Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

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さよならの後は… March of 2012 Part 2

初代のぞみとして御馴染みだった300系

民営化されたJR が航空機に対抗する新兵器として東京~新大阪を150分で結べる列車を開発する事になった。最高速も従来の220km/hから270km/hに引き上げる必要が生じたのである。開発の進められた時期は折しもバブル全盛で、開発にも金を賭け易かったという幸いな一面があったのは事実であろう。

軸重を11.3tに押さえる必要があり、100系に対し平均で25%の重量減が必要だった。新幹線として未知の領域に足を踏み入れる事でもあったので、デビュー後も初期トラブルは頻繁に起こった。居住性が問題視される事も多かった。クズ物入れがやたら小さくて直ぐ溢れてしまう事等も含めて問題は多かった。

300系には新技術がふんだんに盛り込まれ試作的要素も強い車で、それゆえの難しさもあった
だが、この国の鉄道輸送における大きなbreakthrough であったのは疑いようが無い。
試作車J0編成(後のJ1編成)が1991年2月に試験走行で325.7km/hを記録している。 300系の天下もそうは続かなかった。1992年のデビュー以降、1993年から急ピッチで0系置き換えも兼ねて増備されたが、1997年に 500系 が、1999年に700系がデビューするとあっという間に脇役に追いやられてしまった。

300j61@tmch01
この画像は2009年田町駅付近で撮影

2007年にN700系が登場すると、JR 東海のC 編成の廃車が進んで行った。JR 西日本所属のF 編成は製造された9本が残っていたが、2011年になって、それをを淘汰する為に、JR 東海が700系C 編成の初期車を譲渡するという事までおきた。
ファイルの整理をしていて気が付いたのであるが、実は300系の画像は殆ど撮っていないのである。
以前は 500系 という絶対のターゲットがあり、外道としてN700系700系も少しは撮っているが、300系は雑魚?として無視した事も多かった。
2010年3月以降は新幹線の撮影に殆ど行っていない。 後悔先に立たずとはこういう事かも知れない。


300j60@mgmz01

この画像は馬込坂で2011年7月に撮ったJ60編成。
馬込坂での撮影も最近は厳しくなった様である。近隣住民の中にクレームを申し立てる人間がいるという話もあり、長時間の撮影は止めた方が良いかも知れない。


2012年3月16日、100系共々ラストランになった。東海道ではJ57編成のぞみ329、山陽ではF7編成のぞみ609号として走った。両列車とも全席指定だったが、発売から1分程で完売したというのは記憶に新しい。609号は岡山で100系ラストランのひかり445号との並びを見せた。色々叩かれた300系であったが、終焉が迫ると300系目当てのファンが沿線には多く集まった。ラストランの時には沿線各駅には大変な数のファンが押し寄せたのはニュース映像でも見たであろう。

300系がこの様な形で終焉を迎えた理由として、短編成化が非常に難しい構造であった事があるであろう。0系、100系は2両単位、 500系 以降の車は4両単位である。これに対して、300系は3輌単位で、1+3×5=16という形だった。
加えて、 500系 700系E編成 も存在する中で、最高速が270km/hという「中途半端」な性能の300系を無理に転用する理由も見当たらなかった事も想像に難くない。



300系新幹線電車
1990年に試作車が登場、テスト期間を経て1992年のぞみの運行開始に合わせてJR東海のC編成が正式デビュー。デビュー直前の試乗会が新幹線とも係わりの深い小田急初代3000型(SSE)のさよなら運転と同日だった。1993年から大量増備が始まり、JR西日本もF編成を導入。1992~98年の間に1120両が造られる。 アルミ合金のシングルスキン構体を採用、新幹線としては初のVVVF車(GTOサイリスタ使用)&回生ブレーキ搭載車であった。
1993年度ローレル賞受賞だが、JR九州787系(特急つばめ)に敗れブルーリボン賞は取れなかった。


Part 3 以降もある!



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2012)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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2 Craigellachies of 1962

Craigellachie (クレイゲラヒ)の創始者はWhite Horse Ltd. を立ち上げ、"Restless Peter" の異名を取った彼のPeter Mackie(ピーター・マッキー)である。
U.D. 傘下の時代まではWhite Horse の看板が出ていたので有名であるが、Bacardi 傘下になってそれは取り外されている。蒸留所はSpey 川とその支流のFiddich 川の合流地点の近くにある。近所には有名なMacallan がある。

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Craigellachie 1962 25yo 46%  Moncreiffe single malt collection

ラベルの文言から見て、イタリアのボトラーだったと思われる。去年末、知人宅での忘年会の席で供された物であった。
これを飲んでしまうと、Craigellachie は美味い酒なのだという事を印象付けられる。
不思議と秀逸な白ワインの様でもあるのである。
色は明るいゴールド、ナッティーなニュアンスは結構強い、特にアーモンドと胡桃。洋梨・林檎系統の味が出て来る。ホワイトチョコや飴、水飴を想起させる香味が続いて、グラッシーなタッチも出て来る。
全体的な印象として高い透明感を以って、硬質感を出しながらも味は横方向に円を描く様に出て来る印象であった。輪郭もしっかりして崩れそうで崩れない。
味の押し出しと持続力はかなりのレベルで46度に加水されているとは思えない位である。



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Craigellachie 1962 26yo 46% CADENHEAD'S black dumpee bottle

泣く子も黙る?伝説のCadenhead の黒ダンピーの中の1本。今年5月に名古屋に遠征した日の夜に有名な某N で頂いた。マスターも超お勧めだった。
最初の入りはフルーティー。白桃・黄桃・パパイア等のニュアンス。そこから、白い花、特にカモミール、ジャスミンといった所が出て来て、更にナッツ類、殊に胡桃、カシューナッツ、アーモンド、ヘイゼルナッツのニュアンスが表に出る様になる。
又、味の底部には八つ橋や落雁の様な香りと柔らかな甘さが見える。 その後は少々梅酒の様なタッチを伴い伸びやかなアフターテイストを形成する。
勿論、コシも強く妙なブレもない。 両者とも、味の出方として横方向の広がる強い様にも思われたが、Cadenhead の場合は縦方向にも結構出る感じであった。
色々言っても、甲乙付け難い両者であり、秀逸でimpressive なCraigellachie であるのは明らかである。



Les Meilleurs Vins de France 流に点を付けるなら…、両者とも 19 / 20



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さよならの後は… March of 2012 Part 1

私たちの世代だと100系は馴染み深いものであっただろう。

開業から約20年0系ばかりであった東海道山陽新幹線に登場したこの車は、編成中央部の2両又は4両がダブルデッカーで、尖った鼻先が印象的であった。バブルと共に主役に躍り出た様なもので、それこそバブル時代の記憶と重なり合う車両ではなかろうか。

画像は3点とも2008年・09年に新大阪駅で撮影


100k54@sosk01


100系の時代は長く続かなかった。
1992年に300系がデビューし、高速化時代の幕が切って落とされると、90年代後半には主役の座を追われてしまった。
さらに 500系 700系が登場すると完全に隅に追いやられ、2000年頃にはこだまとして走る姿すらなかなか見られなくなってしまった。

2002年の日韓W 杯の時にG編成が団臨として日本代表を運んだ事もある。


100k54@sosk02

2000年から短編成化が行われ、 山陽区間のこだま として再スタートを切る。2002年にV 編成のグランドひかりが運行終了、2003年9月16日東海道から完全に姿を消した。
新大阪~岡山はこだまの本数が削減されていく傾向にあったので、新大阪でも出会う事は少なくなり、乗車出来たのは2009年5月が最後になってしまった。


100k59@sosk02

 
N700系増備に伴い、 500系 、更には 700系E 編成 がこだまに転出し、100系は更に追いやられる。
一部の編成は2010年夏からオリジナルカラーに戻され最期の活躍をしていたが、こだま高速化が打ち出され、遂に終焉を迎える事になった。

そして、2012年3月16日、300系引退と同日、K55編成(2010年に原色に戻された)が岡山~博多の臨時列車ひかり445号として運転され、これがフィナーレとなった。



Part 2 以降も勿論ある!


100系新幹線電車

1985年に東海道山陽新幹線の第2世代車両としてデビュー。国鉄製造分、JR 東海・西日本製造分の合計は1056両になる。

制御方式はサイリスタ位相制御。 X、G、V 編成が存在し、JR 西日本製造のV 編成は7~10号車の4両がダブルデッカーで、しかも270km/hでの運転も可能な様に造られていた。(X、G は最高速220km/h、ダブルデッカーは2両のみ) 短編成化によって登場した編成は6連がK 編成、4連がP 編成を名乗った。

追記
1、2枚目の画像にあるK54編成の122-5003号車は京都鉄道博物館に保存されている



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メモリーズ・京王6000系

画像は全て2009年3月に平山城址公園駅付近で撮影。陽の長い時期の午後遅い時間帯では下り列車に対して順光。カーブの外側を撮る形になるので編成写真は撮れない。
もっとも、朝方の上り列車を狙うというのも季節によっては可能な筈である。

京王6000系 といえば、同社初の20m車でフラッグシップ的な存在になり、その都会的とも評され当時としては洗練されたスタイリングで京王のイメージを一新したとも言える。
小生も子供の頃は 京王といえば6000系 が思い浮かんだものである。


ko6774@hyjk01

準特急運用に就いていた元5ドア車=通称20番台、5連2本を合併しての10連。実はラッシュ対策用に1991年に製造されたのだが、5ドアは不評で半ば強引に4ドア化している(2000年施工)ので、ドアと窓の配置が変則的でややこしかった。この編成は2009年秋に廃車。


ko6764@hyjk01

こちらは1980年製造で、生粋の4ドア車で8連の 6014F 。この地上専用8連も2010年夏までに全廃になった。地下鉄乗入れ用の 6030番台 は2009年夏に全廃。 最後に残ったのは不評だった5ドアの 6022F で、動物園線用だった。それも遂に2011年3月、静かに最期を迎えた。時代を築いた功労車としては淋しい最期だったと思われる。
京王が全車VVVF 化及びバリアフリー化を打ち出した事がこの車の最期を早めたのは間違いないであろう。 関東の私鉄車両のライフサイクルは関西に比べて全般的に短い、言い方を変えれば新型車導入のペースが速い。
関西の私鉄であれば、車齢40年どころか50年なんていう車も平気で走っている。関西のファンからしたらこの 6000系 が既に全廃なんて考えられないであろう。



京王電鉄・6000系
1972年にデビューし、京王の顔として人気を博した。スタイリングもさることながら、2連・3連・5連・8連・10連が存在して多彩な編成パターンを見せてくれた。初期車のみ抵抗制御であったが、2次車以降は界磁チョッパで登場。
製造時期は主に1972~1981年であるが、1990・91年にも再度の増備が行われ、全体で304両が製造された。製造は初期車のごく一部以外は日本車輛及び東急車輛(現・総合車両製作所)。現在、3連・2本が事業用車デワ600形として走っている。


ko7774@hyjk01


ko8854@hyjk01

参考までに、同じ場所で 7000系・8000系 を撮るとこうなる。



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追記 この撮影は2009年3月だったが、その後何時の事かは判らないが、180cm以上のフェンスが張られてしまっていて、撮影は現在実質上かなり困難という事が判明した。(工夫次第では可能とも考えられる)

メモリーズ・終焉迫る183系(もどき)

京阪神~山陰間の特急として走り続けた 183系 も遂に終焉を迎える。 元は北陸方面で走っていた 485系 の直流専用化したものなので、正確に言えば、 183系もどき である。その証しに、運転台の上にも前照灯があるのが画像から判るが、 485系 にはあっても、 183系 には本来付いていない物である。 「ぬりかべ」こと 287系 の増備や 381系 の転属に伴い、廃車も進みつつあり、この夏で運用が終了する。

183a46@osk01n

今はこうのとりと名が変ってしまった 特急北近畿 、色は勿論 ココアオーレ ?の JR 西日本色
2008年リニューアル工事中の大阪駅で撮影。この時はボディにビッグX ネットワークのロゴが貼られていた。


183c35@kyt01

JR 西日本色 の特急まいづるたんば併結列車。
たんば(画像では奥側4両)は2011年3月運行終了。撮影は2010年11月・京都駅


183c35@kyt02

221系 が入線して来たので角度を変えて並びの1枚。 221系 が山陰仕様でW パンタになっている。 221系 は山陰本線から 113系 の一部を追い出している。

以上2点は2010年11月・京都駅で撮影したもの。



183b60@mes01n

こうのとりの運用に就く準国鉄色4連=名神クロスで2011年10月撮影。
西日本での 183系 (もどき)はいよいよ終焉を迎えようとしているが、一方関東で臨時列車として走る生粋の 183系 651系 が波動用に回るとされる事との絡みもあり予断を許さない。如何せん35年オーヴァーの車体である。




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