Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
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遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 3

1997年、国内スポーツの世界を振り返ってみると、J リーグは元旦の天皇杯こそヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969、これが川崎時代の最後のタイトル)が制したが、時代は既に鹿島磐田の2枚看板時代に突入。
そんな中、11月16日には所謂「ジョホールバルの歓喜」により日本代表がワールドカップ初出場を決めた。


国内のゴルフでは男子の賞金王は尾崎将司、女子は福島晃子(どっちも懐かしい名前である)

プロレス界では何と言っても蝶野正洋氏率いる nWo JAPAN が一大ブームとなり、( nWo =New World Order、訳すと新世界秩序)プロレス大賞MVP も当然の様に受賞。ただし、G1 Climax は佐々木健介氏が優勝。
蝶野氏・佐々木氏のみならず、武藤敬司、橋本真也、三沢光晴、川田利明、田上明、馳浩、小橋健太、鈴木みのる、船木誠勝、高田延彦(敬称略)という1960年代生れの錚々たる御仁達が全盛期だった。
プラム麻里子 嬢が試合中の事故で死亡した(JWP)のもこの年だった。

角界に眼を向けると、この時は旧・双子山部屋の全盛期。若乃花(花田虎上)と貴乃花で4回の優勝、貴ノ浪も九州場所を制した。(残りの1場所は曙が優勝)
ただ、貴乃花自身は故障がちになってこの年から下降線に入ってしまう。

てなわけで、このPart 3 に於けるターゲットはこれ!



kh805@khysn01
(京阪山科を発車した第3編成 2010年11月=この記事の画像は全て同日撮影)

京阪電鉄800系

1997年10月の京都市営地下鉄東西線開業とそれに伴う京阪京津線からの乗り入れの為に4連8本の合計32両が作られた。車幅は何と2380mmと狭小で1両の長さも16.5mと南海のズームカーより短い。それでも従前の80形等に比べれば長くはなっている。
ただ、その最大の特徴は何と言っても高価である事
「劇場路線」とすら呼ばれる京津線、併用軌道・山岳路線・地下鉄と3つの大きく特性の異なる路線が「 3 in one 」になっている所を直通するという前代未聞の仕事を課せられた車両がこの800系(Ⅱ)なのである。



kh811@khysn01
(京阪山科発車直後の第6編成)

稼ぎの悪い金食い虫?
コイツの凄さは一重に高コストという所。急勾配急カーブ連続区間に対応すべく全電動車方式を採用。
地下鉄乗り入れに対応してATC・ATO 搭載、勿論京阪式ATS も装備。ブレーキシューは一般的だった樹脂製ではなく鋳鉄を使用
パンタグラフもミニ地下鉄規格の東西線と浜大津付近の併用軌道区間では高さが大きく異なるが、その全てに対応すべく稼動域が非常に広いPT-7201 (東洋電機製)を搭載している。


長さ16.5m、幅2.38mという小振りな車体ながら1両当たりのコストは2億円!
これがもし21m級で幅2.8mの車体なら2.99億円、フル規格の新幹線車両と同サイズだったら単純計算で4.3億円に相当してしまう。体積当りのコストで言うと近鉄50000系しまかぜ並みで、N700系より高いという事になる。


kh813@khysn01
(京阪山科駅に到着する第7編成 太秦天神川行き)

この800系の凄さはこれだけに留まらない。
併用軌道内での自動車相手の事故を想定して、その場合の修繕を容易にするという事で一部の部品は自動車用の物を使用するという「おったまげぇ~」な所もある。気動車の場合バス用のクーラーを搭載するケースは多いが、都市部を走る鉄道車両でこんなケースは他にあるだろうか?


ただでさえも経営状態が余り芳しくないとされる京阪、その中で元々採算の良くないローカル路線と不便で採算の余り見込めない地下鉄を乗り入れさせて繋いだ事自体、現時点で考えると失敗にしか見えない。現に京津線も地下鉄東西線も状況は悪い。


kh814@khysn01
(京阪山科にアプローチする浜大津行きの第7編成)

これを撮影したのは7年前の11月某日だったが、天気が悪いのはお判り頂けるだろう。仕事で関西に行っていた序でだったのだが、天気が良かったら名神クロスあたりに繰り出していたであろうから、京津線なんて撮りに行かなかっただろう。
シャッタースピードを抑えられる状況でとなれば、鈍足の京津線でも駅発着シーンかこんなカーブでという事になる。
住宅地や山の間を縫うように走っている京津線なので、適した場所がなかなか見付からないのも事実である。有名撮影地である大谷駅東側のカーブでも山の影に注意しなければならないから厄介である。


次回はどの車が槍玉に上がるのか…、そこは次回 Part 4 でのお楽しみ!




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遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 2

1997年といえば、この年に産声を挙げたものも色々ある。
大阪は梅田にあるハービス大阪=HERBIS OSAKA(ホテルの The Ritz Carlton Osaka 等で有名)、福岡の天神には駅ビルのソラリアが誕生し福岡三越が開業。
大阪ドーム(現・京セラD 大阪)、ナゴドことナゴヤドームが誕生し、日本のプロ野球は本格的なドーム時代に入る。


岡山・磐越・北陸の各高速道路が次々と全線開通になった上に、ボッタクリ道路として名を馳せた東京湾アクアラインが開通したのもこの年。
今では御馴染みになったメモリースティックが誕生し、ソニーから7月に発売された


テレビでは、「おはスタ」、「踊る!さんま御殿!!」、「奇跡体験!アンビリーバボー」という今でも続く長寿番組が始まった。更には「ビーチボーイズ」、「ラブジェネレーション」、「踊る大走査線」、「失楽園」、「ふぞろいの林檎たちⅣ」等のドラマがヒットした。

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(今は亡きN6編成 2008年7月・高崎駅にて)

JR 東日本 E2 系新幹線電車

彼方此方を少しずつパクった様なこのスタイル。700系より先にデビューしているのに700系のパクリにまで見えてしまう。
小生は元々東北・北陸・上越系の沿線に行く機会が殆ど無く、乗車した回数は僅か。乗車した印象としては、この年代のJR 東日本らしく内装がクソ! しかも狭いという2冠王。
当然、ブルーリボン・ローレル賞レースでも惨敗。御存知の通り、初代「はやて」なのだが新幹線車両の中で一番影が薄いのはこの車かも知れない。


1998年2月の長野冬季五輪に先立ってその前年に長野新幹線(現・ 北陸新幹線 )が開業。そこにE2 系(N 編成)を投入するに当っては大きなミッションが課せられていた。
その一つは碓氷峠周辺の約30kmという長い急勾配。新幹線の様な高速鉄道でそもそもそんな急勾配が連続するのは致命的とすら言えるものだが、そこだけワープする訳にも行かない。そこで回生抑速ブレーキを搭載した(碓氷峠ブレーキと呼ぶ事もあるらしい)

50HZ・60HZの両方の周波数で走らなければならなかったというのも新幹線では初。1964年開通の東海道では全区間60HZ に統一したが、長野(北陸)では軽井沢~佐久平間に周波数の境界を設けざるを得なかった。
東海道開通から4年を経た1968年に交流50・60HZ に対応する 485系 583系 が登場したので、それから30年近く経った90年代後半ならここの部分は然程大きな難題にはならなかったかも知れない。

更に加えて言えば、JR 東日本の標準となる新幹線車両として、東北新幹線でも275km/hでの長時間連続走行にも耐えなければならなかった。そういった辺りの条件を満たすべく作られたのがこのE2 系という事になる。



e2j15@oym01
(東北新幹線用J15 編成=0番台 2008年7月大宮駅にて)

300系の様にエポックメイキングな存在とまでは言えない、それこそ 500系 の様に機械芸術と呼べるような飛び切りの存在感なんて一切期待出来ない。影が薄いと言いながらも、同世代にあたる700系(JR 東海 / 西日本)と共に一時代を築いた車両であるのは明白である。


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(J64 編成=1000番台 J15 と同日同所にて)

大宮での画像2点を比べると、J 編成でも0番台と1000番台でサイドが明らかに異なるのが判る。小型の窓を採用していたのは0番台のJ2~15編成で、1000番台(J51~)になると窓が大型化される。0番台は途中から10連化されたので、小窓と大窓が混在する編成がある。

1997年にデビューを飾った長野・北陸用のN 編成だが、今年3月で運用終了し全廃になった。東北を走っていたJ編成でも E5 系 増殖で上越に移される編成が増えているが、それも E7 系 再増備となれば駆逐されるであろう。現在も神戸で E5 系 が作られていて E2 系の肩身はドンドン狭くなっている。

次回はどの車が槍玉に上がるのか…、そこは Part 3 にて!




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遂に20周年! この結構微妙なジェネレーション? Part 1

今から20年前の1997年、世の巷では何が起きたか憶えているだろうか?
「社員は悪くありません」という発言が未だに語り草になる山一證券自主廃業=破綻はつとに有名だが、90年代中盤~終盤に掛けてはバブル崩壊で蝕まれ続けた銀行・証券会社が破綻に至るケースが多かった。


神戸では児童連続殺傷事件(所謂・酒鬼薔薇事件)、更には宅見勝山口組若頭射殺事件もあった。奈良では月ヶ瀬村女子中学生殺人事件が起きた。又、東電O.L. 殺人事件(容疑者は2012年に無罪判決確定)もこの年である。
4月には連続幼女誘拐殺人事件の被告だった宮崎勤に死刑判決が東京地裁で下った。
1982年に松山で同僚ホステスを殺害したとされる福田和子が、潜伏先の福井市で逮捕されたのはこの年の夏だった。

フジテレビの台場移転(現在の酷い凋落の一番の原因とされる)、某自称公共放送が24時間放送開始(現在は両局とも国内を代表するブラック企業の一つに成り上がった?)

年末には自・社・さ連立政権からの政権奪取を狙って結成された新進党が、敢え無く僅か結党3年で瓦解し解党

色々挙げればまだまだあるが、先ずはそんな所だろうか

そんな1997年にデビューした車両達が今年20年という節目を迎えたのであった。その中から先陣を切って登場してもらうのがこの車!

tb31615@kksgy01
(伊勢崎線浅草口運用に就く6連の第15編成 2011年1月・大袋~北越谷間)

東武鉄道30000系

営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線の押上延伸に伴う東武伊勢崎線との相互直通に対応する車として、 10000系・3部作 の続編の様な意味合いも込めて作られたのがこの 30000系 だった。
東武としては沢山の支線を抱え、伊勢崎線の浅草口運用は6連以下でないと対応出来ない事情から、使い勝手を考慮して6連+4連という形でそれぞれ15本ずつという事で(6+4)×15=150両が作られた。東武で初めてワンハンドルマスコンや急行灯を採用、LED 式の表示機類も東武では初採用となった。東武としても経営が非常に苦しかった中でも、一種の起爆剤としての重大な使命を背負わす為に気合を入れて開発した事が伺える。
製造開始は1996年だが、営業運転に就いたのは1997年3月だった。
デビューは1997年なのに、その最大のミッションだった半蔵門線乗り入れ開始は2003年。諸般の事情で半蔵門線延伸開業が当初の予定から大きくずれ込んだのが原因だが、これでミッション遂行開始まで6年も待たされる事となり、のっけからケチが付く格好になってしまった。


tb34410@nskwg01
(東上本線に移ってからの第10編成 川越市~霞ヶ関間 東上線での画像は全て同所)

~誤算の塊となった悲運の車両~
前作に当る 10000系ブラザーズ が450両という大所帯に達したのに対し、この 30000系 はその1/3の150両しかない(関西ならこれでも大所帯だが)
でもコイツの最大の悲運は東武的使い勝手を考えて作ったが為に、肝心の半蔵門線・田都線乗り入れというミッションを果たせなくなった事であるのは言うまでも無い。異なった事情を抱える会社同士の相互乗り入れが実際は非常に難しいものである事を示す存在になってしまった。
何せ、田都線は国内随一の混雑率で、乗客が多過ぎてその圧力でドアのガラスが爆発して生える凄い路線なのである。6連+4連で10連を組んでも中間に運転台が2箇所余分に入るから混雑が余計酷くなると 大東急様 が因縁を付けておファビョりになられたので、東武は新たに 50050系 を投入して交代させざるを得なかった。 50000系 bros. 安物プレハブ電車だとは言っても、東武としてはメンツ丸つぶれで経済的にも痛い誤算になったのは間違いない。
天下の 大東急様 としては東武なんて下僕程度にしか見えなかった模様である。



tb34403@nskwg01


2編成20両を残して地下鉄直通運用から外れて地上線専用となった 30000系 だが、その事で10両貫通という縛りが無くなったにも拘らず、東武は何を思ったか13編成130両については10両貫通化工事を行い東上本線に移籍させた。 大東急様 )への中てつけとしか思えないが

tb34411@nskwg01

地下鉄直通車の任を解かれてからは、浅草口の運用が主になり、一時期は宇都宮線の運用に就いていた事もあった(4連ユニット)。そして2011年から森林公園検修区に移動を開始して東上本線を戦場にする様になった。
新天地となった東上本線でも主力にはなれていない。 10000系Bros. 日立製プレハブ軍団 に数で圧倒されているので、今一つその存在感を示せていない。



tb34404@nskwg01

東武がこの 30000系 で見せた気合も空回り、不動産事業とのコンビネーションも今一つで2000年頃に起きた様な経営危機が近い将来又あるのではと言われる。一番ツライ大手私鉄の座をガッチリキープしている模様である。

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NPB のポストシーズンを考える


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去る10月以降、クライマックスシリーズ廃止論が彼方此方で持ち上がっている。
その背景として、バブル化したカープファンども(特に俄か)が未だにファビョっている模様である。そのバブルにぶら下がって飯を食おうとしている一部の評論家までそこに乗っかってフジコっているから始末が悪い。ファビョってフジコった話がヨウツベ等で更に拡散されて、ミスリードされた世論に「大多数の良識ある国民の世論」という錦の御旗が付けられるとすれば、それは到底納得が行かない話である。
何にでも表があれば裏がある、光があれば影がある。セントラルのCS で優勝チームが下克上されたのは2007、2014年に続いて3度目である。過去下克上を2度も食らった巨人ファンがその度にCS 廃止論をファビョってぶち上げただろうか?
(ファイナルのアドヴァンテージ1勝設定は巨人サイドが2007年の敗退を受けてゴリ押ししたとも言われているが…)
この際なのでフジコしているカープファンどもには、ポストシーズン短期決戦の本当の世界にようこそと言うてやりたい。



ただ、小生としても、今のシステムが必ずしも良いと言う気も無い。
いつの間にかアジアシリーズは消滅し、アジアプロ野球チャンピオンシップという大会が発足した。でも、年齢制限付代表の大会を行うのは良いが、それはプロ野球のアジアNo. 1 チームを決める大会ではない。
いっその事、C.S. 、日シリ、韓シリ、その他諸々一緒に纏めれば良くねぇ?
要は野球版アジアチャンピオンズリーグ=アジアプロ野球クラブ選手権をやったらエエ、という事!


そこで小生の考えたシステムとは…
NPB 両リーグのC.S. 1st ステージを予備予選(PQ=pre qualify)と位置付け、その勝者と両リーグ優勝チームを加えて合計4チームがNPB 代表
韓酷KBO から上位2チーム(本来なら韓シリに出る2チーム)=これに合せてKBO でポストシーズンの組み換えをしたいなら勝手にやってくれ。
台湾は台シリの勝者が出場、敗者はオーストラリアのリーグの優勝者と大陸間プレイオフ(これも予備予選となる)
これで出場は合計8チームとなる。


上記8チームを2ブロックに別けて先ずは1次リーグを2回戦総当りで行い、各ブロックの上位2チームが準決勝リーグに進む事とする。
1次リーグを勝ち上がった4チームがこれまた2回戦総当り形式で準決勝リーグを戦う。

最終的に準決勝の上位2チームで3試合先取形式の決勝ラウンド、下位2チームで2試合先取形式の3位決定ラウンドを行う。


全試合について開催地は日本で、指名打者制採用。
リーグ戦に関しては順位は勝ち点で決定、勝利=3点・敗戦=0点・引分け=1点とする。リーグ戦の延長は12回までで、タイブレイク無し。勝ち点で並んだ場合は得失点差等の要素で順位を決定する。


このシステムだった場合、優勝までの試合数は最大で17となるが、MLB の場合最大で20となる事と比較しても妥当な数字と考えられる。

細かい所はさて置いて、大略こんな感じでやってみたらエエの違うかと思う。




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CNDP cuvée réservée 2000 Domaine du Pegau

Domaine du Pegau (ドメーヌ・デュ・ぺゴー)といえばあのクソ漫画「神の何チャラ」にも登場して日本でも有名になった作り手。

この蔵の歴史は17世紀後半まで遡るらしいが、当初はオリーブオイルを中心に生産していてそこで資金を稼ぎ、ワインを本格的に作り出したのは18世紀に入ってからの模様。ただ、自社元詰めを始めたのはそれから250年経った1987年の事。現当主のPaul Feraud (ポール・フェロー)氏の娘、Laurence (ローランス)女史がドメーヌに加わった時であり、そこからの快進撃は凄まじいとすらいえるレベルかも知れない。

cndppegres2k01小生がこのドメーヌに出会ったのは彼是20年位前だった、当時交流があったある人から勧められ、当時は値段も結構安かった事で、1990年のヤツを買ったのが馴初めという訳である。
作りはクラシックな要素が強く、葡萄は除梗せず(先ずココが小生を萌えさせる)、発酵はコンクリの桶で行い、熟成は大樽使用(3000~6000リットル程度)の新樽無し、フィルター掛けも無しである。
因みに、使用する葡萄の比率としてはGrenache noir(グルナッシュ・ノワール)=75%、Syrah(シラー)=20%、残り5%がその他諸々という模様


色は暗めのガーネット、色だけ見るとかなり熟成感がありそうだが…さて実際は?
第1陣で中心的な部分としてはブラックチェリー、ブラックベリーリコリス、黒胡椒、西洋杉、ブルーベリー
第2陣として、なめし革、腐葉土、煎ったカカオプルーンエキスリエージュシロップ、微かにカンファー
更にはラベンダータイム、オレガノナツメグといったあたりが加わってくる。
フィニッシュとアフターで eau de vie Kirsch、eau de vie framboiseの感じがそれなりに出てくる。これは優秀なGrenache noir を主体にしたCNDP の特徴としてよく見られるものである。特に熟成をある程度重ねた場合顕著になると思われる。
最初はタンニンがやや目立つ、しかも甘苦系な感じ。酸が後からしっかり現れてくるが、甘苦系なニュアンスがやや強い。
それでも時間と共にグズグズに崩れたりする事はなかった。アフターは力強く粘りと伸びもあって勿論長い。全体としては期待以上だったか。


Les Meilleurs Vins de France 的なノリでスコアリングするなら… 18.5 / 20

ここの最上級品である Cuvée da Capo (キュヴェ・ダ・カポ)は最良年にしか作られず、しかも前出のクソコミックのお陰もあってか今や幻のワイン同然になり、価格も凄まじいレベルに。それが作られない時はその代りにCuvée Laurence (キュヴェ・ローランス)が作られるという事らしい。こちらは入手のチャンスもそこそこあって価格もまだ辛うじて現実的かと思われる。
この2つのスペシャル品の下に位置するこのワイン=CNDP cuvée réservée (レゼルヴェ)だが、それでもトップクラスのCNDP である事は明確である。15年位待てると報われるというのが小生的にはナイスで、これでも充分だとも思える。





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