Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

御報告

実は、先月24日にスコッチ文化研究所主催のシングルモルト検定3級&2級を受験しておりまして、その結果を御通知頂きました。初めての受験だったのですが…
見事?2級に合格致しました!!

受験後の感触として、3級は完全に自信あったのですが、2級は然程自信が無かったのです。
2級まで一発合格出来て一安心しております。これで来年準1級・1級を受験する権利も得られました。
以上御報告でした。


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画像は、Whisky Festival 2010 記念ボトルのLongmorn 1976 34yo 52.2%・同イベント主催のスコ文研によるボトリング。(同イベントで撮影)



追 伸
大津市のいじめ自殺について色々な情報が連日流れているが、その内の大部分がもし本当だったなら、そこには日本の統治機構の闇の部分、そして構造的瑕疵まで透けて見えてしまうと言ったら言い過ぎだろうか?
この手の話は後を絶たないが、「逃げずに立ち向かえ」とバカの一つ覚えみたいに言う者は多いが、物事そんなに単純なものではなく、それが却って悲惨な事態を招き得る事も常に考えるべきである。

私の場合、唯の他人事として片付けられない部分がある。 私は長い間いじめを受けていて、幼少期から思春期まで楽しい思い出は非常に少ない
因みに、私は中学から大学まで私立だったが。、私の世代は、校内暴力、バブル入社、社会に出たらバブルは弾け、さらにはモンスターペアレント粗製乱造…、幸せな世代とは決して言えない


最近思わされるのは、いじめ自殺の様な事象でも劇場化している事である。
政治のみならず、交通事故や自殺ですら完全に劇場化させられている。こんな事をしていたら近々この国は滅びる!



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2012)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。

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さよならの後は… March of 2012 Part 3

小田急線を彩った名優達

この春終焉を迎えたのは、新幹線車両だけではない。関東で言えば、小田急の線路を彩った名優達もピリオドを迎えた。

odk5063@ebn02

最後まで残った小田急顔、5000形!
子供の頃から見慣れた面構え、このツラでなけりゃ小田急じゃない。
This is ODAKYU . でも、若い人はこの小田急顔を知らない人も多い。 本当に最後まで残ったこの1本は、オリジナルの2段窓。 正真正銘の5000形
8両固定では運用上の制約が大きくなるとされ、将来的に10両での運用も考慮されて4両ユニットで作られた。6連で登場した1段窓のものは1978年から追加された通称5200形
昔は 小田急 急行といえばこの 5000形 だったのである。


odk5163@ebn01

2600形 旧4000形 、みんなこの顔だった。 5000形 と併せたこのトリオは小田急車両の大型化を推し進めて輸送力を大幅にアップさせて今の小田急の礎を築いた大功労車である。そこに地下鉄乗入対応の「骸骨」こと 9000形 が加わるのである。 時代を築いた伝説の車も悉く消えてしまった。その代表格 5000形 も、 5200形・9000形 という盟友達を見送った後、遂に終焉を迎えたのである。
アイボリー+青帯という出で立ちも遂に 8000形 のみになってしまった。今はステンレスボディ全盛である、味気無くて萌えない時代である。


odk5063@ebn01

画像3点は全て引退イベント「The Last Greeting」にて撮影。
こういう小生だが、実は小田急にはあまり縁が無く、撮っている回数も非常に少ない。2006年から淘汰が急速に進んだ事もあり、 5000形 の走行写真は撮れずじまいだった。
繰り言の様に聞えるかも知れないが、関西では50年クラスの車すらまだ本線で走っている。
この 5000・5200 と同世代の車は主力として走り続けている。各社の個性を色濃く残す車両が関東では急速に消えているのである


小田急電鉄・5000形
急行を大型車8両で運行する為に1969年に登場。2400形の電装品と2600形の車体をベースに開発された地下鉄乗入を行わない地上線用車。1972~75は9000形の増備のために製造中断、76年から再開。
1978年には6連ユニット(通称5200形)が登場し、急行10連運用が本格化する。


Part 4 もある!


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さよならの後は… March of 2012 Part 2

初代のぞみとして御馴染みだった300系

民営化されたJR が航空機に対抗する新兵器として東京~新大阪を150分で結べる列車を開発する事になった。最高速も従来の220km/hから270km/hに引き上げる必要が生じたのである。開発の進められた時期は折しもバブル全盛で、開発にも金を賭け易かったという幸いな一面があったのは事実であろう。

軸重を11.3tに押さえる必要があり、100系に対し平均で25%の重量減が必要だった。新幹線として未知の領域に足を踏み入れる事でもあったので、デビュー後も初期トラブルは頻繁に起こった。居住性が問題視される事も多かった。クズ物入れがやたら小さくて直ぐ溢れてしまう事等も含めて問題は多かった。

300系には新技術がふんだんに盛り込まれ試作的要素も強い車で、それゆえの難しさもあった
だが、この国の鉄道輸送における大きなbreakthrough であったのは疑いようが無い。
試作車J0編成(後のJ1編成)が1991年2月に試験走行で325.7km/hを記録している。 300系の天下もそうは続かなかった。1992年のデビュー以降、1993年から急ピッチで0系置き換えも兼ねて増備されたが、1997年に 500系 が、1999年に700系がデビューするとあっという間に脇役に追いやられてしまった。

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この画像は2009年田町駅付近で撮影

2007年にN700系が登場すると、JR 東海のC 編成の廃車が進んで行った。JR 西日本所属のF 編成は製造された9本が残っていたが、2011年になって、それをを淘汰する為に、JR 東海が700系C 編成の初期車を譲渡するという事までおきた。
ファイルの整理をしていて気が付いたのであるが、実は300系の画像は殆ど撮っていないのである。
以前は 500系 という絶対のターゲットがあり、外道としてN700系700系も少しは撮っているが、300系は雑魚?として無視した事も多かった。
2010年3月以降は新幹線の撮影に殆ど行っていない。 後悔先に立たずとはこういう事かも知れない。


300j60@mgmz01

この画像は馬込坂で2011年7月に撮ったJ60編成。
馬込坂での撮影も最近は厳しくなった様である。近隣住民の中にクレームを申し立てる人間がいるという話もあり、長時間の撮影は止めた方が良いかも知れない。


2012年3月16日、100系共々ラストランになった。東海道ではJ57編成のぞみ329、山陽ではF7編成のぞみ609号として走った。両列車とも全席指定だったが、発売から1分程で完売したというのは記憶に新しい。609号は岡山で100系ラストランのひかり445号との並びを見せた。色々叩かれた300系であったが、終焉が迫ると300系目当てのファンが沿線には多く集まった。ラストランの時には沿線各駅には大変な数のファンが押し寄せたのはニュース映像でも見たであろう。

300系がこの様な形で終焉を迎えた理由として、短編成化が非常に難しい構造であった事があるであろう。0系、100系は2両単位、 500系 以降の車は4両単位である。これに対して、300系は3輌単位で、1+3×5=16という形だった。
加えて、 500系 700系E編成 も存在する中で、最高速が270km/hという「中途半端」な性能の300系を無理に転用する理由も見当たらなかった事も想像に難くない。



300系新幹線電車
1990年に試作車が登場、テスト期間を経て1992年のぞみの運行開始に合わせてJR東海のC編成が正式デビュー。デビュー直前の試乗会が新幹線とも係わりの深い小田急初代3000型(SSE)のさよなら運転と同日だった。1993年から大量増備が始まり、JR西日本もF編成を導入。1992~98年の間に1120両が造られる。 アルミ合金のシングルスキン構体を採用、新幹線としては初のVVVF車(GTOサイリスタ使用)&回生ブレーキ搭載車であった。
1993年度ローレル賞受賞だが、JR九州787系(特急つばめ)に敗れブルーリボン賞は取れなかった。


Part 3 以降もある!



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2 Craigellachies of 1962

Craigellachie (クレイゲラヒ)の創始者はWhite Horse Ltd. を立ち上げ、"Restless Peter" の異名を取った彼のPeter Mackie(ピーター・マッキー)である。
U.D. 傘下の時代まではWhite Horse の看板が出ていたので有名であるが、Bacardi 傘下になってそれは取り外されている。蒸留所はSpey 川とその支流のFiddich 川の合流地点の近くにある。近所には有名なMacallan がある。

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Craigellachie 1962 25yo 46%  Moncreiffe single malt collection

ラベルの文言から見て、イタリアのボトラーだったと思われる。去年末、知人宅での忘年会の席で供された物であった。
これを飲んでしまうと、Craigellachie は美味い酒なのだという事を印象付けられる。
不思議と秀逸な白ワインの様でもあるのである。
色は明るいゴールド、ナッティーなニュアンスは結構強い、特にアーモンドと胡桃。洋梨・林檎系統の味が出て来る。ホワイトチョコや飴、水飴を想起させる香味が続いて、グラッシーなタッチも出て来る。
全体的な印象として高い透明感を以って、硬質感を出しながらも味は横方向に円を描く様に出て来る印象であった。輪郭もしっかりして崩れそうで崩れない。
味の押し出しと持続力はかなりのレベルで46度に加水されているとは思えない位である。



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Craigellachie 1962 26yo 46% CADENHEAD'S black dumpee bottle

泣く子も黙る?伝説のCadenhead の黒ダンピーの中の1本。今年5月に名古屋に遠征した日の夜に有名な某N で頂いた。マスターも超お勧めだった。
最初の入りはフルーティー。白桃・黄桃・パパイア等のニュアンス。そこから、白い花、特にカモミール、ジャスミンといった所が出て来て、更にナッツ類、殊に胡桃、カシューナッツ、アーモンド、ヘイゼルナッツのニュアンスが表に出る様になる。
又、味の底部には八つ橋や落雁の様な香りと柔らかな甘さが見える。 その後は少々梅酒の様なタッチを伴い伸びやかなアフターテイストを形成する。
勿論、コシも強く妙なブレもない。 両者とも、味の出方として横方向の広がる強い様にも思われたが、Cadenhead の場合は縦方向にも結構出る感じであった。
色々言っても、甲乙付け難い両者であり、秀逸でimpressive なCraigellachie であるのは明らかである。



Les Meilleurs Vins de France 流に点を付けるなら…、両者とも 19 / 20



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さよならの後は… March of 2012 Part 1

私たちの世代だと100系は馴染み深いものであっただろう。

開業から約20年0系ばかりであった東海道山陽新幹線に登場したこの車は、編成中央部の2両又は4両がダブルデッカーで、尖った鼻先が印象的であった。バブルと共に主役に躍り出た様なもので、それこそバブル時代の記憶と重なり合う車両ではなかろうか。

画像は3点とも2008年・09年に新大阪駅で撮影


100k54@sosk01


100系の時代は長く続かなかった。
1992年に300系がデビューし、高速化時代の幕が切って落とされると、90年代後半には主役の座を追われてしまった。
さらに 500系 700系が登場すると完全に隅に追いやられ、2000年頃にはこだまとして走る姿すらなかなか見られなくなってしまった。

2002年の日韓W 杯の時にG編成が団臨として日本代表を運んだ事もある。


100k54@sosk02

2000年から短編成化が行われ、 山陽区間のこだま として再スタートを切る。2002年にV 編成のグランドひかりが運行終了、2003年9月16日東海道から完全に姿を消した。
新大阪~岡山はこだまの本数が削減されていく傾向にあったので、新大阪でも出会う事は少なくなり、乗車出来たのは2009年5月が最後になってしまった。


100k59@sosk02

 
N700系増備に伴い、 500系 、更には 700系E 編成 がこだまに転出し、100系は更に追いやられる。
一部の編成は2010年夏からオリジナルカラーに戻され最期の活躍をしていたが、こだま高速化が打ち出され、遂に終焉を迎える事になった。

そして、2012年3月16日、300系引退と同日、K55編成(2010年に原色に戻された)が岡山~博多の臨時列車ひかり445号として運転され、これがフィナーレとなった。



Part 2 以降も勿論ある!


100系新幹線電車

1985年に東海道山陽新幹線の第2世代車両としてデビュー。国鉄製造分、JR 東海・西日本製造分の合計は1056両になる。

制御方式はサイリスタ位相制御。 X、G、V 編成が存在し、JR 西日本製造のV 編成は7~10号車の4両がダブルデッカーで、しかも270km/hでの運転も可能な様に造られていた。(X、G は最高速220km/h、ダブルデッカーは2両のみ) 短編成化によって登場した編成は6連がK 編成、4連がP 編成を名乗った。

追記
1、2枚目の画像にあるK54編成の122-5003号車は京都鉄道博物館に保存されている



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