店舗はほぼ全てが消えている。
北区でも高台にありこのまま行けば「都心から最も近いマチュピチュ」になるのは確実。


マチュピチュなんて生易しいモン違うやろ! スラム街みたいになって移民どもが流れ込んで昔のハーレム(NY)的な場所になり果てる、拳銃、シャブ、ギャング、何でもアリね!

今流行りのタワマンだって30年後は悲惨な状況かも知れんでぇ~!

ニュータウンだってタワーマンションだって理屈は一緒。四六時中住民同士でしかも親子揃ってマウントの取り合いで疲れ果て、そして30年も経てば一気に姥捨て山になる。タワマンなんか高層階と低層階で階級対立が出来たりするから余計に始末が悪い。最近そういうのは外国人が投資用に買うケースが多いから、そこに移民が入り込むと人種や宗教の対立が起きる火薬庫になりかねない。高層階に住んでてオラついてても、災害が起きたら逃げんの大変過ぎてガチでアカンやろ!

高齢者用の枠を設けたりして、世代分散を図ろうとしている所も出て来ているけど、ホンマに上手く行くんやろか?

一気に開発して一気に売り抜ける、だから人が一気に押し寄せて人口が増えるが、高齢化も一気に進んで姥捨て山からスラム化する。これがニュータウンの宿命。

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(泉北NT と大阪を結ぶ泉北高速鉄道3000系 2015年5月 我孫子前~浅香山間)

泉北ニュータウンだって、多摩ニュータウンだって60年代70年代に出来たニュータウンは相当ヤバイ状況

渋谷の再開発絡みでノリに乗って調子こいてる田園都市線沿線の鷺沼とかたまプラーザの近辺もこれから相当ヤバイかもね(白目)

戦後になって、我らの宗主国になられたアメリカ様がアメリカ式郊外型消費生活を日本に売り付けようと画策した。
そしてこの国は幹線道路を引いて、郊外での宅地開発をさせて土建屋と不動産屋を一生懸命儲けさせた。「郊外は自然が豊かで子供がノビノビと育つ」なんていう幻想を撒き散らして郊外の住宅をドンドン売っていった。これで政治家も献金と票を手に入れた。


地方都市の郊外=道路沿いにイオン・パチンコ・ラブホテルに何故か図書館と病院がセットになっていてただそれ以上の物はないイメージ。大地主は定期借地権を使ってその地代だけで楽して十分食っていける。大地主は選挙の時なら集票集金もしてくれるから、そこにもWin-Win な関係が出来ちゃう。

高度成長期からバブルの間は経済も上がって行って土地神話が絶対だったかわ表面的には破綻が少なかった。尤も21世紀に入ったら高齢化人口減少になるのは前から分かっていたのに。

バブルがはじけたらはじけたで土建屋だの何だのを食わせなきゃいけないから景気対策とかいう名目が付いて、無駄な郊外開発が止まる事は無かった。

[ 国土交通省の論理 ] 道路が出来ればそこに色々な建物が建って新しい町が出来て発展する

古い町はどないすんねん? 爆撃でもしてキレイサッパリ無くすのか?

下級市民の母親が夜中に車に子供を乗せてカラオケボックスに入り浸るなんていう光景が郊外じゃ当たり前。郊外特に地方都市なんて言ったら親の車が無けりゃ何処にも行けない、それでも「子供がノビノビ育つ」なんてどの口が言わせるんですかねぇ~?


戦後型土建政治土建行政をブッ壊すんだ!、ブッ壊すんだ!、ブッ壊すんだ!、ブッ壊すんだ!、ブッ壊すんダァ~ッ!

35年前を想い出せ! あの時国鉄はあんなにブッ壊されたんだから、犬HK だって土建政治だってブッ壊せるんダァ~!

そ だ ね ぇ ~ 



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プラスティックの海洋汚染がここに来て急に大騒ぎになりだした。リサイクルというシステムそのものに原因があって所詮無理だったと考えるべきである。
リサイクル原料という物は新品と比して質が劣る場合が多く、プラスティックの場合は特にそうであるとされる。プラスティックは特にリサイクルしたって需要が低い、価格は安く抑えられる、売っても儲からない。具体例を挙げればエコキャップなんて酷いものである。売価20円しか付かないものに60円のコストを掛けて、挙句の果てには「その利益でワクチンを…」とぬかしている。そんな話、色々な名目で税金がつぎ込まれなければ表面的にも成り立たない。


国策としてリサイクルを推進すると決めてしまったからには税金をドバドバつぎ込んでもやろうとしてしまうが、そうなると税金ゴロ大規模養成システムが出来てしまう。税金がジャブジャブつぎ込まれる様な所には利権の闇が広がっているのは犬でも猫でも判る事。

リサイクルという名目で集められたプラスティックが遅れた国に押し付けられる事になったのだが、本来これは違法である。押し付けるにも限界があるから、運搬する船から思いっきり不法投棄されまくるのである。リサイクル出来ない状態の物まで押し付ける。リサイクルという名目で集めたは良いが、売れない。売れないのに集めてしまうが、持って行き場はない。東南アジアではリサイクル業は給料が良いとされて、請け負う人達が増えているのも事実だろうが、後進国に送り込めてもリサイクルし切れず河川や海洋に不法投棄を公然と行うケースはどうしても増えてしまう。
先進国だって完全にリサイクル出来ているとは言えないのに、新興国がまともにリサイクルして資源として活用しきれる訳がない。リサイクルで色々な資材を作り出す技術自体はそれなりに確立出来ても、それは机上か実験場の話に留まる事が多い様で、現実の中で実際に合理的に機能しなければ唯のマスターベーションである。
大部分が可燃性有機物から出来ている物だから、可燃ごみとして火葬する方が合理的なのである。


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リサイクルいうやり方自体は欧州から始まったが、ヨーロッパでゴミは昔から「土葬」されていたのである。最後の審判に備えて土葬していたのではない。欧州はアジアに比べて寒冷で植生も豊かではないから火葬しようにも薪や炭が手に入り難いので土葬が広まったゴミは埋め立てるという考えが定着したと考えるべきである。
「最後の審判で裁きを受けるため全ての死者が蘇るので土葬にして人としての形を残す」というのも良くご存知の話だろうが、それも後付けの理屈でしかない。
(そういう気候故に欧州北部では泥炭=ピートなんていう物が平気で存在するのである。)
温暖なアジアでは埋め立てると腐敗が進み易く、土中での分解は早まるが不衛生で害虫や病原菌の温床になり易いので、火葬つまり焼却処分という習慣が生まれたと考えられる。


ヨーロッパでは近世以降、世界中から色々な物が入って来る様になった。そして戦後はさらに加速したのは言うまでもない。土葬しようにもし切れない事態になってリサイクルというやり方を編み出したというのが真相らしい。

リサイクル=絶対善という考え方に洗脳されている人間がこの国にも多すぎる。自治体によっては30品目に分別するなんていう事を住民に強いている所もあるが、随分基地外であきれた話である。
ある田舎の自治体では滅茶苦茶に分別させた上に指定の集積所に持って来させるという使役のオマケ付き。それを役場に捻じ込んでやらせてるNPO なんて、何も知らない住民どもには恰も救世主の如く拝ませておいて、その裏で当然の如く税金ゴロが親分としてのさばっているのが見え見えで一生吐ける。


レジ袋有料化を義務付ける法律が成立し来年度から施行される見込みになった。そこには勿論プラスティックのごみを無くすという美名が付けられている。
今年所謂G20 のホストカントリーになった事と、東京五輪を来年に控えている事と深く関連していて、環境問題にこれだけ厳しく取り組んでいると世界に大きくアピールするチャンスだと踏んだのは間違いない。レジ袋やプラスティックは地球の敵であるという論理を刷り込まれて大多数の大衆は疑う事も考える事もなく洗脳されて行くのである。


石油タップリ使いまくりのエコバッグを四六時中一生懸命持ち歩いて喜ぶアホバカも増えるのだろうが、そんな物いつも持ち歩けなんてなんて面倒くさいからネット通販でいいやぁ~という流れが増々加速する可能性は高い。そうなったら人手不足を呪文の様に繰り返してる運送屋はどうなるのか見ものである。そうなったらCO2 の問題はどうなるのか考えただけで笑い種である。
それ以上に危惧されるのが、街へ出て店に行って買い物をするという習慣そのものが消滅してしまう事である。大袈裟に言っているのではない。こうなれば町からまた人影が消える。町の中はインバウンドとそれ相手に商売する連中しか歩いていないという光景が当たり前になるなんて一度想像してみたらいい。もう一生反吐しか出ないレベルである


何でも欧米のやり方だけが正しいという脱亜入欧洗脳から脱しなければ日本にも日本人にも未来はない、これは少なくとも確かである。




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小生は現在、Marilyn Monroe(享年36)、John Lennon(享年40)、Elvis Presley(享年42)、John F. Kennedy(享年46)、ジャンボ鶴田(享年49)といった人達の死亡時の年齢は超えてしまっている。近い将来は石原裕次郎・美空ひばりの死亡時年齢も超えてしまう。
日本国有鉄道(Jun. 1st, 1949~Mar. 31st, 1987)=享年37歳9ヶ月。JR は現在32歳4ヶ月で国鉄解体時の年齢を超えてしまう時は遠くない。


国鉄発足~分割民営化~JR 以降の合わせて70年になるストーリーも漸くフィニッシュ。今回は総括みたいな話になる。
国鉄改革=分割民営化と思っている御仁が大半であろうが、実を言うとそれは違うと考えるべきである。国鉄改革は膨大な債務を抱えて、労使関係も悪化してその解決の糸口が見えないといった病を治して少しでも健全な方向に持って行く事が本来のイシューであった筈である。換言すれば財政、労使関係、サービス向上と利用率回復という3つのポイントをどうするかが国鉄改革だったのである。
ところが、鈴木善幸政権下で第二次臨時行政調査会(国鉄問題は第四部会)と自民党国鉄再建小委員会が発足すると、「国鉄国賊論」「国鉄解体すべし」という論調が中心的な委員達から先手を打っての情報操作の様に続々と出された。その後分割解体を推し進めた中曽根政権と土光敏夫をメディアは非常に持ち上げて、分割民営化について疑念を持つ余地はない様な報道すらしていた様な記憶が小生にもある。
そういう中で論理がすり替えられて、貨物も含めて7社への分割という所まで「論理が飛躍」しまったとしか考えようがない。


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在りし日の115系高崎車T1091編成 2008年7月・高崎駅にて

国鉄崩壊から丁度30年となる2017年2月の国会答弁だったが、そこで麻生太郎も分割民営化が事実上失敗だったと認めたとしか思えない様な答弁をしている。その中にあったのは「黒字になるのは本州3社で他は成り立たない、鉄道関係者なら例外なく思っていた、分割は反対でみんな突っ込みでやるべきだ」というのである。そして「分割民営化は国鉄という商売の分っていない方で、学校秀才が考えるとこういう事になるという典型」というのもあった。
(因みに麻生氏の地盤は福岡8区=直方・飯塚を中心とした地域で、国鉄末期の路線廃止が多かった。)



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2015年12月に伊勢からミャンマーに渡ったキハ48-6502 2013年4月・伊勢市駅

国鉄を6つのエリアに切り刻んだのか、特に東海というものが作られた事には未だに合理性が見いだせない。中日本ではなく東海というのが未だに解せない。その割り振りは国内の移動需要を分析した結果だと言うかも知れないが、東海道・山陽新幹線は一体なので西に渡す、それ以外は東海北陸以西と以東で東西という形で切ってしまえば良かった筈である。「東海道新幹線を西に渡したくなかった勢力が存在していて、東海を無理やり独立させたのではないか?」又は「松田・葛西・井手のトリオにポストを割り振る為だったのでは?」等と推測する人達もいる、経営資源のほぼ全てを新幹線一路線に依存する東海旅客鉄道なんて抑々非常に歪んだ存在であるとも言えるのではないか。

更には地域会社毎の収益格差が大きくなるのは最初から分かっていて、それは防ぎようがない事も自明の理だった。人口も産業も首都圏・中京・京阪神の寡占状態であるからであり、これと同様の「寡占状態」とそこから生ずる大都市圏と地方の格差は他国でもよくあるケースでもある。
そういう中でもJR北海道の惨状は、発足当初から見え見えだったとはいえ目を覆いたくなる様なものである。
歴代の社長7名から既に2名の自殺者(坂本眞一・中島尚俊)が出ている。企業としての事業の存続が出来なくなるのは必至で、鉄道という公共サービスどころではない。自力での鉄道維持が困難な線区が営業キロの約50%。こんな状況では展望なんて喪失していて経営陣も匙を投げざるを得ず、限界集落ならぬ限界企業と呼べる所すら飛び越してしまっている。


民営化自体は間違いではなかった、前にも述べた様にもうそれしかなかった。間違ったのは分割の方である。国労を分断解体し総評の解体まで狙ったというその事が国鉄改革という母屋を乗っ取ったとしか言い様がない。こうして分割という本来ではない着地点に行ってしまったのである。
全土を管轄する日本旅客貨物鉄道として民営化をスタートして、その後東西と貨物という形にでも分割すれば(つまりNTT と似た様な方法)もっとマシな展開で現在に至ったかも知れない。こうしておけば、後に「JR ホールディングス」みたいなものを作って、その下に各社をぶら下げるという形だって採れたかも知れない。


国鉄解体で7000人近い人間が離職に追い込まれた。5000人弱が清算事業団に送り込まれて、その中で約1000人が国労闘争団になり結局全員事実上の犬死にみたいな形に終わった。これについて「国鉄からJR に変わって成功したんだから、それに比べたらそんなの大した問題じゃない」なんていうヤツがいたらそいつは頭が岡C

余談だが、ウィスキーファンにとって神戸の聖地であるBar Main Malt (バー・メイン・モルト)のオーナーである後藤氏、実は国鉄機関士という前歴を持つ。年齢からして恐らく国鉄最後の採用組だった可能性が高い。同氏は分割民営化時に離職してその後にあの名店を開く事になったのである。

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113系京都車L17編成(現在は抹茶色) 2010年11月・京都駅

2016年頃からJR 各社の株式持ち合い関係が始められたものの、各社の連携があまり上手く行っていない状況には変わりがない。乗車券特急券のインターネット販売でも各社の連携が出来ていない状況だったり、会社を跨ると不便という状況はずっと続いている。各社が抱える事情や方針が大きく異なってしまっているから連携が上手く行かず不便でややこしい部分が出来てしまうのは仕方がないと納得するのは一部の鉄道ファンだけかも知れない。東海道本線のダイヤが狂った時に、JR 東海がそこに入ろうとする貨物列車を悉くブロックして運休にさせたところ、TOYOTA が部品の供給が滞るとして抗議したという一件もあった。

1987年の民営化に際して、その前の数年間で80路線程度のローカル線を廃止した事もあって地方を中心に民営化への不安も根強かったのも事実であった。(当時10代だった小生もそんな話を耳目にした記憶がある)
そこで当時の政府が国民に新聞広告を通じて以下の様な約束をしたのであった。
~民営分割 ご期待ください~
「全国画一からローカル優先のサービスに徹します。」「明るく、親切な窓口に変身します。」「楽しい旅行を次々と企画します。」
~民営分割 ご安心ください~
「会社間をまたがっても乗り換えもなく不便になりません。」「運賃も高くなりません。」「ブルートレインなどの長距離列車もなくなりません。」「ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません。」
この文言を見て如何思われるだろうか?、この約束を果たそうとしている様には思えないどころかドンドン逆の方向に行っている様にしか見えない。それもその筈、元々出来ない約束若しくは守る気なんてさらさらないものだったのだから。1987年当時、一寸はそのつもりだったかも知れないが、この様に言われても反論出来やしないのは明らか。
E653系K70編成が国鉄特急色を身に纏った時は、JR 各社も国鉄70周年記念のイベントや記念グッズのリリース等を展開して行くのかと期待もされたが、現在その気配すらない。
国鉄を経験した世代は一部の上役達以外では超少数派になってしまっているという事情もあるだろうが、JR は法的には国鉄を継承する存在ではない=国鉄は祖先には当たらないというスタンスを持ち出してこの節目をスルーするのだろうか?
それこそ32年前の国民との約束を悉くスルーして反故にして来た様に。




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去る5日にJR東日本からのアナウンスで、今年度中に常磐線が全線で運行を再開する事と併せて上野~仙台間の特急ひたちが約9年ぶりに復活する事が確実となった。
2011年の東日本大震災によって、それから8年以上を経た今でも浪江~富岡間が不通となっている。原発事故による放射能拡散でこの地域は避難指示が出されているが、この沿線と各駅周辺は特定復興再生拠点区域に指定されて除染とインフラ整備が優先的に進められた。そのため、来年3月までには当該区間の駅周辺における避難指示は解除となる見込みになった。


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E657系は正面から見るとモスラの幼虫みたいだという声もある 2013年10月・水戸~勝田間

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651系K107編成他で11連のスーパーひたち 佐貫~牛久間

今から34年前、小生はまだティーンエイジャーだったが 1度だけ仙台から上野までひたち乗り通しを行った事がある。東北乗り鉄旅の締めがそれだった。正確なルートは覚えていないが、急行津軽や男鹿線に乗った記憶はある。勿論JR は発足しておらずJNR の時代、車両も言わずもがな485系だった。(ボンネットだったか電気釜だったかは覚えていない。)その時は急行ときわとの統合直後で23.5往復が全て11連で運転されていたが、その翌年から26.5往復・9両に変わってしまった。
アラフィフになった今から思えば、485系に4時間も乗車し続けられたなんて、若さの特権という物だったのだろう。確かにこの時代の電車特急は485・489系183・189系が殆どで首都圏の一部で185系が走っていたという程度で画一的だったが、それでも面白い列車は今より全然多かった。鉄道で旅をするという事の楽しさは今とは比較にならないものだったのは明らかである。


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嘗ては特急ひたち=485系だった(画像は在りし日の仙台車A1A2編成)

2010年当初の計画では常磐線特急の運行形態をいわき以南と以北で分割、いわき~仙台間でひたちとは別の特急を運行する予定だった。
そこに来ての東日本大震災と原発事故で常磐線は不通区間を抱えて、それが何時解消するか判らない状況になった。そこで常磐線特急再編計画は頓挫、651系スーパー(フレッシュ)ひたちは結果的に1年延命された。その後2013年から常磐線特急はE657 系に統一され、651系E653系は改造の上で転用された。(651系K103編成を除く)
651系は1年のブランクを経て1000番台となり戦場を高崎・上越線に移した。E653系4連はいわき以北で特急として走り続ける予定だったが、それも白紙になる。そして1100番台H201~204編成になり2015年からしらゆきとして日本海側で走っている。
同系列の7連はいなほ用の1000番台U101~108編成となり羽越本線を主戦場にしているが、あの派手なカラーリングになってから5年も経っていないのに一転、今度はU106・107編成が単色化憂き目にあっている。
そして去年末、U108編成は(E653系で唯一編成替えをされている)K70編成となり国鉄特急色風になって勝田に帰還した。編成名の「K70」は国鉄70周年に掛けたネーミングの様にも思われたが、どうやらそんな事は無かった模様


「もしあの時こうだったら~」というのはナンセンス極まりない事であるのは承知の上でいうが、大震災+原発事故が起きていなかったら、ひたちの仙台直通設定復活も無かったであろう。予定通りいわき以南と以北で運行系統分割になっていただろうから。
震災以来、常磐線完全復活に至るまで9年という事になるが、一時はもう未来永劫無理ではないかとすら思われた時期もあった事を思えば、よくぞここまで漕ぎ付けたとも思えるが、やはり長かったという思いの方が強いのではなかろうか。そういう経緯を踏まえると、来年春の仙台直通ひたち復活のニュースはここで朗報と言い切る事は必ずしも出来ないのではないか?
10両固定のE657系をいわき以北に入線させる事に疑問を呈する向きもあろうが、全線運行再開時には651系K103編成、及びE653系K70編成を記念列車としてでも上野~仙台間でフルに走らせてやってもらいたいと思う次第である。


kin15@edg01n
現在常磐線に残る数少ないカモレである「安中貨物」

これに合わせて貨物列車がどうなるのかも興味深い所である。震災以降東北本線経由に変わった列車があった筈で、元々東北本線のバイパス若しくは補完的役割も担っていた事を考えると全線復活による関東~東北間の貨物ダイヤ再編という事も考えられなくもない。




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先日、50年以上前に出回っていたと思われるシェリーが売られているのを首都圏某所で発見した。でもそれは何処で保管されていたかも判らないボトルである。そこでの売価は1200円程度だったが、普通の神経なら敬遠する筈である。仮にそれが良好な環境で保管されていたとしても。
この如何にも古めかしさ爆発オーラたっぷりというボトルを見逃して帰る訳にも行かなかった。この貫禄あるボトルなら被写体としては十分で、売価を考えれば飲めたら儲けものという位の考えで購入したのであった。


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この Dry Sack (ドライ・サック)なる銘柄だが、Williams and Humbert (ウィリアムズ・アンド・ハンバート)による複数のタイプの原酒をブレンドして作るタイプの物で、銘柄自体のデビューは1906年(日本では明治時代)とされる
ブレンドされているのは Amontillado、Oloroso、PX の3種で、決してマニアックな物でも高級品でもないスタンダードな普及品である。オランダやドイツではミディアムタイプシェリー(中口から少し甘口くらい)の草分けとされ、ヨーロッパの広い範囲で今でも販売されている。
ヘレス・サーキット(Circuito de Jerez)にこれの名が付いたヘアピンがあるのを思い出される方々もおられよう。


このタイプのシェリーは殆ど飲む事が無い小生ではあったが、購入から約半月後の今月上旬に明けて飲んでみたのであった。現在売られているボトルの場合、その栓はハードリカーと同じ様な物が使われている場合が多い。円盤状のプラスティックに短いコルク栓が付いているタイプ、若しくはスクリューキャップである。ところがこいつの場合、亜鉛と思われるキャップシールを剥がすと、普通にワイン用のコルク栓が打ってあった。
約半世紀を経ていると思われるボトルであるからそのコルクの状態が思いっきり不安である。でも、ここまで来て抜かない訳にも行かないと思った小生はソムリエナイフで抜く事を決意。
ドキドキの中でやってみたその結果…、何と思いの外スムーズに壊れる事無く抜けてしまい少々拍子抜け
コルク自体はかなり短めの物であったが、譬えスタンダードなボトルでもこの時代の物は良質な物が普通に使われていたとしか思えない。


斯くして第一の関門は突破したが、果たしてそんなボトルが飲めるのか?
当初からポジれる要素はあった。それはベースになっているのが酸化熟成を長期間施したアモンティヤードとオロロソであり、度数も19~20%であったという事である。これが若し度数が15%程度でフロール熟成のフィノだったらまずお陀仏していたと思われた。


結果はというと…、普通にちゃんと美味しく飲めた
色は酸化熟成系のシェリーらしく、結構深度のあるマホガニー。ボトルの内部や底には澱がタップリ固まってへばりつく様な状態ではあった。3回に分けて飲んだのだが、途中から澱が入ってしまい濁る様になったのでペーパーフィルターで濾しながらグラスに注ぐ様になった。
味自体は然程甘い様には思えず、それでもPX (ペトロヒメネス)がしっかり効いている印象だが、特に香りに於いてはPX の主張が強かった。よってPX がブレンドされている事で「相当助けられている」と言えよう。
Palomino (パロミノ)種から作られるアモンティヤード・オロロソの原酒だけだったらここまで美味しく飲めただろうかという疑問はあるが、同時にその裏でPX という葡萄の持つ能力の高さを証明する事にもなった。
1950・60・70年代辺りに作られた酒の生命力って、ハンパないヤツが多い! 頭では分かっていても改めて実際に体験するとそこはビックリするものである。
当たるも八卦当たらぬも八卦ではあってもオールドボトルは止められなくなる小生である。





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